鬼の姫異聞・弐~君の名を呼ぶ~
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時代は大きく動き出す。
慶応三年十月。
大政奉還が行われ、二百六十年にわたった徳川の時代は、終わりを告げた。
十二月には王政復古の大号令が発せられ、その後新選組は、伏見の警護に加わるため、不動堂村屯所から伏見奉行所へと移ることとなる。
そして慶応四年一月三日夕刻。
鳥羽伏見の戦いの火蓋が切られた。
伏見奉行所に布陣する幕軍に対し、高台の御香宮神社から、新政府軍が大砲による砲撃を加える。
永倉率いる決死隊が敵陣深くまで斬り込み奮戦するも、奉行所は、砲火を浴びて炎上。
撤退を余儀なくされた彼らは奉行所を後にした。
翌日。薩長軍が掲げた錦の御旗により、幕軍は賊軍となった。
後退しながらも、彼らは果敢に戦い続ける。
そして、淀千両松、橋本における戦い。
火力に勝る新政府軍の砲弾が飛び交う中、六番組組長の井上が戦死。
負傷者の救護を行いつつ戦っていた山崎も、やがて、その身に複数の銃弾を受けた。
―――霞んでゆく意識の中で、誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
『烝さん……』
――琴尾か?
――いや、違う。俺を呼んでいるのは……
ああ、死の間際には、それまでの人生が走馬灯のように駆け巡るというが、俺の一番の思い残しは、先だっての鬼の姫だったのだな……
そのまま彼は深い昏睡へと落ちていった。
淀城の入城拒否、藤堂藩による砲撃といった裏切りを受け、失意のうちに大坂城にたどり着いた新選組を待っていたのは、将軍徳川慶喜公が、既に江戸へ発ったという報せだった。
この後、彼らも、航路江戸へと向かうことになる。
* * *
大坂八軒屋、川岸の船着き場を見渡せる通りにたたずむ土方は、眉間に深い皺を刻み、押し黙ったまま空を見上げていた。
「土方さん」
気配もなく突然背後から聞こえた声に、彼は振り向いた。
そこに立っていたのは、およそ戦には似つかわしくない少女――自らを鬼と称し、いつぞや千鶴を訪ねてきた千姫だった。
「何の用だ?」
千は、その瞳に決意の色をにじませ、土方をまっすぐ見つめた。
「山崎さんを私に任せてください」
「なんだって?」
「戦の中では、十分な手当ては出来ません。あの激しい戦いで傷を負ったのなら、軽いものではないのでしょう?ならば……」
込み上げてくるものに言葉をつまらせながらも、彼女は気丈に続けた。
「出来る限りのことをします、山崎さんが助かれば、新選組のためにもなるのではありませんか!?」
無言のまま鋭く冷たい眼差しを千にぶつけていた土方は、やがて静かに口を開いた。
「何で鬼のあんたが、山崎を助けたいと思うんだ?」
当然予想された問いに、凛ととおる声で千は答えた。
「そうしたいから、というだけでは理由にはなりませんか?鬼にも、あなた方と同じように、誰かを大切に思うという感情があるんです」
燃えるような色を宿した眼差しで、土方を見据える千。
張りつめていた重い空気が、ほんの少しゆるんだ。
「ふん……山崎も隅におけねえな」
土方のつぶやきに、千は寂しそうに笑った。
「彼が見ているのは……私ではありません」
「それでも、あんたは山崎を連れて行きたいんだろ?」
「はい!一縷の望みに過ぎないかもしれません……けれど、私は彼を、このまま死なせたくない」
一旦、口を結んだ土方は、小さく息を吐いた。
「あいつが……山崎本人が、それを望まなかったらどうする?」
一瞬言葉につまり、唇を噛んだ千だったが、すぐに顔を上げ、土方を睨み付けるように言った。
「力ずくでも、連れて行きます」
まっすぐ言い切ってから、しかし千は、一抹の迷いを抱えるように、ほんの少し声の調子を落とした。
「そして……生き長らえることこそが、新選組のためになると……いつか……そう思ってもらえたら……」
*
「…………ついてこい」
しばし無言のまま千を見つめていた土方は、やがて、そう言って踵を返した。
慌てて後を追った千は、一軒の宿の前で、ようやく立ち止まった土方に追いついた。
彼は振り返ると「待ってろ」と言葉を残し、建物の中へと姿を消した。
ほどなく現れたのは、千鶴だった。
「千鶴ちゃん!」
「お千ちゃん……」
千鶴の暗い表情が、新選組の置かれた窮状、そして山崎の容態が思わしくないことを物語っていた。
「お千ちゃん、これを」
歩み寄った千鶴が差し出した浅葱色の巾着袋を、千は大事そうに受け取った。
「新選組の羽織と同じ布ね」
「隊服を繕う端切れで作ったの。私が使っていたもので申し訳ないんだけど……山崎さんが、いつでも新選組と一緒だっていう証に、お千ちゃんに持っていてほしいと思って」
「……うん、ありがとう。大切に預かるわね」
手の中の巾着の固く重い感触に気づき、千は真剣な眼差しを千鶴に向けた。
「千鶴ちゃん……もしかしたら、これは……」
千鶴はゆっくりうなずくと、静かに唇を開いた。
「山崎さんの状況は、私から見ても厳しい……だから、お千ちゃん、あなたに全てを託します」
瞬きもせず見つめる千を、千鶴が見つめ返した。
「新選組は誠の道を進む……たとえ散る定めでも。お千ちゃんも、自分の信じた道を歩いていってね」
千鶴の瞳が涙で揺れる。
まっすぐな視線を返し、千が毅然とした笑顔をみせた。
「ありがとう、千鶴ちゃん!絶対にまた、生きて会いましょうね」
「もちろん。……山崎さんも一緒にね」
「ええ。千鶴ちゃんも……そしてあなたの大切な人も、新選組の皆さんもね」
大きくうなずいてから、千鶴は込み上げる何かを抑えるように、口を開く。
「それから……土方さんからの言伝なんだけど……『くれぐれもよろしく頼む』って」
「あら……私、直接お礼を言いそびれちゃった」
ちょっぴり困ったように笑ってみせてから、千は千鶴の手をとった。
「土方さんに伝えてください。『こちらこそ、我が侭をきいていただいて本当に感謝してます、山崎さんのことは、安心して任せてください』……そう、伝えてちょうだい」
土方が再びは姿を現さないことを察し、千はつとめて明るく言った。
だが、多分もう、二度と彼には会えないのだろう……そんな予感が胸の奥をチクリと刺した。
*
慶応三年十月。
大政奉還が行われ、二百六十年にわたった徳川の時代は、終わりを告げた。
十二月には王政復古の大号令が発せられ、その後新選組は、伏見の警護に加わるため、不動堂村屯所から伏見奉行所へと移ることとなる。
そして慶応四年一月三日夕刻。
鳥羽伏見の戦いの火蓋が切られた。
伏見奉行所に布陣する幕軍に対し、高台の御香宮神社から、新政府軍が大砲による砲撃を加える。
永倉率いる決死隊が敵陣深くまで斬り込み奮戦するも、奉行所は、砲火を浴びて炎上。
撤退を余儀なくされた彼らは奉行所を後にした。
翌日。薩長軍が掲げた錦の御旗により、幕軍は賊軍となった。
後退しながらも、彼らは果敢に戦い続ける。
そして、淀千両松、橋本における戦い。
火力に勝る新政府軍の砲弾が飛び交う中、六番組組長の井上が戦死。
負傷者の救護を行いつつ戦っていた山崎も、やがて、その身に複数の銃弾を受けた。
―――霞んでゆく意識の中で、誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
『烝さん……』
――琴尾か?
――いや、違う。俺を呼んでいるのは……
ああ、死の間際には、それまでの人生が走馬灯のように駆け巡るというが、俺の一番の思い残しは、先だっての鬼の姫だったのだな……
そのまま彼は深い昏睡へと落ちていった。
淀城の入城拒否、藤堂藩による砲撃といった裏切りを受け、失意のうちに大坂城にたどり着いた新選組を待っていたのは、将軍徳川慶喜公が、既に江戸へ発ったという報せだった。
この後、彼らも、航路江戸へと向かうことになる。
* * *
大坂八軒屋、川岸の船着き場を見渡せる通りにたたずむ土方は、眉間に深い皺を刻み、押し黙ったまま空を見上げていた。
「土方さん」
気配もなく突然背後から聞こえた声に、彼は振り向いた。
そこに立っていたのは、およそ戦には似つかわしくない少女――自らを鬼と称し、いつぞや千鶴を訪ねてきた千姫だった。
「何の用だ?」
千は、その瞳に決意の色をにじませ、土方をまっすぐ見つめた。
「山崎さんを私に任せてください」
「なんだって?」
「戦の中では、十分な手当ては出来ません。あの激しい戦いで傷を負ったのなら、軽いものではないのでしょう?ならば……」
込み上げてくるものに言葉をつまらせながらも、彼女は気丈に続けた。
「出来る限りのことをします、山崎さんが助かれば、新選組のためにもなるのではありませんか!?」
無言のまま鋭く冷たい眼差しを千にぶつけていた土方は、やがて静かに口を開いた。
「何で鬼のあんたが、山崎を助けたいと思うんだ?」
当然予想された問いに、凛ととおる声で千は答えた。
「そうしたいから、というだけでは理由にはなりませんか?鬼にも、あなた方と同じように、誰かを大切に思うという感情があるんです」
燃えるような色を宿した眼差しで、土方を見据える千。
張りつめていた重い空気が、ほんの少しゆるんだ。
「ふん……山崎も隅におけねえな」
土方のつぶやきに、千は寂しそうに笑った。
「彼が見ているのは……私ではありません」
「それでも、あんたは山崎を連れて行きたいんだろ?」
「はい!一縷の望みに過ぎないかもしれません……けれど、私は彼を、このまま死なせたくない」
一旦、口を結んだ土方は、小さく息を吐いた。
「あいつが……山崎本人が、それを望まなかったらどうする?」
一瞬言葉につまり、唇を噛んだ千だったが、すぐに顔を上げ、土方を睨み付けるように言った。
「力ずくでも、連れて行きます」
まっすぐ言い切ってから、しかし千は、一抹の迷いを抱えるように、ほんの少し声の調子を落とした。
「そして……生き長らえることこそが、新選組のためになると……いつか……そう思ってもらえたら……」
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「…………ついてこい」
しばし無言のまま千を見つめていた土方は、やがて、そう言って踵を返した。
慌てて後を追った千は、一軒の宿の前で、ようやく立ち止まった土方に追いついた。
彼は振り返ると「待ってろ」と言葉を残し、建物の中へと姿を消した。
ほどなく現れたのは、千鶴だった。
「千鶴ちゃん!」
「お千ちゃん……」
千鶴の暗い表情が、新選組の置かれた窮状、そして山崎の容態が思わしくないことを物語っていた。
「お千ちゃん、これを」
歩み寄った千鶴が差し出した浅葱色の巾着袋を、千は大事そうに受け取った。
「新選組の羽織と同じ布ね」
「隊服を繕う端切れで作ったの。私が使っていたもので申し訳ないんだけど……山崎さんが、いつでも新選組と一緒だっていう証に、お千ちゃんに持っていてほしいと思って」
「……うん、ありがとう。大切に預かるわね」
手の中の巾着の固く重い感触に気づき、千は真剣な眼差しを千鶴に向けた。
「千鶴ちゃん……もしかしたら、これは……」
千鶴はゆっくりうなずくと、静かに唇を開いた。
「山崎さんの状況は、私から見ても厳しい……だから、お千ちゃん、あなたに全てを託します」
瞬きもせず見つめる千を、千鶴が見つめ返した。
「新選組は誠の道を進む……たとえ散る定めでも。お千ちゃんも、自分の信じた道を歩いていってね」
千鶴の瞳が涙で揺れる。
まっすぐな視線を返し、千が毅然とした笑顔をみせた。
「ありがとう、千鶴ちゃん!絶対にまた、生きて会いましょうね」
「もちろん。……山崎さんも一緒にね」
「ええ。千鶴ちゃんも……そしてあなたの大切な人も、新選組の皆さんもね」
大きくうなずいてから、千鶴は込み上げる何かを抑えるように、口を開く。
「それから……土方さんからの言伝なんだけど……『くれぐれもよろしく頼む』って」
「あら……私、直接お礼を言いそびれちゃった」
ちょっぴり困ったように笑ってみせてから、千は千鶴の手をとった。
「土方さんに伝えてください。『こちらこそ、我が侭をきいていただいて本当に感謝してます、山崎さんのことは、安心して任せてください』……そう、伝えてちょうだい」
土方が再びは姿を現さないことを察し、千はつとめて明るく言った。
だが、多分もう、二度と彼には会えないのだろう……そんな予感が胸の奥をチクリと刺した。
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