Candy Days

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年が明けると、時間の流れが一気に速くなる。
一月は行ってしまう、二月は逃げてしまう、三月は…とは、よく言ったものだ。



そんな訳で、ここ薄桜学園にも訪れた如月。


二月の一大行事といえば、もちろんバレンタインデー。

だが、今年の二月十四日は、私にとって失恋記念日となってしまった。




そう、あの日。

土方先生にテキストの問題について質問しよう、ついでを装ってチョコレートを渡せたらいいな……なんて思いながら、私は廊下を歩いていた。

こう言うとさりげないけれど、実はすごく覚悟のいることだったんだよね。



職員室に向かう廊下の曲がり角、誰かの話し声に、私は思わず立ち止まり身をひそめた。

別に悪いことをしている訳じゃないのだから、そんな必要はないのだが、なんとなくそのままズカズカ進んでいくことがはばかられたのだ。


じっと耳をすますと、どうやら声の主は永倉先生と原田先生のようだった。


「ったくよ~、土方さんがうらやましいぜ」

「ああ、あの女のことか」

心底羨ましそうな永倉先生の言葉に、原田先生が特に興味もなさそうな声で応じているのが聞こえた。


『土方さん』


その名前に、わたしの心臓は鼓動を速める。



話し声は続く。

「結局、男は見た目が大事ってことだよな。いつの時代にも、モテるのは土方さんや左之みてえなやつばっかりだ」

「おまえな、そんなふうに自分を卑下するこたねえだろ?たまたま、あの女は土方さんに御執心ってだけの話だ」



あの女……
一体、誰なんだろう?



「だから、その女ってぇのが羨ましいんじゃねえか……ひそかに狙ってたのによお」

「……新八……真っ昼間っから酔っ払ってんのか?」

「あぁ?酔ってなんかいねえよ。ただ、傷心のこの俺を飲みに誘ってくれる心優しい同僚はいねえもんかと思ってな」

「ったく……校内でする話じゃねぇだろ」


ここからは見えないけれど、原田先生が眉をひそめている表情が容易に想像できる。


私は、身体中の力が抜けていくような感覚に襲われた。

土方先生、付き合ってる相手がいたんだ。

そりゃ……先生は大人なんだし、あんなに素敵なんだし、恋人の一人や二人(いや、複数は問題だ!)いて当然だとは思っていた。


漠然と思ってはいたけれど、心のどこかで信じていなかったような気がする。

大好きな土方先生に恋人がいるなんて、信じたくなくて……



私は、足音をたてずに後ずさると、一目散に昇降口へと走った。



その晩、生まれて初めての想いを詰めこんだチョコレートは、私の口の中でとけていった。


*


『失恋バレンタイン』


まるで、マンガかドラマのタイトルみたい……
なんて自嘲的に笑ってはみたが、何しろそれからの私は、ダメダメだった。



恋をすると世界が鮮やかに見えるって聞いたことがあるけれど、失ってみて初めて、それを実感した。


ときめきとか煌めきとか、土方先生への想いを彩っていたものが消えてしまったら、毎日のなんと味気ないこと。

きっぱりすっぱり諦めれば良いものを、こんな時に限って、どうにも吹っ切れない。

家にいる時間はもちろん、学校でもぼんやりしていることが多くなった。



けれど、無情にも迫ってくる期末試験。

さすがに「これじゃいけない!」って気合いを入れてみる。



そうこうしているうちに試験期間に突入。

何とかそこそこに乗り切って(えらいぞ私!)、いよいよ最終日、残すは古文のみ。




これで全ての試験が終了だというのに、張りつめていた糸がここに来て切れたのだろうか。

土方先生作成のテスト用紙を前に、気がつけばシャーペンを握りしめたままボンヤリしていた。


いけない、いけない、こんなんじゃ。
集中集中!!


テストの終了を告げるチャイムと共に、何とか全部の問題を解き終えた。


 * * *


期末試験も無事に終了した翌日。

帰りのホームルームが終わり、解放感が広がる教室では、皆が思い思いに立ち上がり動き出した。



そのざわめきを縫うように、まだゆっくり座っている私に向かって、原田先生が歩いてきた。


千鶴、放課後国語科教官室に来いって、土方先生からの伝言なんだが」



ひ、土方先生!?


…………今の精神状態では、一番会いたくない人だよね……
けれども仕方ない。

「……はい、わかりました」

「なんか呼び出されるようなことしたのか?」

ちょっぴり心配そうに眉を寄せる原田先生。



「……わかりませんけど……とにかく行ってみます」

「ああ。もし何か困ってることがあったら、遠慮なく俺に言えよ?こう見えたって、一年一組の担任なんだからな」


ポンっと頭を撫でてくれる原田先生に背中を押されるように、私は階段を上がり国語科教官室のドアをノックした。



「失礼します」

「ああ、入れ」



恐る恐る部屋に入ったものの、その場に立ちすくんでしまった私に、土方先生は机の上から手にとった一枚の紙を広げて見せた。


それが何なのか理解するのに時間がかかり、私は吸い寄せられるようにそのプリントに近づいた。

答えがなんにも書かれていない、真っ白な答案用紙。

首をひねる私に、先生がそれを裏返す。


「……私の!?」


私は思わず、土方先生の手から、その悲惨な答案用紙を奪い取った。

時間ギリギリにはなったけど、確かに全問解いたはず。
なのに……なのに、これは一体どういうこと!?



「テストのはじめに、説明があったはずなんだがな。問題用紙も解答用紙も、両面あるって」

「そんな…………」

「他の野郎どもなら、わかるんだが……どうした?おまえらしくもねぇ」



完全に思考回路がショートし、まっさらな答案用紙を穴があくほどに見つめ続ける。

言い訳もなにも……完全に自分のミスだ。


と、緩やかな空気の流れが起こった。
その流れに乗せられた煙草の匂いが、私をハッとさせる。

気付けば目の前には、土方先生の整ったお顔。


「何かあったのか?」


覗き込むように距離を縮められ、胸の鼓動が一気に速くなる。

「な、なんにも……」

首を小さく左右に振る。


「そうか」


腕組みをし、難しそうな顔で黙りこむ土方先生。



いたたまれなくなった私は、クルリと先生に背を向け、気付けば国語科教官室を飛び出していた。

*


千鶴の後ろ姿を見送った土方。


「なんだってんだ、あいつは」



開け放たれた国語科教官室のドアの前にたたずみ、既に見えなくなった千鶴の背中を思い返しながら、土方は大きく息をついた。



一体、あの態度の変わり様はなんだというのだろう?

目を輝かせ、教壇に立つ自分を食い入るように見つめながら古文の授業に臨む生徒は、薄桜学園広しといえども彼女一人だ。


あれほど熱心に取り組んでいた古文だというのに、最近の彼女は常に目を伏せ精彩を欠いている。

あげくの果てに、テストでの凡ミス。


………
……………土方があれこれ考えたところで、理由などわかるはずもない。



頭を切り替えようと思い直し、彼は踵を返して部屋の中に戻ることにした……その時

「うわっ」「きゃあっ!」

男女の叫び声が階下から響いてきた。


あの声は、千鶴と……

「原田か」



千鶴に、ここに来るよう伝えてくれたのは原田だ。

彼女の担任でもある原田には、どのような話であったかの詳細を報告しなければならない。

だが、先ほどの千鶴とのやり取りには、これといった収穫はなかった。


まったく、あいつは一体……



腕組みをして考えこむ土方は、階段を駆け上がって来る足音に気づき目を上げた。



「よお、土方さん」

「原田……」


原田の手には、一枚のプリントがひらひらと揺れていた。

「呼び出しの原因ってのは、こいつか?」


原田はプリントの表と裏とを順番に眺めてから、まっすぐ土方を見る。


「そのとおりだ。それを、あいつが落としていったのか?」

「ああ、階段でぶつかっちまってな。ずいぶん慌ててたみてえだな、こんな大事なもん落として気づかねぇなんて」

「その解答用紙を見たんなら、話は早い」



土方は、原田に一歩近寄ると彼を見据えた。


「原田……おまえ担任だろ?千鶴に何があったのか、気づいたことねえのか?」

「そうだな……」

原田はあごに手を当てる仕草をして、うーんとうなる。


「そういや最近のあいつは、やけにボーッとしてることが多いな。元々天然なやつだが、特にここんとこ、様子がおかしいっちゃおかしいな」

「思い当たる原因はねえのか?」


目付きを鋭くする土方に、原田は相変わらずのんびりとした口調で答える。


「まあ、あれだな」

「あれ??」

「ああ、あれだ。年頃の女が悩むことっつったら……そりゃ“男”に違ぇねえ」

「はぁ?」

「あいつの様子からしても、まあ……十中八九、恋愛がらみだろうな」



怪訝そうな顔の土方を尻目に、原田は「幼い幼いと思ってた千鶴が、いっちょ前に恋の悩みとはなあ」なんて、一人嬉しそうにうなずいている。


「おい、原田」

「ん?なんだ?いい解決策でも思い付いたか?」



土方は、原田の両肩をガシッとつかみ、真剣な眼差しを向けた。

「色恋ざたの相談だったら、俺より、原田……おまえの方が適任だ!」


*

翌日。千鶴side

千鶴、今からちょっといいか?」


放課後、いつものごとくゆっくりと席に座っていたら、またしても原田先生から声をかけられた。

こういう時は、良くない予感しかしない。

ホームルームが終わると同時に、脱兎のごとく帰ってしまえばよかった…なんて今さら後悔しても後の祭り。


おとなしく先生の後ろを歩き、着いた所は体育科教官室だった。



この部屋には二人掛けのソファがふたつ、細長い机をはさんで向かい合わせに置いてある。

そのどちらかに永倉先生が寝ているのをたまに見かけるので、入学したばかりの頃には、永倉先生は体育の先生だと勘違いしていた。



それぞれのソファに、原田先生と向かい合わせで座る。


千鶴、最近おまえ、どうかしたのか?」

「……古文のテストが白紙だったこと、ですか?」

「まあ、主に聞きたいのは、その原因についてだな。何か、きっかけがあんだろ?」



唇をキュッと結んだまま、私は無言を貫くことしか出来なかった。


原田先生は、そんな私を咎めるふうでもなく、まるで独り言のようにつぶやく。


「何事もないってんなら、その言葉を信じるが……けどな、思いを口に出すだけで、意外に気持ちの整理がついたりするもんだぜ?」



しばし逡巡した後で、私は口を開いた。

「…………嫌なんです」

「いや?」

「当たり前のことに納得できない自分が、大嫌いです」

「……よかったら、聞かせてくれねぇか?おまえより長く生きてる分、いろんな悩みのトンネルをくぐり抜けてきた自信はあるぞ?」

「…………」

「いや、いまだに悩みだらけだな。ま、こんな頼りにならねぇ教師だけどよ……おまえにゃ、いつだって笑っててほしいんだよ」


そう言って笑顔を見せる原田先生に、私の頬は思わずゆるんだ。

すると、肩に入っていた力がスッと抜け、自然に言葉がこぼれた。


「笑わないでくださいね……私、失恋しちゃったんです」

「そうか……おまえみたいないい女を振るなんざ、とんだ大バカ野郎がいたもんだ」

「私がいい女なら、失恋なんてしません」


思わず恨みがましい視線を投げかけてしまい、慌てて目を伏せる。


「面と向かって振られた訳じゃないんです。元々、気持ちを伝えることなんて出来ない相手だから……」



先生は、黙って聞いてくれている。



「なのに……わかってるのに、落ち込んじゃう自分が情けないです」

「『面と向かって振られた訳じゃない』っつうことは……惚れた相手に女がいるのを見たか聞いたかした、おおかた、そんなとこだろ?」

「な……どうしてわかるんですか?」


小さく笑って、先生は微かに息を吐いた。

「ま、年の功ってやつだ。んで、おまえはそれを、ちゃんと自分の目で確かめたのか?」

「いえ……立ち聞きしただけです」

「……立ち聞き?」

「はい。原田先生と永倉先生がお話してるのを聞いちゃったんです」

「そりゃあ……もしかしてもしかしたら、土方さんの話か?」


原田先生が考え込むように眉をひそめた。



ああ、私の想う相手が土方先生だってこと、原田先生にばれちゃった。
ついでに、土方先生に恋人がいるっていう、あの立ち聞き話が本物だってこと、原田先生の態度が嫌というほどに証明してくれちゃったよね……


内心、今更ながら改めてショックを受けた私は、泣きたい気持ちで下を向いた。



その時、パーテーションの向こうでガタッと何かが落ちるような物音がした。

*
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