childhood’s end
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そろそろ、手袋とマフラーが恋しい季節。
一週間後の期末テストに向けて、今日から、どの部活動も活動を休止する。
それは、平助君の所属する剣道部も例外ではない。
だから、いつもは練習で遅くなる平助君と、珍しく一緒に帰れる貴重な一週間だ。
まあ、途中までは沖田先輩も一緒なんだけどね。
「なぁ……これって、どう思う?」
沖田先輩と別れて、平助君と二人きりになってほどなく、私の目の前に淡いピンク色の封筒が突き付けられた。
「どうって……」
どう見たって、これはいわゆるラブレターだよね。
次の言葉が出てこず困った顔をしているに違いない私に、平助君は、封筒から中身をとり出すと広げて見せた。
「これ、なんだけどさ」
「平助君……私に見せちゃって、いいの?」
戸惑いつつそれを受け取ると、私は、綴られた文字を素早く目で追った。
――学校の近くで見かけて一目惚れしてしまったこと、女の子と一緒に(もしかして……私!?)登校しているのを知っても、諦めきれないこと……――
そして、手紙の最後には『島原女子高校』という校名と、差出人の名前が記されていた。
「どう思うっていうか……平助君は、どうしたいの?」
「いや……実はそれ以前の問題なんだよな」
「え、どういうこと??」
平助君は、渋面を作ってため息をついた。
「中を見れば、本物だろうとは思うんだけどさ……問題は、その手紙をオレのところに持ってきたのが、総司ってことなんだ」
「あ!!!……それは確かに……手の込んだ悪戯っていう可能性も、否定できないね」
「だよな」
二人そろって、盛大なため息をつく。
「とにかく……この差出人の子が実在するのかどうか、その辺も含めて、お千ちゃんに聞いてみるよ」
「そうしてもらえると助かるぜ、千鶴、悪ぃけど頼むな!」
パンッと手を合わせ拝む仕草をしてから、ホッとした表情を見せる平助君。
しかし私は反対に、喉に重苦しい塊が詰まっているような、何とも言えない心持ちになっていた。
「私にできるのは、本当かどうか確かめるところまで……その後どうするかは、平助君自身の問題だからね」
「ああ、わかってるって」
すっかり肩の荷が下りた、といった様子の平助君は、家の前に到着すると、大きく伸びをした。
「んじゃ、また明日な、千鶴」
「うん……また明日」
この手紙が、沖田先輩の悪戯なんかじゃなく本物だったら……
こんなふうに、当たり前に二人で歩いて、当たり前に話して
そんな日常だって、変わってしまうのかもしれない。
波立つ気持ちを隠したまま、ひとまず手紙を預かり、私は家の玄関をくぐった。
*
その晩、お千ちゃんにことの次第を伝えるべく電話をかけた。
彼女は(電波の向こうで多分)瞳をキラキラと輝かせ、真相をはっきりさせる、と意気込んでいた。
『大切な幼なじみの恋を応援してあげたい』
私がそう言い訳したから、きっと余計に。
そうなれば、もう、話はトントン拍子に進んでしまう訳で……
『千鶴ちゃん!手紙の主と平助君と直接お話できるように、セッティングさせてもらうね!』
大乗り気のお千ちゃんからメールで連絡があったのは、翌日の昼休みのことだった。
……これから、私の知らないところで、どんどん平助君の世界が変わっていくんだ。
私だけが置き去りのまま。
自分でお千ちゃんに頼んでおきながら、彼女からのメールを読み返すたび、胸がチクチク痛む。
心の奥にどす黒いモヤモヤを抱えたまま、ろくに頭に入りやしない午後の授業を、何とかやり過ごした。
ホームルームを終え、重たい体と気持ちを奮い立たせて昇降口へ向かう。
「千鶴……なんか元気ねぇような気がするけど大丈夫か?」
「ううん、何でもないよ。それより、沖田先輩は?」
靴を履き、平助君と並んで昇降口を出る。
「総司のやつ、土方さんのところに行ってる。ありゃあ、けっこう時間かかるだろうな」
「え?沖田先輩、いつも土方先生に呼ばれても無視してるよね」
「今日という今日は……って、近藤さんまで出てきちまったからな、行かざるを得なかったんだよ」
「沖田先輩、近藤先生のことは大好きだもんね」
平助君と笑い合ってから、ふと我に返る。
「千鶴?」
このまま俯いて、うじうじしててもしょうがない。
私は覚悟を決めて、お千ちゃんからのメールを平助君に見せた。
「うわ、いきなりだな」
長引かせてテスト勉強の妨げにならないように、というお千ちゃんの配慮で、待ち合わせ日時は、なんと今日の午後六時。
あまりにも急な話に、さすがの平助君も少々気後れしているようだ。
「千鶴、おまえ……一緒に行ってくれるよな?」
眉を下げて情けない顔をする平助君に、けれど私は『一緒に行く』とは言えなかった。
「私なんかがついてったら、相手の子に嫌な思いをさせちゃうよ?」
「けっ……けどさ……」
すがり付くような平助君の瞳を、私はまっすぐに見ることができなかった。
曖昧な作り笑顔で、何でもないように明るい声を出すしかなかった。
「平助君、自分では気付いてないみたいだけど、島原ですごく人気あるんだって。お千ちゃんが言ってたよ」
「え…………」
「幼なじみとしては、鼻が高いんだから。応援してるからね、がんばってね平助君!」
私の腕をつかもうと上げかけた手を力なく下ろし、平助君は低い声でつぶやいた。
「千鶴……おまえは、それでいいのかよ?」
「………………!」
「千鶴!!」
彼に背中を向け、私は一目散に駆け出した。
後ろは振り返らず、こぼれる涙をぬぐいもせずに。
走ったところで、私の足では平助君から逃げ切れるはずもない。
……けれど結局、彼は追いかけて来なかった。
*
『千鶴……おまえは、それでいいのかよ?』
私の心を見透かすような、平助君の瞳がよみがえる。
いいわけ、ない。
いいわけなくたって、他の言葉が見つからなかった。
わかってる、私は卑怯だ。
相手の子を思いやるような、もっともらしい台詞を吐いたところで……本当は、自分が傷つきたくなかっただけ。
平助君は優しい。
もし、待ち合わせの相手に好意を持ったとしても、私がそこにいたら、彼は私に遠慮して本当の気持ちを言葉にはしないだろう。
そんなのは、嫌。
私を理由になんて、してほしくない。
私はいつだって、物わかりのいい幼なじみで、平助君の味方で、それから、一番の応援団でいなくちゃいけないんだから。
机の引き出しを開けて、クリアファイルにはさんだ写真を取り出す。
私が薄桜学園に入学する時、校門の前で撮ってもらった写真。
平助君と私、いつまでも一緒にいられることを疑いもしないような、無邪気な笑顔で。
「平助君……」
ファイルの上に、滴がポタリと落ちた。
私、泣いてるの?
そう自覚した途端、あふれだした涙はとめどなく落ちて、視界をにじませた。
ああ、私、失うことが怖いんだ。
私にとって、こんなにも平助君が大切な人だったなんて……今さら気付いても遅いよね。
けれど、それでも……
平助君に彼女ができて、もう一緒に登校できなくなっても
私の存在が、過去のひとこまとして忘れ去られても
私だけは、ずっと平助君のこと想っていてもいいよね。
誰よりも大切な、幼なじみとして……ううん、初恋の人として――
写真を眺めながら、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
玄関チャイムの音に目が覚めた時には、部屋の中はすっかり暗くなっていた。
『ピンポーン、ピンポン、ピンポン』
鳴り続けるチャイムに、私は慌てて立ち上がる。
「薫ってば、いないのかな」
宅急便だと思い、印鑑を片手に勢いよくドアを開けた――ら、そこに立っていたのは、制服姿の平助君だった。
反射的に閉めようとしたドアを、平助君がこじ開ける。
「おいっ!オレを挟む気かよ!?」
思わぬに訪問者に、私はしどろもどろになる。
「ご……ごめん……って、なんで平助君……て、手紙……女の子は……」
「断った」
「えっ!!」
「……そんなに驚くことねえだろ?」
いつもの笑顔で、平助君は私の額にデコピンをした。
「どうして……」
けっこう強く弾かれて痛むおでこを押さえながら、私の口からは、か細い声が漏れる。
「オレさ……」
真剣な声に、私は息をのむ。
「自分の気持ちに嘘はつけねぇよ。おまえが誰のこと好きでも、やっぱりオレは、おまえが好きだから」
「へ?」
間抜けな声で聞き返してしまう。
平助君は照れくさそうに、けれど私の目をまっすぐに見た。
「だから……オレは、千鶴、おまえのことが好きなんだって」
……今、なんて?
おまえが好き――?
平助君の言葉を心の中で繰り返す。
それが胸の中にストンと落ち着いた途端、涙があふれてきた。
さっきとは違う、あたたかい涙。
グスグスと鼻をすすりながら顔を伏せ、私は泣きじゃくった。
「ごめん、私……私……平助君が、他の女の子のものになっちゃうって思ったら……」
そっと抱き寄せられ、平助君の胸に顔を埋める。
だんだん乾いていく涙と入れ替わりに、唇から想いがこぼれた。
「平助君……好きだよ」
背中に回された腕にちょっぴり力が込められ、包み込むような優しい声が降ってきた。
「今までも、これからだって、オレの隣にいるのは千鶴で、千鶴の隣にいるのはオレだろ?」
「……うん」
頭を撫でてくれる平助君の大きな手が、とても心地よくあたたかかった。
*
翌朝。
「よ!おはよう、千鶴」
「おはよう、平助君……って、どうしたの?いつも私が迎えに行っても、支度出来てないのに」
「なんつうか、その……オレたちもう、ただの幼なじみじゃないんだろ?だからっ……あんま千鶴を待たせてばっかじゃ、男として情けねえじゃん」
へへっと照れ笑いをする平助君に、私もつられて笑う。
いつもと変わらない朝のはずなのに、昨日までと決定的に違う何か…
二人が一緒に過ごした子供時代は、もう終わったんだってこと。
平助君の言うとおり、『幼なじみ』という立ち位置にさよならして、新たな関係を築いていくんだよね、私たち。
恋人同士として――
ちょっぴり熱くなった頬を押さえながら、平助君と並んで歩く。
やがて、長身の沖田先輩の後ろ姿を見つけた。
「平助、こないだの島原の子、ふっちゃったんだって?」
「なっ!?なんでそれを……」
「手紙を預かって渡した以上、僕も関係者だからね。ちゃんと彼女が報告してくれたよ」
「……なんか、巻き込んじまって悪かったな。実は最初、てっきりおまえの悪戯かと疑っちまったんだ」
神妙な顔で謝る平助君に、沖田先輩はポカンとした表情を作ってみせる。
「はあ?僕がそんな、なんの得にもならないことする訳ないでしょ?」
「そういや、そもそも、なんで総司があの手紙持って来たんだ?」
一段落ついて冷静になった平助君には、いろいろと突っ込みどころが思い浮かぶようだ。
沖田先輩は、ポケットからスマホを取り出して確認すると、それを戻してからニッコリ笑う。
「校門の前に可愛い子が立ってたから、気になるじゃない?何してるのか聞いてみたら、あと何時間待つかわからないのに、健気に平助のこと待ってるって言ってたからさ」
「それで、手紙を預かった……ってことか」
「僕が持ち逃げしたなんて思われちゃったら心外だからね。間違いなく平助に渡したよって伝えるために、アドレス教えてもらったけど」
私は恐る恐る、気になっていたことを口にした。
「沖田先輩、もしかして……平助君と、手紙の女の子とのこと、特に応援してたって訳じゃないんですか?」
沖田先輩は、翡翠色の瞳で私をじっと見つめると、すぐにその目を細めた。
「普通なら僕は中立的な立場をとるけどさ、さすがに今回は、そんな野暮なことしないよ」
「は?どういう意味だ?」
訝しげに眉をひそめる平助君に、沖田先輩は可笑しそうに言った。
「だって、平助と千鶴ちゃんが好き合ってることくらい、学園のみんなはとっくに気づいてたよ?自覚なかったの、君たちだけじゃない?」
平助君と私は、二人で顔を見合わせた。
沖田先輩は、晴れ晴れとした顔で、またスマホを手に取る。
「今日の放課後、彼女と約束してるんだ。傷心の女の子は、僕が慰めてあげなくっちゃね」
ひょっとしてひょっとしたら……私たち、ダシに使われた……?
再び平助君を見ると、彼も複雑な顔でこちらを見ている。
「ま、彼女のことは僕に任せて、君たちは二人で仲良くやってよね。もうすぐクリスマスだし」
じゃあね、と手をひらひら振りながら、沖田先輩はスタスタと先に行ってしまった。
その姿を呆然と見送る平助君と私……
嵐が去った後のような空気の中、私はポツリとつぶやいた。
「沖田先輩が気に入るなんて、よっぽど可愛い子だったんだ」
「あ、もしかして千鶴……また、なんか後ろ向きなこと考えてる?」
平助君が私の前に回り込み、真正面から顔を近づけてくる。
「いや、その、だって……」
急に意識してしまい、思わず目をそらしてしまう。
「そんな可愛い子がお手紙くれたのに……平助君、ほんとに私なんかでいいの?……ひゃっ」
気がつけば私の頬は、平助君にムニ~と引っ張られていた。
「だーかーらー!オレは、千鶴がいいの!おまえじゃなきゃ駄目なの!!」
わかった?
そう笑いながら、平助君は私の手をつかんだ。
「さてと、急がねぇと遅刻だ!走るぞ!!」
「うん!」
平助君にも私にも本当の気持ちを気づかせてくれた、沖田先輩と島原の女の子には、感謝しなくちゃね。
『みんな幸せになれますように』
そう願いながら、つないだ平助君の手をギュッと握った。
*
一週間後の期末テストに向けて、今日から、どの部活動も活動を休止する。
それは、平助君の所属する剣道部も例外ではない。
だから、いつもは練習で遅くなる平助君と、珍しく一緒に帰れる貴重な一週間だ。
まあ、途中までは沖田先輩も一緒なんだけどね。
「なぁ……これって、どう思う?」
沖田先輩と別れて、平助君と二人きりになってほどなく、私の目の前に淡いピンク色の封筒が突き付けられた。
「どうって……」
どう見たって、これはいわゆるラブレターだよね。
次の言葉が出てこず困った顔をしているに違いない私に、平助君は、封筒から中身をとり出すと広げて見せた。
「これ、なんだけどさ」
「平助君……私に見せちゃって、いいの?」
戸惑いつつそれを受け取ると、私は、綴られた文字を素早く目で追った。
――学校の近くで見かけて一目惚れしてしまったこと、女の子と一緒に(もしかして……私!?)登校しているのを知っても、諦めきれないこと……――
そして、手紙の最後には『島原女子高校』という校名と、差出人の名前が記されていた。
「どう思うっていうか……平助君は、どうしたいの?」
「いや……実はそれ以前の問題なんだよな」
「え、どういうこと??」
平助君は、渋面を作ってため息をついた。
「中を見れば、本物だろうとは思うんだけどさ……問題は、その手紙をオレのところに持ってきたのが、総司ってことなんだ」
「あ!!!……それは確かに……手の込んだ悪戯っていう可能性も、否定できないね」
「だよな」
二人そろって、盛大なため息をつく。
「とにかく……この差出人の子が実在するのかどうか、その辺も含めて、お千ちゃんに聞いてみるよ」
「そうしてもらえると助かるぜ、千鶴、悪ぃけど頼むな!」
パンッと手を合わせ拝む仕草をしてから、ホッとした表情を見せる平助君。
しかし私は反対に、喉に重苦しい塊が詰まっているような、何とも言えない心持ちになっていた。
「私にできるのは、本当かどうか確かめるところまで……その後どうするかは、平助君自身の問題だからね」
「ああ、わかってるって」
すっかり肩の荷が下りた、といった様子の平助君は、家の前に到着すると、大きく伸びをした。
「んじゃ、また明日な、千鶴」
「うん……また明日」
この手紙が、沖田先輩の悪戯なんかじゃなく本物だったら……
こんなふうに、当たり前に二人で歩いて、当たり前に話して
そんな日常だって、変わってしまうのかもしれない。
波立つ気持ちを隠したまま、ひとまず手紙を預かり、私は家の玄関をくぐった。
*
その晩、お千ちゃんにことの次第を伝えるべく電話をかけた。
彼女は(電波の向こうで多分)瞳をキラキラと輝かせ、真相をはっきりさせる、と意気込んでいた。
『大切な幼なじみの恋を応援してあげたい』
私がそう言い訳したから、きっと余計に。
そうなれば、もう、話はトントン拍子に進んでしまう訳で……
『千鶴ちゃん!手紙の主と平助君と直接お話できるように、セッティングさせてもらうね!』
大乗り気のお千ちゃんからメールで連絡があったのは、翌日の昼休みのことだった。
……これから、私の知らないところで、どんどん平助君の世界が変わっていくんだ。
私だけが置き去りのまま。
自分でお千ちゃんに頼んでおきながら、彼女からのメールを読み返すたび、胸がチクチク痛む。
心の奥にどす黒いモヤモヤを抱えたまま、ろくに頭に入りやしない午後の授業を、何とかやり過ごした。
ホームルームを終え、重たい体と気持ちを奮い立たせて昇降口へ向かう。
「千鶴……なんか元気ねぇような気がするけど大丈夫か?」
「ううん、何でもないよ。それより、沖田先輩は?」
靴を履き、平助君と並んで昇降口を出る。
「総司のやつ、土方さんのところに行ってる。ありゃあ、けっこう時間かかるだろうな」
「え?沖田先輩、いつも土方先生に呼ばれても無視してるよね」
「今日という今日は……って、近藤さんまで出てきちまったからな、行かざるを得なかったんだよ」
「沖田先輩、近藤先生のことは大好きだもんね」
平助君と笑い合ってから、ふと我に返る。
「千鶴?」
このまま俯いて、うじうじしててもしょうがない。
私は覚悟を決めて、お千ちゃんからのメールを平助君に見せた。
「うわ、いきなりだな」
長引かせてテスト勉強の妨げにならないように、というお千ちゃんの配慮で、待ち合わせ日時は、なんと今日の午後六時。
あまりにも急な話に、さすがの平助君も少々気後れしているようだ。
「千鶴、おまえ……一緒に行ってくれるよな?」
眉を下げて情けない顔をする平助君に、けれど私は『一緒に行く』とは言えなかった。
「私なんかがついてったら、相手の子に嫌な思いをさせちゃうよ?」
「けっ……けどさ……」
すがり付くような平助君の瞳を、私はまっすぐに見ることができなかった。
曖昧な作り笑顔で、何でもないように明るい声を出すしかなかった。
「平助君、自分では気付いてないみたいだけど、島原ですごく人気あるんだって。お千ちゃんが言ってたよ」
「え…………」
「幼なじみとしては、鼻が高いんだから。応援してるからね、がんばってね平助君!」
私の腕をつかもうと上げかけた手を力なく下ろし、平助君は低い声でつぶやいた。
「千鶴……おまえは、それでいいのかよ?」
「………………!」
「千鶴!!」
彼に背中を向け、私は一目散に駆け出した。
後ろは振り返らず、こぼれる涙をぬぐいもせずに。
走ったところで、私の足では平助君から逃げ切れるはずもない。
……けれど結局、彼は追いかけて来なかった。
*
『千鶴……おまえは、それでいいのかよ?』
私の心を見透かすような、平助君の瞳がよみがえる。
いいわけ、ない。
いいわけなくたって、他の言葉が見つからなかった。
わかってる、私は卑怯だ。
相手の子を思いやるような、もっともらしい台詞を吐いたところで……本当は、自分が傷つきたくなかっただけ。
平助君は優しい。
もし、待ち合わせの相手に好意を持ったとしても、私がそこにいたら、彼は私に遠慮して本当の気持ちを言葉にはしないだろう。
そんなのは、嫌。
私を理由になんて、してほしくない。
私はいつだって、物わかりのいい幼なじみで、平助君の味方で、それから、一番の応援団でいなくちゃいけないんだから。
机の引き出しを開けて、クリアファイルにはさんだ写真を取り出す。
私が薄桜学園に入学する時、校門の前で撮ってもらった写真。
平助君と私、いつまでも一緒にいられることを疑いもしないような、無邪気な笑顔で。
「平助君……」
ファイルの上に、滴がポタリと落ちた。
私、泣いてるの?
そう自覚した途端、あふれだした涙はとめどなく落ちて、視界をにじませた。
ああ、私、失うことが怖いんだ。
私にとって、こんなにも平助君が大切な人だったなんて……今さら気付いても遅いよね。
けれど、それでも……
平助君に彼女ができて、もう一緒に登校できなくなっても
私の存在が、過去のひとこまとして忘れ去られても
私だけは、ずっと平助君のこと想っていてもいいよね。
誰よりも大切な、幼なじみとして……ううん、初恋の人として――
写真を眺めながら、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
玄関チャイムの音に目が覚めた時には、部屋の中はすっかり暗くなっていた。
『ピンポーン、ピンポン、ピンポン』
鳴り続けるチャイムに、私は慌てて立ち上がる。
「薫ってば、いないのかな」
宅急便だと思い、印鑑を片手に勢いよくドアを開けた――ら、そこに立っていたのは、制服姿の平助君だった。
反射的に閉めようとしたドアを、平助君がこじ開ける。
「おいっ!オレを挟む気かよ!?」
思わぬに訪問者に、私はしどろもどろになる。
「ご……ごめん……って、なんで平助君……て、手紙……女の子は……」
「断った」
「えっ!!」
「……そんなに驚くことねえだろ?」
いつもの笑顔で、平助君は私の額にデコピンをした。
「どうして……」
けっこう強く弾かれて痛むおでこを押さえながら、私の口からは、か細い声が漏れる。
「オレさ……」
真剣な声に、私は息をのむ。
「自分の気持ちに嘘はつけねぇよ。おまえが誰のこと好きでも、やっぱりオレは、おまえが好きだから」
「へ?」
間抜けな声で聞き返してしまう。
平助君は照れくさそうに、けれど私の目をまっすぐに見た。
「だから……オレは、千鶴、おまえのことが好きなんだって」
……今、なんて?
おまえが好き――?
平助君の言葉を心の中で繰り返す。
それが胸の中にストンと落ち着いた途端、涙があふれてきた。
さっきとは違う、あたたかい涙。
グスグスと鼻をすすりながら顔を伏せ、私は泣きじゃくった。
「ごめん、私……私……平助君が、他の女の子のものになっちゃうって思ったら……」
そっと抱き寄せられ、平助君の胸に顔を埋める。
だんだん乾いていく涙と入れ替わりに、唇から想いがこぼれた。
「平助君……好きだよ」
背中に回された腕にちょっぴり力が込められ、包み込むような優しい声が降ってきた。
「今までも、これからだって、オレの隣にいるのは千鶴で、千鶴の隣にいるのはオレだろ?」
「……うん」
頭を撫でてくれる平助君の大きな手が、とても心地よくあたたかかった。
*
翌朝。
「よ!おはよう、千鶴」
「おはよう、平助君……って、どうしたの?いつも私が迎えに行っても、支度出来てないのに」
「なんつうか、その……オレたちもう、ただの幼なじみじゃないんだろ?だからっ……あんま千鶴を待たせてばっかじゃ、男として情けねえじゃん」
へへっと照れ笑いをする平助君に、私もつられて笑う。
いつもと変わらない朝のはずなのに、昨日までと決定的に違う何か…
二人が一緒に過ごした子供時代は、もう終わったんだってこと。
平助君の言うとおり、『幼なじみ』という立ち位置にさよならして、新たな関係を築いていくんだよね、私たち。
恋人同士として――
ちょっぴり熱くなった頬を押さえながら、平助君と並んで歩く。
やがて、長身の沖田先輩の後ろ姿を見つけた。
「平助、こないだの島原の子、ふっちゃったんだって?」
「なっ!?なんでそれを……」
「手紙を預かって渡した以上、僕も関係者だからね。ちゃんと彼女が報告してくれたよ」
「……なんか、巻き込んじまって悪かったな。実は最初、てっきりおまえの悪戯かと疑っちまったんだ」
神妙な顔で謝る平助君に、沖田先輩はポカンとした表情を作ってみせる。
「はあ?僕がそんな、なんの得にもならないことする訳ないでしょ?」
「そういや、そもそも、なんで総司があの手紙持って来たんだ?」
一段落ついて冷静になった平助君には、いろいろと突っ込みどころが思い浮かぶようだ。
沖田先輩は、ポケットからスマホを取り出して確認すると、それを戻してからニッコリ笑う。
「校門の前に可愛い子が立ってたから、気になるじゃない?何してるのか聞いてみたら、あと何時間待つかわからないのに、健気に平助のこと待ってるって言ってたからさ」
「それで、手紙を預かった……ってことか」
「僕が持ち逃げしたなんて思われちゃったら心外だからね。間違いなく平助に渡したよって伝えるために、アドレス教えてもらったけど」
私は恐る恐る、気になっていたことを口にした。
「沖田先輩、もしかして……平助君と、手紙の女の子とのこと、特に応援してたって訳じゃないんですか?」
沖田先輩は、翡翠色の瞳で私をじっと見つめると、すぐにその目を細めた。
「普通なら僕は中立的な立場をとるけどさ、さすがに今回は、そんな野暮なことしないよ」
「は?どういう意味だ?」
訝しげに眉をひそめる平助君に、沖田先輩は可笑しそうに言った。
「だって、平助と千鶴ちゃんが好き合ってることくらい、学園のみんなはとっくに気づいてたよ?自覚なかったの、君たちだけじゃない?」
平助君と私は、二人で顔を見合わせた。
沖田先輩は、晴れ晴れとした顔で、またスマホを手に取る。
「今日の放課後、彼女と約束してるんだ。傷心の女の子は、僕が慰めてあげなくっちゃね」
ひょっとしてひょっとしたら……私たち、ダシに使われた……?
再び平助君を見ると、彼も複雑な顔でこちらを見ている。
「ま、彼女のことは僕に任せて、君たちは二人で仲良くやってよね。もうすぐクリスマスだし」
じゃあね、と手をひらひら振りながら、沖田先輩はスタスタと先に行ってしまった。
その姿を呆然と見送る平助君と私……
嵐が去った後のような空気の中、私はポツリとつぶやいた。
「沖田先輩が気に入るなんて、よっぽど可愛い子だったんだ」
「あ、もしかして千鶴……また、なんか後ろ向きなこと考えてる?」
平助君が私の前に回り込み、真正面から顔を近づけてくる。
「いや、その、だって……」
急に意識してしまい、思わず目をそらしてしまう。
「そんな可愛い子がお手紙くれたのに……平助君、ほんとに私なんかでいいの?……ひゃっ」
気がつけば私の頬は、平助君にムニ~と引っ張られていた。
「だーかーらー!オレは、千鶴がいいの!おまえじゃなきゃ駄目なの!!」
わかった?
そう笑いながら、平助君は私の手をつかんだ。
「さてと、急がねぇと遅刻だ!走るぞ!!」
「うん!」
平助君にも私にも本当の気持ちを気づかせてくれた、沖田先輩と島原の女の子には、感謝しなくちゃね。
『みんな幸せになれますように』
そう願いながら、つないだ平助君の手をギュッと握った。
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