眠気に勝るものはなし
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薄桜学園保健室。
山崎目線―――
「では山崎君、私が留守の間のこと、よろしく頼みますね」
「はい、承知しました」
もうすぐ昼休みが終わろうかという、うららかな昼下がり。
今日は午後から山南先生が出張に出かけるため、保健室が空っぽになってしまう。
そこで、山南先生の右腕を自負する保健委員の俺が、先生の留守をあずかることになったのだ。
「三時限目の終わりから、一年一組の雪村君がベッドで休んでいます。単なる睡眠不足のようですから、そのまま寝かせておけばよろしいかと思いますが」
「わかりました、本人が起きてくるまで放置しておきます」
山南先生は「くれぐれもお願いします」と柔らかく微笑み、俺に背を向けた。
保健室のドアの向こうに山南先生の姿が消え、足音が遠ざかっていく。
廊下から人の気配が完全に消えると、俺は立ち上がった。
保健室の留守番という大役を仰せつかったのだ、立派にその務めを果たさねばなるまい。
………
…………………
………まずは、確認だ。
ベッドを囲むカーテンに指をかけ、ほんの少しの隙間から雪村君の姿を見つめる。
元々ここのベッドには、視界を遮るものなどなかったのだが、今年初めての女子生徒が入学するにあたり、二つあるベッドをそれぞれ囲むように、天井からカーテンが取り付けられたのだ。
彼女の寝姿を遠目ながらも目に焼き付けてから、俺は寸分の隙間もなくカーテンを閉めた。
無防備に眠る彼女を、今守れるのは俺だけだ。
不逞の男子生徒の侵入などは、なにがなんでも防がなければならない。
使命感に燃えながら、俺は、やりかけになっていた資料の整理を始めた。
ほどなく、不吉な足音が近づいて来た。
入り口の引き戸に顔を向けた途端、ガラリと音を立てて、願わくば会いたくなかった人物が顔を覗かせた。
「山南さ~……っと、あれ?山崎君だけ?」
「俺だけで悪かったですね。山南先生は出張で、俺が留守をあずかっていますが」
ふ~ん……と気のなさそうな返事をよこす沖田に、訝しげな視線を突き刺すと、ヤツはひるむどころか挑戦的な視線を返してきた。
「千鶴ちゃん具合でも悪いの?一年一組の教室に行ったら、保健室だって」
「……ん……だれ……?」
半分寝惚けたような甘い声が、カーテンの向こうから聞こえた。
瞬間、俺の防御より素早く、沖田がカーテンをめくり、ベッドの脇に滑り込んだ。
こ、こいつ……
仕方なく俺もカーテンの内側に歩み入り、沖田の反体側に立つ。
雪村君に注いでいた眼差しを俺に向け直した沖田は、真っ黒な笑みをたたえながら言う。
「もうすぐ午後の授業が始まるし、山崎君、教室に戻らなくちゃならないでしょ?千鶴ちゃんのことは、僕がちゃんと見ててあげるから安心して」
「俺のことなら、ご心配には及びません。仕事ですから」
一体こいつは、何を調子のいいことを言っているんだ!?
保健委員の俺が教室に戻り、代わりに無関係のしかも男がここに残るなど、誰がどう考えたって不自然だ。
そんなことすらわからないほど、この男はバカなのか?
雪村君の肩に毛布をかけ直しながら、俺は沖田に鋭い視線を向けた。
「俺が責任をもって雪村君を看病しますから、そっちこそ授業に戻ったらどうですか」
「ふーん……僕じゃ信用できないってわけ?」
「当然です」
不満そうに唇をとがらせる沖田に、俺は冷ややかに言い放った。
だが、そんな俺の牽制などものともせず、沖田のやつは「どれどれ」と言いながら雪村君の額に手を伸ばした。
「うん、熱はないみたいだね。じゃ、僕が添い寝しててあげるから、山崎君は心置きなく教室に戻りなよ?」
「あんたは!人の話を聞いてないのか!?」
「……やま……せんぱ……」
思わず大声を出してしまった俺は、慌てて自分の口を手で押さえる。
「………………スゥ」
何事もなかったかのように再び聞こえ始めた寝息に、ホッと胸を撫で下ろす。
「内線で土方先生をお呼びしてやろうか?」
俺が丁寧に申し出てやると、沖田は嫌みったらしい笑顔を浮かべた。
「まあ、仕方ないな。千鶴ちゃんの可愛い寝顔、土方さんにまで見せるのは癪だからね」
僕はひとまず退散するよ、そう言いながらヒラヒラと手を振り、天然危険物沖田はめでたく保健室から出ていった。
*
二年二組の教室。
午後最初の授業は古文だ。
今日は、山南以外にも出張の教師がいるため、一組の生徒の半分が二組の教室に机と椅子を運び込み、すし詰め状態になっている。
一組の残り半分は三組との合同授業だ。
土方の命でてきぱきと指揮を出す斎藤には逆らえず、一組所属の沖田は、仕方なく隣の教室に机を運び込んだ。
おとなしく教室を移動した沖田は、とりあえず席についてはいるものの、机にほおづえをついて大きなため息をついている。
「別に、無理やり授業受けさせなくたって、一組は自習でよかったのに」
「総司!もうチャイムは鳴ったんだぞ。なんだ、その姿勢は」
チョークが飛んで来そうな土方の叱責も、沖田にとっては暖簾に腕押し糠に釘。
「ところで土方先生、山崎君大丈夫ですかねぇ?」
「山崎のことは、山南さんから聞いてる。山南さんの留守中、保健室の番人してるんだろ?」
「千鶴ちゃんと二人きりなんですよ?心配じゃないですか」
「山崎なら心配ない。おまえじゃあるまいし、あいつなら堅実に職務を全うする」
「いくら山崎君でも、若い男女が密室に……」
沖田は勢いよく立ち上がった。
「千鶴ちゃんが心配だから、やっぱり僕見てきます」
土方は腕組みをしながら、ゆっくりと沖田に歩み寄る。
「総司、おまえの言いたいことは、よ~くわかった」「それじゃあ……」
組んでいた腕をスルリと解くと、土方は、沖田の机を右手でバンッと叩いた。
「わかったから、四の五の言わずに早く教科書とノートを出せ!」
「え~!千鶴ちゃんが心配じゃないんですか!?」
「心配なのは、おまえの思考回路だ。……斎藤!」
「はっ、早速保健室に行ってきます」
言うが早いか、斎藤は風のように颯爽と教室を出ていった。
さて、その頃保健室では……
*
こちらは保健室。
再び山崎目線―――
沖田に邪魔され中断していた資料の整理も片付き、俺は、救急医学についての本をめくっていた。
勉強のために好きな本を読んでいいと、山南先生から許可を頂いているものの、普段は雑務に忙しく、なかなかゆっくり書物を手にとる機会もない。
だから、今日のようにまとまった時間がとれるのは、ありがたいことだ。
読書に没頭していた俺だが、ふと集中力が途切れ顔を上げた。
カーテンの向こうから、物音が聞こえる。
苦しげな、うめき声のような……
俺は思わず駆け寄った。
「どうした?大丈夫か!?」
「た……すけ……」
何事かと彼女を注視するが、どう見ても眠っているようにしか見えない。
ということは……恐い夢でも見ているのだろうか?
雪村君は、寝言で助けを請いながら、力なく右手を伸ばしてきた。
そして、あろうことか俺は、寝ぼけた彼女が差し伸べてきた手をとってしまった。
眠っているからか、ぽかぽかと温かいその手を、俺は両手でそっと包み込む。
彼女は、それだけで安心したのか、腕の力をパタリと抜いて、再び深い眠りに落ちる。
……触れたい。
手だけでなく、雪村君の桜色の頬にも、艶やかに流れる髪にも、それから、甘そうな果実のような唇にも……
触れたいのはやまやまだが、男子ならば自然であると思われる欲望たちを理性で押し留め、俺は、彼女の手を毛布の中に戻した。
こういう時は、為すべきことに没頭するに限る。
薬品棚を開き、在庫と使用期限のチェックを始めた。
『トントン』
控え目なノックの音に目を向ければ、静かに引き戸を開けて風紀委員長である斎藤さんが入ってきた。
「保健委員の務め、ご苦労だな。で、雪村の具合はどうだ?」
「まだ眠っているようですが、大事ないと思います」
「そうか、それはよかった。では俺は授業に戻る故、後は頼む」
「……なぜ斎藤さんがここに?」
おおかたの予想はつく。
すきあらば雪村君にあんなことやこんなことを……と考えているであろう、不埒な沖田が大騒ぎしたのに違いない。
「土方先生のご命令だ」
「土方先生の?……俺はてっきり、沖田の差し金かと」
「ああ、いや……原因は総司だ」
その口ぶりから、彼がここにやって来た経緯が何となく想像できてしまった。
それにしても……
同じ男でも、沖田とはこうもタイプが異なるものか。
しかし、いくらストイックに見えても斎藤さんだって男だ。
カーテンの向こう側が、多少気になっているようだ。
もちろん、そんな素振りは見せないが。
あえてベッドが視界に入らないよう立ち去ろうとする彼にならば、雪村君の天使のようなあどけない寝顔を見せてやっても構わないか……
すっかり雪村君の保護者のような心持ちで、口を開きかけたその時
ドサッ
突然聞こえた鈍い音に、俺たちは慌ててカーテンを開けてベッドに駆け寄った……
が、ベッドの上には彼女の姿はなく、床に目を移せば、雪村君が転がっていた。
普通の人間であれば、これだけの衝撃に目を覚まさないはずがない。
だが、床に横たわる彼女は、身動きひとつしていない。
もしや、落ちた時に頭を強打し、意識を失ったのでは……!?
「雪村君っ!!」「大丈夫か!!?」
斎藤さんとともに、彼女を覗き込み、頭を動かさないように、上体をそっと抱き起こす。
「雪村君、大丈夫か」
彼女の耳元で声をかけた。
すると……
「……わぁ……山崎……せ……」
薄く目を開いた彼女は“にへら”と笑ったかと思うと、むにゃむにゃ言いながら幸せそうに目を閉じた。
再び、気持ち良さそうな寝息が始まる。
「「…………」」
俺たちは無言のまま彼女の上体と脚をそれぞれ持ち上げ、ベッドに戻した。
「では、俺はこれで失礼する」
何事もなかったかのように斎藤さんがこちらに背を向ける。
「あ、ああ……土方先生には、問題ないと伝えてください」
「承知した」
その語尾に噛み殺された笑いが含まれていたように感じられたのは、気のせいではないだろう。
のどかな時間が過ぎてゆく。
薄い布で隔てられているとはいえ、同じ空間に想いを寄せる相手が眠っているという幸せ。
俺はしみじみと、その喜びを噛みしめたのだった。
放課後になり、再び沖田が襲撃してくるまでは……。
(結局、雪村君は、辺りがすっかり暗くなり山南先生が戻られるまで、ぐっすりと眠り続けた。
一体、何をそんなに夜更かししたのだろう?)
*
山崎目線―――
「では山崎君、私が留守の間のこと、よろしく頼みますね」
「はい、承知しました」
もうすぐ昼休みが終わろうかという、うららかな昼下がり。
今日は午後から山南先生が出張に出かけるため、保健室が空っぽになってしまう。
そこで、山南先生の右腕を自負する保健委員の俺が、先生の留守をあずかることになったのだ。
「三時限目の終わりから、一年一組の雪村君がベッドで休んでいます。単なる睡眠不足のようですから、そのまま寝かせておけばよろしいかと思いますが」
「わかりました、本人が起きてくるまで放置しておきます」
山南先生は「くれぐれもお願いします」と柔らかく微笑み、俺に背を向けた。
保健室のドアの向こうに山南先生の姿が消え、足音が遠ざかっていく。
廊下から人の気配が完全に消えると、俺は立ち上がった。
保健室の留守番という大役を仰せつかったのだ、立派にその務めを果たさねばなるまい。
………
…………………
………まずは、確認だ。
ベッドを囲むカーテンに指をかけ、ほんの少しの隙間から雪村君の姿を見つめる。
元々ここのベッドには、視界を遮るものなどなかったのだが、今年初めての女子生徒が入学するにあたり、二つあるベッドをそれぞれ囲むように、天井からカーテンが取り付けられたのだ。
彼女の寝姿を遠目ながらも目に焼き付けてから、俺は寸分の隙間もなくカーテンを閉めた。
無防備に眠る彼女を、今守れるのは俺だけだ。
不逞の男子生徒の侵入などは、なにがなんでも防がなければならない。
使命感に燃えながら、俺は、やりかけになっていた資料の整理を始めた。
ほどなく、不吉な足音が近づいて来た。
入り口の引き戸に顔を向けた途端、ガラリと音を立てて、願わくば会いたくなかった人物が顔を覗かせた。
「山南さ~……っと、あれ?山崎君だけ?」
「俺だけで悪かったですね。山南先生は出張で、俺が留守をあずかっていますが」
ふ~ん……と気のなさそうな返事をよこす沖田に、訝しげな視線を突き刺すと、ヤツはひるむどころか挑戦的な視線を返してきた。
「千鶴ちゃん具合でも悪いの?一年一組の教室に行ったら、保健室だって」
「……ん……だれ……?」
半分寝惚けたような甘い声が、カーテンの向こうから聞こえた。
瞬間、俺の防御より素早く、沖田がカーテンをめくり、ベッドの脇に滑り込んだ。
こ、こいつ……
仕方なく俺もカーテンの内側に歩み入り、沖田の反体側に立つ。
雪村君に注いでいた眼差しを俺に向け直した沖田は、真っ黒な笑みをたたえながら言う。
「もうすぐ午後の授業が始まるし、山崎君、教室に戻らなくちゃならないでしょ?千鶴ちゃんのことは、僕がちゃんと見ててあげるから安心して」
「俺のことなら、ご心配には及びません。仕事ですから」
一体こいつは、何を調子のいいことを言っているんだ!?
保健委員の俺が教室に戻り、代わりに無関係のしかも男がここに残るなど、誰がどう考えたって不自然だ。
そんなことすらわからないほど、この男はバカなのか?
雪村君の肩に毛布をかけ直しながら、俺は沖田に鋭い視線を向けた。
「俺が責任をもって雪村君を看病しますから、そっちこそ授業に戻ったらどうですか」
「ふーん……僕じゃ信用できないってわけ?」
「当然です」
不満そうに唇をとがらせる沖田に、俺は冷ややかに言い放った。
だが、そんな俺の牽制などものともせず、沖田のやつは「どれどれ」と言いながら雪村君の額に手を伸ばした。
「うん、熱はないみたいだね。じゃ、僕が添い寝しててあげるから、山崎君は心置きなく教室に戻りなよ?」
「あんたは!人の話を聞いてないのか!?」
「……やま……せんぱ……」
思わず大声を出してしまった俺は、慌てて自分の口を手で押さえる。
「………………スゥ」
何事もなかったかのように再び聞こえ始めた寝息に、ホッと胸を撫で下ろす。
「内線で土方先生をお呼びしてやろうか?」
俺が丁寧に申し出てやると、沖田は嫌みったらしい笑顔を浮かべた。
「まあ、仕方ないな。千鶴ちゃんの可愛い寝顔、土方さんにまで見せるのは癪だからね」
僕はひとまず退散するよ、そう言いながらヒラヒラと手を振り、天然危険物沖田はめでたく保健室から出ていった。
*
二年二組の教室。
午後最初の授業は古文だ。
今日は、山南以外にも出張の教師がいるため、一組の生徒の半分が二組の教室に机と椅子を運び込み、すし詰め状態になっている。
一組の残り半分は三組との合同授業だ。
土方の命でてきぱきと指揮を出す斎藤には逆らえず、一組所属の沖田は、仕方なく隣の教室に机を運び込んだ。
おとなしく教室を移動した沖田は、とりあえず席についてはいるものの、机にほおづえをついて大きなため息をついている。
「別に、無理やり授業受けさせなくたって、一組は自習でよかったのに」
「総司!もうチャイムは鳴ったんだぞ。なんだ、その姿勢は」
チョークが飛んで来そうな土方の叱責も、沖田にとっては暖簾に腕押し糠に釘。
「ところで土方先生、山崎君大丈夫ですかねぇ?」
「山崎のことは、山南さんから聞いてる。山南さんの留守中、保健室の番人してるんだろ?」
「千鶴ちゃんと二人きりなんですよ?心配じゃないですか」
「山崎なら心配ない。おまえじゃあるまいし、あいつなら堅実に職務を全うする」
「いくら山崎君でも、若い男女が密室に……」
沖田は勢いよく立ち上がった。
「千鶴ちゃんが心配だから、やっぱり僕見てきます」
土方は腕組みをしながら、ゆっくりと沖田に歩み寄る。
「総司、おまえの言いたいことは、よ~くわかった」「それじゃあ……」
組んでいた腕をスルリと解くと、土方は、沖田の机を右手でバンッと叩いた。
「わかったから、四の五の言わずに早く教科書とノートを出せ!」
「え~!千鶴ちゃんが心配じゃないんですか!?」
「心配なのは、おまえの思考回路だ。……斎藤!」
「はっ、早速保健室に行ってきます」
言うが早いか、斎藤は風のように颯爽と教室を出ていった。
さて、その頃保健室では……
*
こちらは保健室。
再び山崎目線―――
沖田に邪魔され中断していた資料の整理も片付き、俺は、救急医学についての本をめくっていた。
勉強のために好きな本を読んでいいと、山南先生から許可を頂いているものの、普段は雑務に忙しく、なかなかゆっくり書物を手にとる機会もない。
だから、今日のようにまとまった時間がとれるのは、ありがたいことだ。
読書に没頭していた俺だが、ふと集中力が途切れ顔を上げた。
カーテンの向こうから、物音が聞こえる。
苦しげな、うめき声のような……
俺は思わず駆け寄った。
「どうした?大丈夫か!?」
「た……すけ……」
何事かと彼女を注視するが、どう見ても眠っているようにしか見えない。
ということは……恐い夢でも見ているのだろうか?
雪村君は、寝言で助けを請いながら、力なく右手を伸ばしてきた。
そして、あろうことか俺は、寝ぼけた彼女が差し伸べてきた手をとってしまった。
眠っているからか、ぽかぽかと温かいその手を、俺は両手でそっと包み込む。
彼女は、それだけで安心したのか、腕の力をパタリと抜いて、再び深い眠りに落ちる。
……触れたい。
手だけでなく、雪村君の桜色の頬にも、艶やかに流れる髪にも、それから、甘そうな果実のような唇にも……
触れたいのはやまやまだが、男子ならば自然であると思われる欲望たちを理性で押し留め、俺は、彼女の手を毛布の中に戻した。
こういう時は、為すべきことに没頭するに限る。
薬品棚を開き、在庫と使用期限のチェックを始めた。
『トントン』
控え目なノックの音に目を向ければ、静かに引き戸を開けて風紀委員長である斎藤さんが入ってきた。
「保健委員の務め、ご苦労だな。で、雪村の具合はどうだ?」
「まだ眠っているようですが、大事ないと思います」
「そうか、それはよかった。では俺は授業に戻る故、後は頼む」
「……なぜ斎藤さんがここに?」
おおかたの予想はつく。
すきあらば雪村君にあんなことやこんなことを……と考えているであろう、不埒な沖田が大騒ぎしたのに違いない。
「土方先生のご命令だ」
「土方先生の?……俺はてっきり、沖田の差し金かと」
「ああ、いや……原因は総司だ」
その口ぶりから、彼がここにやって来た経緯が何となく想像できてしまった。
それにしても……
同じ男でも、沖田とはこうもタイプが異なるものか。
しかし、いくらストイックに見えても斎藤さんだって男だ。
カーテンの向こう側が、多少気になっているようだ。
もちろん、そんな素振りは見せないが。
あえてベッドが視界に入らないよう立ち去ろうとする彼にならば、雪村君の天使のようなあどけない寝顔を見せてやっても構わないか……
すっかり雪村君の保護者のような心持ちで、口を開きかけたその時
ドサッ
突然聞こえた鈍い音に、俺たちは慌ててカーテンを開けてベッドに駆け寄った……
が、ベッドの上には彼女の姿はなく、床に目を移せば、雪村君が転がっていた。
普通の人間であれば、これだけの衝撃に目を覚まさないはずがない。
だが、床に横たわる彼女は、身動きひとつしていない。
もしや、落ちた時に頭を強打し、意識を失ったのでは……!?
「雪村君っ!!」「大丈夫か!!?」
斎藤さんとともに、彼女を覗き込み、頭を動かさないように、上体をそっと抱き起こす。
「雪村君、大丈夫か」
彼女の耳元で声をかけた。
すると……
「……わぁ……山崎……せ……」
薄く目を開いた彼女は“にへら”と笑ったかと思うと、むにゃむにゃ言いながら幸せそうに目を閉じた。
再び、気持ち良さそうな寝息が始まる。
「「…………」」
俺たちは無言のまま彼女の上体と脚をそれぞれ持ち上げ、ベッドに戻した。
「では、俺はこれで失礼する」
何事もなかったかのように斎藤さんがこちらに背を向ける。
「あ、ああ……土方先生には、問題ないと伝えてください」
「承知した」
その語尾に噛み殺された笑いが含まれていたように感じられたのは、気のせいではないだろう。
のどかな時間が過ぎてゆく。
薄い布で隔てられているとはいえ、同じ空間に想いを寄せる相手が眠っているという幸せ。
俺はしみじみと、その喜びを噛みしめたのだった。
放課後になり、再び沖田が襲撃してくるまでは……。
(結局、雪村君は、辺りがすっかり暗くなり山南先生が戻られるまで、ぐっすりと眠り続けた。
一体、何をそんなに夜更かししたのだろう?)
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