宵桜
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夕餉も済み一段落ついた、ある日の新選組屯所。
自室に戻ろうと廊下を歩いていた斎藤は、玄関に向かう千鶴の後ろ姿を目にして立ち止まった。
「こんな時間に一体……?」
無意識に柱の陰に身を隠して様子を見ていると、千鶴は辺りを窺うように見渡してから、音を立てずに玄関を出ていった。
「まさか、一人で外へ行くつもりか!?」
彼女を追い、斎藤が駈け出そうとしたその時
「一君!」
背後から、ふいに聞こえるにぎやかな声。
「平助か……」
ため息とともにつぶやきながら、斎藤は仕方なく立ち止まった。
まっすぐな廊下を、平助が斎藤に向かって小走りに近づいてくる。
「めっずらしく新八っつあんが、おごってくれるんだってさ。一君も一緒に行こうぜ?」
平助はニカッと嬉しそうに笑う。
「何事かと思えば……」
斎藤は小さく息を吐いてから、鋭い眼差しを上げた。
「すまない、俺は火急の用があるのだ」
「そっか……んじゃ、千鶴に声かけてみっかな「そうだ、雪村!」」
「え??なに?千鶴がどうしたって?」
疑問符をたくさん浮かべる平助に、斎藤は急いで背を向ける。
「あ!ちょっ……一君!?」
玄関を飛び出した斎藤は、千鶴の背中を探した。
だが、時既に遅し。
どこを見ても、彼女の姿はなかった。
斎藤は、くまなく辺りを見回しながら、勘の告げるままに走る。
しかし、碁盤の目のように道が格子状に入り組む京の町で、行き先のわからない相手を探し出すことは、容易ではない。
たとえ互いがすぐ近くにいたとしても、ほんの一瞬頃合いが違ってしまえば、行き合うことは至難の業だ。
「闇雲に探し回っても、時間の無駄だな」
確か千鶴は身一つだったはずだから、ほんのちょっとの外出なのだろう。
……それにしても、無防備過ぎる。
男装しているとはいえ、実際彼女は、か弱い女子なのだ。
斎藤は、額に手を当てると空を仰いだ。
昼間の名残を留めていた空の色が、宵の闇に変わっていく。
『もしかしたら、俺がこうしている間に、雪村は既に戻ったのやもしれぬ……』
彼はひとまず屯所に戻ることにした。
念のため、先ほどは通らなかった屯所の裏手の通りへと足を進める。
『そういえばさっき、平助が雪村の名を口にしていたな……』
ふとそんなことを思い出した斎藤は、屯所の方角に視線を向けた。
途端、彼の目に映ったのは、満開の桜を見上げる千鶴の姿だった。
「灯台もと暗しとは、このことか……」
時折吹く強い風に、桜の花びらが舞い散る。
はらはらと降り注ぐ花吹雪の只中にたたずむ千鶴を、声もなく見つめていた斎藤は、はっと我に返った。
「雪村」
「あ、斎藤さん!」
「こんな所で何をしている?」
叱責に近い斎藤の口調に、千鶴は申し訳なさそうに目を伏せた。
「あの……桜を見に来たんです。暖かくなってきて散り急いでしまいそうだったので、日が完全に落ちてしまう前に、と思いまして」
「ならば、誰かに声をかければいい。一人で屯所を出るのがどういうことか、わかっているだろう」
不機嫌そうに目を伏せため息をつく斎藤に、「すみません」と繰り返し小さくなる千鶴。
「今回は何もなかったからいいようなものの……一人の時に不逞浪士に遭遇したらどうするつもりだったんだ」
「ここなら屯所からそう離れていませんので、とりたてて出かける、というつもりではなかったんです……でも、結果的に斎藤さんにご迷惑をおかけしてしまって……。すみません、浅はかでした」
深々と下げられた千鶴の頭に、薄紅の花びらが舞い降りる。
その光景ののどかさと、必死に謝る千鶴の対照的な様に、斎藤は苦笑する。
ゆっくり顔を上げた千鶴は、斎藤の微笑みが予想外だったのか、目を丸くして立ち尽くした。
斎藤は、宵の空に白く映える桜を見上げた。
千鶴もそれに倣う。
花弁を巻き込みながら、一陣の風が吹く。
「綺麗だな……」
「はい、この時間には、昼間とはまた違った趣きがありますよね」
「いや……」
「?」
首を傾げる千鶴に、斎藤は再び淡く微笑んだ。
「そろそろ帰るぞ」
「はい!」
まるで桜から抜け出てきたような、あんたを綺麗だと思ったのだ―
胸の内でそうつぶやいた斎藤は、もう一度桜と千鶴に目をやってから、屯所への道を歩き始めた。
*
自室に戻ろうと廊下を歩いていた斎藤は、玄関に向かう千鶴の後ろ姿を目にして立ち止まった。
「こんな時間に一体……?」
無意識に柱の陰に身を隠して様子を見ていると、千鶴は辺りを窺うように見渡してから、音を立てずに玄関を出ていった。
「まさか、一人で外へ行くつもりか!?」
彼女を追い、斎藤が駈け出そうとしたその時
「一君!」
背後から、ふいに聞こえるにぎやかな声。
「平助か……」
ため息とともにつぶやきながら、斎藤は仕方なく立ち止まった。
まっすぐな廊下を、平助が斎藤に向かって小走りに近づいてくる。
「めっずらしく新八っつあんが、おごってくれるんだってさ。一君も一緒に行こうぜ?」
平助はニカッと嬉しそうに笑う。
「何事かと思えば……」
斎藤は小さく息を吐いてから、鋭い眼差しを上げた。
「すまない、俺は火急の用があるのだ」
「そっか……んじゃ、千鶴に声かけてみっかな「そうだ、雪村!」」
「え??なに?千鶴がどうしたって?」
疑問符をたくさん浮かべる平助に、斎藤は急いで背を向ける。
「あ!ちょっ……一君!?」
玄関を飛び出した斎藤は、千鶴の背中を探した。
だが、時既に遅し。
どこを見ても、彼女の姿はなかった。
斎藤は、くまなく辺りを見回しながら、勘の告げるままに走る。
しかし、碁盤の目のように道が格子状に入り組む京の町で、行き先のわからない相手を探し出すことは、容易ではない。
たとえ互いがすぐ近くにいたとしても、ほんの一瞬頃合いが違ってしまえば、行き合うことは至難の業だ。
「闇雲に探し回っても、時間の無駄だな」
確か千鶴は身一つだったはずだから、ほんのちょっとの外出なのだろう。
……それにしても、無防備過ぎる。
男装しているとはいえ、実際彼女は、か弱い女子なのだ。
斎藤は、額に手を当てると空を仰いだ。
昼間の名残を留めていた空の色が、宵の闇に変わっていく。
『もしかしたら、俺がこうしている間に、雪村は既に戻ったのやもしれぬ……』
彼はひとまず屯所に戻ることにした。
念のため、先ほどは通らなかった屯所の裏手の通りへと足を進める。
『そういえばさっき、平助が雪村の名を口にしていたな……』
ふとそんなことを思い出した斎藤は、屯所の方角に視線を向けた。
途端、彼の目に映ったのは、満開の桜を見上げる千鶴の姿だった。
「灯台もと暗しとは、このことか……」
時折吹く強い風に、桜の花びらが舞い散る。
はらはらと降り注ぐ花吹雪の只中にたたずむ千鶴を、声もなく見つめていた斎藤は、はっと我に返った。
「雪村」
「あ、斎藤さん!」
「こんな所で何をしている?」
叱責に近い斎藤の口調に、千鶴は申し訳なさそうに目を伏せた。
「あの……桜を見に来たんです。暖かくなってきて散り急いでしまいそうだったので、日が完全に落ちてしまう前に、と思いまして」
「ならば、誰かに声をかければいい。一人で屯所を出るのがどういうことか、わかっているだろう」
不機嫌そうに目を伏せため息をつく斎藤に、「すみません」と繰り返し小さくなる千鶴。
「今回は何もなかったからいいようなものの……一人の時に不逞浪士に遭遇したらどうするつもりだったんだ」
「ここなら屯所からそう離れていませんので、とりたてて出かける、というつもりではなかったんです……でも、結果的に斎藤さんにご迷惑をおかけしてしまって……。すみません、浅はかでした」
深々と下げられた千鶴の頭に、薄紅の花びらが舞い降りる。
その光景ののどかさと、必死に謝る千鶴の対照的な様に、斎藤は苦笑する。
ゆっくり顔を上げた千鶴は、斎藤の微笑みが予想外だったのか、目を丸くして立ち尽くした。
斎藤は、宵の空に白く映える桜を見上げた。
千鶴もそれに倣う。
花弁を巻き込みながら、一陣の風が吹く。
「綺麗だな……」
「はい、この時間には、昼間とはまた違った趣きがありますよね」
「いや……」
「?」
首を傾げる千鶴に、斎藤は再び淡く微笑んだ。
「そろそろ帰るぞ」
「はい!」
まるで桜から抜け出てきたような、あんたを綺麗だと思ったのだ―
胸の内でそうつぶやいた斎藤は、もう一度桜と千鶴に目をやってから、屯所への道を歩き始めた。
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