春雷

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桃の蕾がほころび始めた頃。

新選組屯所、土方の部屋には、真剣な面持ちの斎藤の姿があった。



「斎藤、おまえに頼みがある」


土方がそう切り出した話は、明日、千鶴に女の格好をさせて町に出すこと、そしてその供を斎藤に頼む、といった内容だった。


「密偵、ということでしょうか」


鋭さを増した斎藤の表情に、土方は苦笑いを浮かべた。


「いや、そんなんじゃねえよ。そろそろ桃の節句だ。あいつは、男ばっかりの屯所で、なかなか頑張ってるからな。たまには、羽をのばす時間を作ってやるのも悪かねぇだろう」

まあ、その中で何か有益な情報でも得られれば、一石二鳥なんだがな……

そう言ってから、土方は更に続けた。


「そんなに殺気立つんじゃねぇよ。恋仲の振りでもして、二人でゆっくりしてこい。そのために、おまえが非番の日を選んだんだからな」

「なっ……なにゆえ」


戸惑う斎藤に、土方は事も無げに告げた。


「決まってんだろ、おまえにも息抜きが必要だからだ」

「しかしっ」
「いいか斎藤。これは、副長命令だ」


すかさず返された鬼の副長の言葉に、斎藤は何も言えず黙り込んだ。

そんな斎藤に、やれやれといった苦笑いを浮かべながら、土方は再び口を開いた。

「まあ、楽しんでこい」





翌日。

薄曇りの天候の下、女物の着物に身を包んだ千鶴と、常に彼女の周囲に気を配る斎藤が、京の町を歩いていた。


普段、男装では覗きにくい小間物屋で、じっくり品定めをしたり、井上に教えてもらった店で蕎麦を啜ったり。

町中をあちこち散策した後、島田おすすめの甘味屋で腹を満たして外に出れば、いつの間にか、灰色の雲が空を覆っていた。



「なんだか、急に空が暗くなりましたね」

「この様子では、じきに降り出すな」


二人で空を見上げている側から、ポツリポツリと滴が落ちてきた。

これではきっと、濡れずに屯所へ戻ることは不可能だろう。

遠くから小さな雷鳴も聞こえ始めた。



「どこかで雨宿りをするのが最善の策か……」


そう呟いた斎藤に、不安げな千鶴が、すがるような眼差しを向けた。

その途端、バラバラと音を立てて、大粒の雨が本格的に降り始めた。


斎藤は、とっさに千鶴の手をつかんで駆け出した。



どこか、雨をしのげる場所は……


辺りを見回した彼の目に、一軒の茶屋が映った。


「む……背に腹は変えられん」


千鶴の手をつかむ力を強めると、斎藤は、意を決したように、長い暖簾をくぐった。





いわゆる出会茶屋。

障子の中の、行灯と座布団だけの薄暗い部屋に、二人は足を踏み入れた。

部屋は二間続きになっており、一尺ばかり開いた襖の奥には、布団が敷かれている。



何事もなかったかのように、その襖を閉めて踵を返すと、刀を脇に置いた斎藤は腰を下ろした。

行灯をはさんで向かい合うように、千鶴も、座布団の上に正座する。



しばしの後、沈黙を破るように、斎藤が口を開いた。


「すまぬ、もっと早く、空模様のあやしさに気付いていれば、ここよりも雨宿りに適した場所を探すこともできたのだが……」

「そんな……斎藤さんが謝ることないです、あんなに急なお天気の変わり様は、予想なんてできません!何より、今こうして雨に濡れないでいられるのは、斎藤さんのおかげです」


懸命な様子の千鶴に、斎藤は小さく笑みをもらした。


「あんたに風邪をひかせる訳にはいかないからな。それにしても……土砂降りの中を走ったゆえ、せっかくの余所行きが、泥で汚れてしまったのではないか?」

「ありがとうございます。大丈夫で……きゃあっ」


障子越しの稲光と同時に、耳をつんざくような雷の音が響き、千鶴は小さな悲鳴をあげた。

どうやら、近くに落ちたようだ。

口をつぐんでしまった千鶴に、斎藤が視線を向けると、彼女は両手を膝の上で握りしめ、何かを堪えているような表情だった。



「あんたは、雷が恐いのか?」

「えっあの……いえ……驚いただけです」


慌てて顔を上げた千鶴だったが、再び鳴り響いた雷鳴に、ビクリと肩を震わせると身を縮めた。



「雷が苦手ならば、目をつむり耳をふさいでいればいい」

「でも、それでは、斎藤さ……」


言いかけた言葉を、ハッとした顔で飲み込んだ千鶴に、斎藤が問いかける。


「俺が、なんだ?」

「いえ、何でもないです 」


千鶴は、誤魔化すように首を左右に振った。
だが、それで納得する斎藤ではない。



「雷が見えないように目をつむり、聞こえないように耳をふさぐ……それと俺と、何の関係があるのか、気になるのだが」



斎藤の静かな威圧感に、千鶴はあえなく降参した。


「……それでは、斎藤さんのお顔が見えなくなってしまいます」

「顔?」

「私、嬉しかったんです。斎藤さんと二人で外出できるなんて……まるで、恋仲になったみたいだな、なんて……あっ!私ってば……!!」

「……………」

「あっあの……ごめんなさい、これはその……土方さんが変なことおっしゃるから……あっいえ!えーと……」


一人で赤くなったり青くなったり、慌てふためく千鶴を見て、斎藤は考えていた。


どうやら、自分と同じことを、千鶴も土方から言われたらしい。

此度の外出、きっと副長には、深い思惑がおありだったのだな……



喋れば喋るほどドツボにはまっていくことを自覚したのか、千鶴は頭を抱えている。



「ならば……こうすれば大丈夫か?」



千鶴の隣に移動して寄り添い、抱きしめた斎藤は、彼女の頭を自分の胸に押し当てた。


その時、京の空を裂くように、ひときわ大きな雷が落ちた。

腕に力を込めた斎藤の着物を、千鶴の手がギュッとつかんだ。


「あ、ありがとうございます……これなら、どんなに雷が近づいてきても安心です」



――なんだか、今の俺は、雷よけのようだな。


斎藤は、声を立てずに笑った。



どうやら、俺たちは、互いを憎からず想い合っているらしい。
それがわかったことは、喜ばしい。

それにしても、雪村が俺を好いてくれているのならば、この場合、雷云々よりも、もっと他に言い様があるような気もするのだが……



斎藤は、千鶴の頭にポンと手を置いた。


「確かに、安心だな」


これならば確かに、赤く染まった自分の顔を見られずにすむ。





稲妻の青白い光と、地の底から轟くような雷鳴が、非日常を運んでくる。


息抜きというには、あまりにも日々の生活からかけ離れている時間と空間。

実は自分たち二人は、別次元の世界へと迷いこんでしまったのではないか……
そんな錯覚すら覚える。




「あの……」


千鶴の声に、斎藤の思考は、現実に引き戻される。



しっかりしろ、三番組組長たる斎藤一!

今日の雪村への同行は、あくまでも副長の命。
非番とはいえ、任務だ。

邪な想いなど、抱くことまかりならん――




「斎藤さん」

「どうした?」


斎藤の胸に顔をうずめたまま、千鶴が続ける。


「雨が止んだら、皆さんにお菓子を買って帰りませんか?」



鳴り止まぬ雷にも関わらず、彼女の声は明るい。

つられて、斎藤の口元がゆるむ。


「そうだな。今日は、桃の節句を楽しむようにという、副長のお心遣いゆえの外出。それにちなんだ菓子などが、喜ばれるだろう」

「はい!」



腕の中の千鶴が、笑みを浮かべた気配が、柔らかな空気となって伝わってくる。

まるで、温かな春そのものを抱きしめているような、その感覚の心地よさに、知らず斎藤の唇から言葉がこぼれる。


「いつか……」

いつか、男装を解いた千鶴と、二人並んで歩く日がくるとしたら……
男と女として、過ごせる時が訪れるとしたら……


その時の俺は、今この時のような、くすぐったくも満たされた心持ちになるのだろうか。



「いつか……なんでしょうか?」

「あ、いや、なんでもない」

「気になります、教えてください」



先ほどと逆転した立場に、斎藤は小さく苦笑してから、穏やかな口調で答えた。


「いつかまた、今日のように、あんたと京の町を歩いてみたいと思ったのだ」



千鶴は、ゆっくり斎藤から体をはなすと、彼の目を見て微笑んだ。


「私も、いつかまた、斎藤さんと一緒に、町に来たいです。その日を楽しみにしています」



千鶴は再び、斎藤の肩に頭をあずけた。



――このまま、春の嵐の中にいるのも悪くない――


そんな思いを巡らせながら、斎藤は、そっと千鶴を抱きしめ直した。


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