鬼の姫異聞・弐~君の名を呼ぶ~
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間もなく、戸板にのせられた山崎が運ばれてきた。
同時にどこからか、君菊と、鬼の里の者が姿を現す。
彼らの用意した大八車に、山崎は横たえられた。
「山崎さんのこと、お願いします」
「ええ、必ず助けるわ。……千鶴ちゃん、どうか息災でね」
うなずきながら千鶴が千の手をとり、胸の前でギュッと握りしめる。
「お千ちゃんもね。また会える日を、信じてるから」
「うん。それじゃあ…………」
二人は今一度、しっかりとうなずき合う。
君菊に目で出立の合図を送ると、千は、千鶴に見送られながら大坂を後にした。
既に虫の息と思われる山崎は、時折、苦しげなうめき声をもらす。
その度、千は必死に呼びかけた。
「山崎さん、しっかり!京の町へ帰るのよ!」
山崎の命の灯が消えぬことをひたすらに祈りながら、一行は、一路京を目指す。
やがて、山崎の呼吸が、一層苦しそうなものに変わった。
顎が上がり、喘ぐような息に、千は顔を曇らせた。
「がんばって、山崎さん!」
早足で進んでいた大八車を止めるよう指示し、千は山崎の手をとった。
その冷たさが彼女の心を締め付ける。
今にも止まりそうだった呼吸がさらにゆっくりになっていく。
「山崎さん!?」
慌ててとりすがる千の目に映るのは、彼がみるみる生気を失っていく様だった。
すでに為す術がないことがわかっているのか、君菊が沈痛な面持ちで目をそらす。
「いやよ、こんなの……山崎さん、山崎さんったら!」
あふれる涙を拭いもせず山崎を呼び続けていた千だったが、はっと思い出したように懐を探った。
「姫様、それは……!?」
彼女が取り出したものは、深い紅色の液体が満たされた小瓶であった。
それを目の前にかざすと、千は意を決したように握りしめた。
「山崎さん、あなたはまだ死んではいけないわ。最後まで新選組の影となるのでしょう?それに……私は、あなたを失いたくないの!絶対に死なせないわ……烝さん!!」
「…………君は…………」
朦朧としながらも、山崎の意識が一瞬確かなものになった。
「私がわかる?山崎さん、これを飲んでちょうだい、お願い……」
瓶のふたを外して投げ捨てると、千は赤い液体を口に含んだ。
「姫様っ!なりません!」
君菊の叫びを遠くの世界のもののように聞きながら、千は山崎の上体を抱き起こし、口付けた。
――今の俺は、かつての藤堂さんと同じだ――
混濁する意識の中で、山崎はそう感じていた。
そのまま、再び彼の意識は途切れた。
「私にだって譲れないものがあるの。鬼としてではなく女として、ね」
君菊を振り返った千の瞳は、涙をこぼしながらも、清々しい光をたたえていた。
ほどなく、死を予感させていた山崎の土気色の顔に、ほんのわずかながら赤みがさした。
この先、羅刹へと変わっていくための肉体的な苦しみを味わうであろうことは予想できる。
だが、何はともあれ、今すぐに潰えてもおかしくなかった命を繋ぎ止めることができた、その事実に、千は安堵の息をついた。
「では、急ぎましょう。鬼の里へ」
手の甲でぐいと涙をぬぐい立ち上がった千に促され、彼らは再び京への道を歩み始めた。
*
『鳥羽伏見の戦いで瀕死の重傷を負った山崎は、江戸に向かう船の中で死亡し水葬された』
信頼できる筋によれば、山崎のその後に関してはそのように伝えられている――
君菊がもたらした情報は、そういった内容だった。
「そうか……もう新選組には、俺は必要ないのか」
「違うわ」
穏やかな日差しが降り注ぐ里の小道。
並んで歩いていた山崎と千は、同時に足を止めた。
変若水を飲んだ山崎だったが、今まで目にしてきた羅刹化した者たちとは異なり、太陽の光を苦痛に感じる、ということはなかった。
どうやら、千鶴から手渡された変若水は、人間を日の光に強い羅刹に変えるものであるようだった。
そしてそれは、作り出した山南ですら認識していなかった、研究の偶然の産物であったらしい。
その後、綱道が羅刹の弱点を克服すべく改良を重ね、同様の変若水を作り出すことに成功していた。
それを服用し生まれた、昼でも活動できる羅刹により、新選組が更なる苦境に立たされることを、今の山崎と千が知る由もなかった。
日中は眠りに就いていた山南や藤堂を思いながら、山崎は霞がかった空を仰いだ。
「実際、今の俺がこうして長らえていたところで、新選組にとっては何の役にも立たない。俺は、『過去、新選組に属していた』……ただそれだけの人間だ」
いや、人間というのも違うな……既に羅刹となった我が身を改めて思い知ったかのように、彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。
首をゆっくり左右に振ると、千はすがるように山崎を見つめた。
「違う……違うわ。あなたは十分すぎるほどに責務を全うした……新選組に対する誠を貫きとおした。だからこそ、土方さんが認めてくださったのよ。『山崎は新選組のために立派に命を散らした』って」
千は山崎の袖を力なく掴んだ。
「そのまま散ることが本望だったと……あなたは私を恨んでいるかもしれない。けれど……罪を背負ってでも、私はあなたを助けたかったの」
小さく微笑んだ山崎は、千の右手をとって両手で包み込んだ。
「すまない……こうして触れることが出来るのも、思いを語り合えるのも、君があの時決断してくれたからだ。そのことには、素直に感謝している。だから、君が罪の意識に苛まれる必要は、これっぽっちもない」
不安げに見上げる千に向き合い、彼は言い聞かせるように続ける。
「俺のことで君が苦しむのなら、その方が俺はつらい。それに、君の声を聞くと……きっとこれでよかったのだ、という心持ちになる」
「……それは……あなたの記憶に馴染んだ声だから、かしら」
寂しげに瞳を瞬く千の両肩に手を置き、山崎はまっすぐ彼女に向き合った。
「そうじゃない。俺は、君の声が聞きたいんだ」
「山崎さん……」
「君がそう言ってくれるからこそ、俺はまだ生きていてよかったのだと……そう思えるんだ。羅刹であれ人間であれ、今俺がここに在る……その意味を肯定できるのは、君だけだ」
「そんなこと……あなたには、生きてほしいに決まってるわ。そして私は……」
千は、まっすぐに山崎の瞳を見据えた。
「私は、あなたと共に生きていきたい」
瞬きもせず、千の顔を見つめ返していた山崎は、やがてゆっくりと目をそらすと、両手を下ろして苦しげな表情を浮かべた。
「俺は……以前君に言った。『君の一族を照らす光になれ』と」
「ええ、覚えているわ」
「それなのに、俺は……。俺も、君と共に生きたいと……そう願っている。だが、そうなれば君の一族の血は……」
山崎の言葉に、千は静かに首を振った。
「ううん、いいの。それは覚悟の上よ。自分で決めた、自分の生き方だもの。それより……武士が潔く散るもの、と知っていながら、あなたを新選組から引き離してしまったことは……本当に申し訳なかったと思ってるわ」
「だからっ、それに関しては、君が謝る必要はない……「だったら、お互い様じゃない」」
ね?と同意を求めるように見上げる千に、山崎は思わず口をつぐむ。
そんな山崎に小さく笑みを向けてから、千は空を流れる雲に視線を投げた。
「それに、私はもう後戻りできないの」
「後戻りとは……一体どういう意味だろうか?」
山崎が真剣な表情で考え込んでいると、千は空を仰いだままつぶやいた。
「実はね……私も、飲んじゃったの」
「飲んだ……って、何を……あ、まさか……」
「変若水」
「な……!!」
「でも、ひとくちだけ、よ」
深刻な面持ちで言葉につまる山崎の正面に立ち、千は彼の手をとると、穏やかな笑みと共に言葉を紡いだ。
「だから、私たちは運命共同体。苦しみや悲しみは、二人で分かち合えば半分になるわ」
山崎の顔から、憂いが消えていく。
彼は、千の手をしっかりと握り直し、大きくうなずいた。
「ああ、そうだな。そしてきっと、喜びや幸せは、共に感じることで、倍になる」
だから、羅刹としての寿命が尽きるその日まで、二人で共に生きていこう――
「お願いがあるんだけれど」
「なんだろうか?」
「あなたのことを名前で……烝さんと呼ばせてほしいの」
山崎は柔らかく微笑んでから、はたと思いいたったように戸惑いの表情を浮かべた。
「そういえば……俺はまだ、君のことを名前で呼んだことが無かったな」
「ふふ、そう言われてみれば、そうだったわね。では……私のことも、名前で……千と呼んでちょうだい」
「ああ」
山崎は再び大きくうなずくと、千にまっすぐな眼差しを向ける。
「……千」
「なあに?烝さん」
微笑み答える千の髪を揺らしながら、二人の間を、あたたかな一陣の風が通り過ぎていった。
― 了 ―
*
同時にどこからか、君菊と、鬼の里の者が姿を現す。
彼らの用意した大八車に、山崎は横たえられた。
「山崎さんのこと、お願いします」
「ええ、必ず助けるわ。……千鶴ちゃん、どうか息災でね」
うなずきながら千鶴が千の手をとり、胸の前でギュッと握りしめる。
「お千ちゃんもね。また会える日を、信じてるから」
「うん。それじゃあ…………」
二人は今一度、しっかりとうなずき合う。
君菊に目で出立の合図を送ると、千は、千鶴に見送られながら大坂を後にした。
既に虫の息と思われる山崎は、時折、苦しげなうめき声をもらす。
その度、千は必死に呼びかけた。
「山崎さん、しっかり!京の町へ帰るのよ!」
山崎の命の灯が消えぬことをひたすらに祈りながら、一行は、一路京を目指す。
やがて、山崎の呼吸が、一層苦しそうなものに変わった。
顎が上がり、喘ぐような息に、千は顔を曇らせた。
「がんばって、山崎さん!」
早足で進んでいた大八車を止めるよう指示し、千は山崎の手をとった。
その冷たさが彼女の心を締め付ける。
今にも止まりそうだった呼吸がさらにゆっくりになっていく。
「山崎さん!?」
慌ててとりすがる千の目に映るのは、彼がみるみる生気を失っていく様だった。
すでに為す術がないことがわかっているのか、君菊が沈痛な面持ちで目をそらす。
「いやよ、こんなの……山崎さん、山崎さんったら!」
あふれる涙を拭いもせず山崎を呼び続けていた千だったが、はっと思い出したように懐を探った。
「姫様、それは……!?」
彼女が取り出したものは、深い紅色の液体が満たされた小瓶であった。
それを目の前にかざすと、千は意を決したように握りしめた。
「山崎さん、あなたはまだ死んではいけないわ。最後まで新選組の影となるのでしょう?それに……私は、あなたを失いたくないの!絶対に死なせないわ……烝さん!!」
「…………君は…………」
朦朧としながらも、山崎の意識が一瞬確かなものになった。
「私がわかる?山崎さん、これを飲んでちょうだい、お願い……」
瓶のふたを外して投げ捨てると、千は赤い液体を口に含んだ。
「姫様っ!なりません!」
君菊の叫びを遠くの世界のもののように聞きながら、千は山崎の上体を抱き起こし、口付けた。
――今の俺は、かつての藤堂さんと同じだ――
混濁する意識の中で、山崎はそう感じていた。
そのまま、再び彼の意識は途切れた。
「私にだって譲れないものがあるの。鬼としてではなく女として、ね」
君菊を振り返った千の瞳は、涙をこぼしながらも、清々しい光をたたえていた。
ほどなく、死を予感させていた山崎の土気色の顔に、ほんのわずかながら赤みがさした。
この先、羅刹へと変わっていくための肉体的な苦しみを味わうであろうことは予想できる。
だが、何はともあれ、今すぐに潰えてもおかしくなかった命を繋ぎ止めることができた、その事実に、千は安堵の息をついた。
「では、急ぎましょう。鬼の里へ」
手の甲でぐいと涙をぬぐい立ち上がった千に促され、彼らは再び京への道を歩み始めた。
*
『鳥羽伏見の戦いで瀕死の重傷を負った山崎は、江戸に向かう船の中で死亡し水葬された』
信頼できる筋によれば、山崎のその後に関してはそのように伝えられている――
君菊がもたらした情報は、そういった内容だった。
「そうか……もう新選組には、俺は必要ないのか」
「違うわ」
穏やかな日差しが降り注ぐ里の小道。
並んで歩いていた山崎と千は、同時に足を止めた。
変若水を飲んだ山崎だったが、今まで目にしてきた羅刹化した者たちとは異なり、太陽の光を苦痛に感じる、ということはなかった。
どうやら、千鶴から手渡された変若水は、人間を日の光に強い羅刹に変えるものであるようだった。
そしてそれは、作り出した山南ですら認識していなかった、研究の偶然の産物であったらしい。
その後、綱道が羅刹の弱点を克服すべく改良を重ね、同様の変若水を作り出すことに成功していた。
それを服用し生まれた、昼でも活動できる羅刹により、新選組が更なる苦境に立たされることを、今の山崎と千が知る由もなかった。
日中は眠りに就いていた山南や藤堂を思いながら、山崎は霞がかった空を仰いだ。
「実際、今の俺がこうして長らえていたところで、新選組にとっては何の役にも立たない。俺は、『過去、新選組に属していた』……ただそれだけの人間だ」
いや、人間というのも違うな……既に羅刹となった我が身を改めて思い知ったかのように、彼は皮肉めいた笑みを浮かべた。
首をゆっくり左右に振ると、千はすがるように山崎を見つめた。
「違う……違うわ。あなたは十分すぎるほどに責務を全うした……新選組に対する誠を貫きとおした。だからこそ、土方さんが認めてくださったのよ。『山崎は新選組のために立派に命を散らした』って」
千は山崎の袖を力なく掴んだ。
「そのまま散ることが本望だったと……あなたは私を恨んでいるかもしれない。けれど……罪を背負ってでも、私はあなたを助けたかったの」
小さく微笑んだ山崎は、千の右手をとって両手で包み込んだ。
「すまない……こうして触れることが出来るのも、思いを語り合えるのも、君があの時決断してくれたからだ。そのことには、素直に感謝している。だから、君が罪の意識に苛まれる必要は、これっぽっちもない」
不安げに見上げる千に向き合い、彼は言い聞かせるように続ける。
「俺のことで君が苦しむのなら、その方が俺はつらい。それに、君の声を聞くと……きっとこれでよかったのだ、という心持ちになる」
「……それは……あなたの記憶に馴染んだ声だから、かしら」
寂しげに瞳を瞬く千の両肩に手を置き、山崎はまっすぐ彼女に向き合った。
「そうじゃない。俺は、君の声が聞きたいんだ」
「山崎さん……」
「君がそう言ってくれるからこそ、俺はまだ生きていてよかったのだと……そう思えるんだ。羅刹であれ人間であれ、今俺がここに在る……その意味を肯定できるのは、君だけだ」
「そんなこと……あなたには、生きてほしいに決まってるわ。そして私は……」
千は、まっすぐに山崎の瞳を見据えた。
「私は、あなたと共に生きていきたい」
瞬きもせず、千の顔を見つめ返していた山崎は、やがてゆっくりと目をそらすと、両手を下ろして苦しげな表情を浮かべた。
「俺は……以前君に言った。『君の一族を照らす光になれ』と」
「ええ、覚えているわ」
「それなのに、俺は……。俺も、君と共に生きたいと……そう願っている。だが、そうなれば君の一族の血は……」
山崎の言葉に、千は静かに首を振った。
「ううん、いいの。それは覚悟の上よ。自分で決めた、自分の生き方だもの。それより……武士が潔く散るもの、と知っていながら、あなたを新選組から引き離してしまったことは……本当に申し訳なかったと思ってるわ」
「だからっ、それに関しては、君が謝る必要はない……「だったら、お互い様じゃない」」
ね?と同意を求めるように見上げる千に、山崎は思わず口をつぐむ。
そんな山崎に小さく笑みを向けてから、千は空を流れる雲に視線を投げた。
「それに、私はもう後戻りできないの」
「後戻りとは……一体どういう意味だろうか?」
山崎が真剣な表情で考え込んでいると、千は空を仰いだままつぶやいた。
「実はね……私も、飲んじゃったの」
「飲んだ……って、何を……あ、まさか……」
「変若水」
「な……!!」
「でも、ひとくちだけ、よ」
深刻な面持ちで言葉につまる山崎の正面に立ち、千は彼の手をとると、穏やかな笑みと共に言葉を紡いだ。
「だから、私たちは運命共同体。苦しみや悲しみは、二人で分かち合えば半分になるわ」
山崎の顔から、憂いが消えていく。
彼は、千の手をしっかりと握り直し、大きくうなずいた。
「ああ、そうだな。そしてきっと、喜びや幸せは、共に感じることで、倍になる」
だから、羅刹としての寿命が尽きるその日まで、二人で共に生きていこう――
「お願いがあるんだけれど」
「なんだろうか?」
「あなたのことを名前で……烝さんと呼ばせてほしいの」
山崎は柔らかく微笑んでから、はたと思いいたったように戸惑いの表情を浮かべた。
「そういえば……俺はまだ、君のことを名前で呼んだことが無かったな」
「ふふ、そう言われてみれば、そうだったわね。では……私のことも、名前で……千と呼んでちょうだい」
「ああ」
山崎は再び大きくうなずくと、千にまっすぐな眼差しを向ける。
「……千」
「なあに?烝さん」
微笑み答える千の髪を揺らしながら、二人の間を、あたたかな一陣の風が通り過ぎていった。
― 了 ―
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