鬼の姫異聞・壱~守りたいもの~
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「そう……」
呟いたきり口をつぐんだ千に、何故か山崎の心は揺れた。
千に初めて会ったあの日から、静かに胸の奥にくすぶるざわめき。
――このまま気付かないふりをして、やり過ごせばよい――
そう考える冷静な自分に相対する、もうひとつの想い。
ぬるくなった茶をひと口啜り、湯飲みを手に視線を落としていた山崎は、やがて決心したかのように顔を上げた。
「ひとつ……頼んでもよいだろうか」
「あら、何かしら?私にできること?」
「あ……いや……」
口ごもった山崎は、自分を叱咤した。
この期に及んで臆するなど、男の恥。
えーい、ままよ……
「『山崎さん』ではなく、名前で……『すすむ』という名で呼んでみてほしい」
予想外の申し出に目を瞬いた千は、山崎の真意をあえて詮索はせず、明るい声で答えた。
「いいわ。そんなのおやすいご用よ……それじゃあ」
「ああ、頼む」
「……烝さん」
「!!」
山崎は思わず目を閉じた。
――琴尾――
いつ何時命を失うやもしれない覚悟で、新選組に入隊を決意した。
あの時、完全に気持ちを断ち切ってきたはずだというのに……。
琴尾は――
姿形はどことなく千鶴に似ていた。
そして、声の調子や話し方、そしてまっすぐな眼差しが、千にそっくりな女だった。
――彼女と同じ声に、こうも心が揺れるとは、俺もまだまだ、ということだな――
山崎は、口の端で微笑むと、穏やかな表情で目を開いた。
「もう一度……呼んでもらえないか」
今度は、まっすぐに声の主を見つめる。
一瞬瞳を揺らしてから、千は静かに口を開く。
「烝さん……あなたの守りたいものは、どこにあるのかしら?」
「……俺の……守りたいもの?」
「ええ」
「俺は――」
射抜くような眼差しで見つめる千から、一旦視線をそらした山崎は、キッと顔を上げ、再び彼女の目を見つめると、声に力を込めた。
「今の、そしてこれからの俺は、すべて新選組のためにある。俺が守るべきものは新選組……そして、隊を束ねる近藤局長、土方副長に他ならない」
「新選組が、山崎さんのすべて……」
「そのとおりだ」
毅然と言い放つ山崎に、千は確かめるように言葉を重ねた。
「迷いはないのね、新選組と運命を共にすることに」
「ああ」
張りつめた空気を破るように、千が晴れやかな笑みを浮かべた。
「だったら……応援するわ、あなたが誠を貫けるよう」
思いもかけぬ言葉に、山崎は目を見開いた。
傾きかけた日を仰ぎながら、千は静かな決意を言葉にする。
「山崎さんが新選組を守るように……。私は、鈴鹿御前の末裔として、誇り高き鬼の血筋を守っていくつもりよ」
「姫様、そろそろ……そちら様にも任務がおありなのでは?」
君菊の控えめな、しかし凛とした声に、二人は顔を見合わせた。
「すまない、ずいぶんと長居をしてしまったようだ」
「いいえ、こちらこそ引き留めてしまって、ごめんなさいね」
立ち上がった二人は、無言のまま元来た道をたどった。
再び靄に包まれて一条戻橋を渡り終える。
どちらからともなく立ち止まり、正面から向かい合った。
偶然行き逢った一時前とは違う、確信に満ちた目で見つめ合う。
「俺は命ある限り、新選組の影となる。君は、君の一族を照らす光であってくれ」
「ええ……目指すものは違っても、己の信じる道を行きましょう。そして……またいつか会えるといいわね。お互い、大切なものを守り抜いた後に」
山崎は淡い微笑みとともにうなずく。
笑みを返して、千は彼に背を向けた。
覚えのある空気の匂いと温度に、山崎は我に返った。
辺りを見渡せば、橋のこちらにも向こうにも、見知った景色が広がっている。
――俺は、あの声で許されたかったのだな…――
『帰りを待つ』と自分を見送る女に、『必ず戻る』とも『待つな』とも言えなかった。
――ああ、願わくば……
琴尾、君には、斬った張ったとは縁のない平穏な場所で、幸せになっていてほしい――
橋の向こうに消えていく千の後ろ姿を見つめながら、山崎は、沸き上がる様々な想いを噛みしめるのだった。
*
呟いたきり口をつぐんだ千に、何故か山崎の心は揺れた。
千に初めて会ったあの日から、静かに胸の奥にくすぶるざわめき。
――このまま気付かないふりをして、やり過ごせばよい――
そう考える冷静な自分に相対する、もうひとつの想い。
ぬるくなった茶をひと口啜り、湯飲みを手に視線を落としていた山崎は、やがて決心したかのように顔を上げた。
「ひとつ……頼んでもよいだろうか」
「あら、何かしら?私にできること?」
「あ……いや……」
口ごもった山崎は、自分を叱咤した。
この期に及んで臆するなど、男の恥。
えーい、ままよ……
「『山崎さん』ではなく、名前で……『すすむ』という名で呼んでみてほしい」
予想外の申し出に目を瞬いた千は、山崎の真意をあえて詮索はせず、明るい声で答えた。
「いいわ。そんなのおやすいご用よ……それじゃあ」
「ああ、頼む」
「……烝さん」
「!!」
山崎は思わず目を閉じた。
――琴尾――
いつ何時命を失うやもしれない覚悟で、新選組に入隊を決意した。
あの時、完全に気持ちを断ち切ってきたはずだというのに……。
琴尾は――
姿形はどことなく千鶴に似ていた。
そして、声の調子や話し方、そしてまっすぐな眼差しが、千にそっくりな女だった。
――彼女と同じ声に、こうも心が揺れるとは、俺もまだまだ、ということだな――
山崎は、口の端で微笑むと、穏やかな表情で目を開いた。
「もう一度……呼んでもらえないか」
今度は、まっすぐに声の主を見つめる。
一瞬瞳を揺らしてから、千は静かに口を開く。
「烝さん……あなたの守りたいものは、どこにあるのかしら?」
「……俺の……守りたいもの?」
「ええ」
「俺は――」
射抜くような眼差しで見つめる千から、一旦視線をそらした山崎は、キッと顔を上げ、再び彼女の目を見つめると、声に力を込めた。
「今の、そしてこれからの俺は、すべて新選組のためにある。俺が守るべきものは新選組……そして、隊を束ねる近藤局長、土方副長に他ならない」
「新選組が、山崎さんのすべて……」
「そのとおりだ」
毅然と言い放つ山崎に、千は確かめるように言葉を重ねた。
「迷いはないのね、新選組と運命を共にすることに」
「ああ」
張りつめた空気を破るように、千が晴れやかな笑みを浮かべた。
「だったら……応援するわ、あなたが誠を貫けるよう」
思いもかけぬ言葉に、山崎は目を見開いた。
傾きかけた日を仰ぎながら、千は静かな決意を言葉にする。
「山崎さんが新選組を守るように……。私は、鈴鹿御前の末裔として、誇り高き鬼の血筋を守っていくつもりよ」
「姫様、そろそろ……そちら様にも任務がおありなのでは?」
君菊の控えめな、しかし凛とした声に、二人は顔を見合わせた。
「すまない、ずいぶんと長居をしてしまったようだ」
「いいえ、こちらこそ引き留めてしまって、ごめんなさいね」
立ち上がった二人は、無言のまま元来た道をたどった。
再び靄に包まれて一条戻橋を渡り終える。
どちらからともなく立ち止まり、正面から向かい合った。
偶然行き逢った一時前とは違う、確信に満ちた目で見つめ合う。
「俺は命ある限り、新選組の影となる。君は、君の一族を照らす光であってくれ」
「ええ……目指すものは違っても、己の信じる道を行きましょう。そして……またいつか会えるといいわね。お互い、大切なものを守り抜いた後に」
山崎は淡い微笑みとともにうなずく。
笑みを返して、千は彼に背を向けた。
覚えのある空気の匂いと温度に、山崎は我に返った。
辺りを見渡せば、橋のこちらにも向こうにも、見知った景色が広がっている。
――俺は、あの声で許されたかったのだな…――
『帰りを待つ』と自分を見送る女に、『必ず戻る』とも『待つな』とも言えなかった。
――ああ、願わくば……
琴尾、君には、斬った張ったとは縁のない平穏な場所で、幸せになっていてほしい――
橋の向こうに消えていく千の後ろ姿を見つめながら、山崎は、沸き上がる様々な想いを噛みしめるのだった。
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