【尾浜勘右衛門】それは夢のようにあたたかい

パチリと目が覚める。
何か夢を見ていたようだが、抜け落ちてしまったように思い出せない。
襖から洩れる朝日が起きろと催促をするが、夢の内容を考えていると、再び瞼が重くなった。

夢の中に戻ろうとする少女を引き戻したのは、男の声だった。

「あ、こら!なんで起きたのにまた寝るんだよ」

天井に目を向けると、にゅっと男が顔を出していた。

耐性の無いものからすればホラーかと思うだろうが、時は室町時代、場所は忍者の育成学校である。
そして彼は心霊現象ではなく、少女の同級生の尾浜勘右衛門だ。

うどんのような特徴的な髪を垂らしながら、天井裏から顔を出して少女を起こした。

「今日の合同実習の為に起こしてくれって言ったの、自分だろ?」

「んん……」

「ああ、もう、だから寝るなって!」

再び安眠に入ろうとするのを阻止すべく、
音もなく部屋へと降り立った。
小声で、それでいて怒気が伝わる声色で少女に歩み寄ると、その体を揺すった。

「平助もお前も、なんでこんなに寝起きが悪いんだ!」

ぼやく彼になんてお構いなしに、彼女は身動ぎをして膝元にすり寄った。
どうやらもう、半分夢の中にいるようだ。

自分に甘えつく少女にドキリとときめくが、ここで起こさねば集合時間に遅刻しかねない。
負けじと再び体を揺すってやれば、仕方なしにとうっすら目が開く。

「勘ちゃん…」

「はいはい、勘ちゃんですよー
優しくしてるうちに起きなさいな」

瞳が合ったのを確認すると、苦笑いしながら頬をふにふにつねる。

その手にすりっと甘えつき、少女は言った。

「夢を見ていたの…でも…思い出せない。
大事な事の様な気がする」

途端にピタッと勘右衛門の手が止まった。
直も彼女は言葉を続ける。

「すごく胸が苦しい。
思い出さなきゃいけないって、なんで…「苦しいってんなら、嫌な夢でも見てたんじゃないか?」」

しかし言い終わらせないうちに、言葉を被せた。

「所詮は夢だろ?
早く起きて仕度してくれよ。
くのいち長屋に長居して、もしもくのたまに見つかったら俺、殺されちゃうよ」

にへっと笑う勘右衛門に、些細な引っ掛かりを感じたが、彼は危険を侵して目覚ましをかって出てくれているのだ。
早急に起床せねばと、疑念は隅に追いやられた。

ごめん、と小さく呟くと起き上がり寝巻きを脱ぎ始めた。

今さら素肌を隠す仲でもないと言うことだが、勘右衛門も気にせずに、彼女が寝ていた布団を畳むと押し入れに仕舞い始めた。
戸を閉めて振り返ると、彼女は既に忍服に袖を通していた。

「集合場所は中庭だからな。
早く来いよ?」

そう言って勘右衛門はさっと天井裏に飛び上がり、去っていった。

勘右衛門が居なくなった天井を一瞬見つめると、何故だかピチャリと水の音がした気がした。



5年生の忍たまと、くのたまの合同授業は男女混合の印取りだった。
他チームへの妨害有りで、相手よりも早く情報を持ち帰れと言うものだったが、少女の組みは勘右衛門と久々知兵助の優秀揃いだ。
二人に助力しながら、難なく忍術学園に戻ることができた。

「俺達が一番乗りみたいだな」

キョロキョロと辺りを見回した兵助がうっすら口許を上げて言った。
勘右衛門も少し意地悪そうに笑っている。

「相手が竹谷達だったからな」

「あれは八左ヱ門が可哀想だったかも。
彼女、八左ヱ門の事が大嫌いだから、とことん連携が取れてなかったし…」

少女は同情的だが勘右衛門はキッパリと良い放つ。

「5年にもなって相性が合わないなんて理由は通らない」

「勘ちゃんの言う通りなのだ」

「まぁ、そうだけど…それに付き合わされてた椿ちゃんは完璧なとばっちりだね」

そんな話をしながら中庭に向かう途中、一年坊主達が仲睦まじくかけていく。

「乱太郎!きり丸ー!
早く早く!!夕御飯無くなっちゃうよー!」

「もー、しんべーったら」

「まだ日も沈んで無いのに、気が早すぎだろ?」

一年は組の名物トリオが走り去るのを横目で見ながら「やぁ!」と軽く手を振ってやると、「先輩、お疲れ様でぇーす!」と元気良く挨拶しながら校舎へと消えて行った。
カナカナと日暮が鳴きかう夕暮れの運動場は、子供たちの笑い声だけを残している。
その風景は暖かく、少し寂しげで、まるで夢を見ている様だ。
少女が目を細めて小さくため息を吐くと「どったの?」と勘右衛門が覗き込んだ。

「んー?
なんか平和で夢現なようだなーって」

「なんだそりゃ」

呆(ほう)けたような話に、思わず眉を顰(ひそ)める兵助。
そして彼女も、自分の口からでた言葉だと言うのに困ったように笑う。

「孫兵のロマンチストが移ったか?」

勘右衛門にからかわれて途端に恥ずかしくなったのか、頬を桃色に染めて目をそらす。
そんな一つ一つの仕草すら愛おしく、意地悪に笑っていた口許が緩んだ。

「夢に溺れるのは嫌か?」

「ふふ、これが夢ならいつまでも溺れていたいよ」

幸せそうに笑う彼女に、彼は嬉しそうに「そっか」と短く言葉を落とした。
中庭に到着すると、教師の木下鉄丸が出席簿を持ちながら待いた。

「早かったな!
お前達が一番乗りだ、良くやったぞ!」

ガハガハ笑う木下は三人の頭を乱暴に撫で回した。

「もう、やめてくださいよ先生!」

少女が頭巾ごと崩れた髪を押さえながら喚くと、またガハガハと笑われた。

「すまんすまん!
そう言えばお前、長次が探していたぞ?
未返却の本でもあるんじゃないのか?」

「あ…火薬の調合書…」

さーっと血の気が引く。
朝一で返そうと思っていた本の事をすっかり忘れていたのだ。

その為に勘右衛門に目覚ましを頼んでいたと言うのに、夢のせいですっかりと抜け落ちてしまっていた。

6年生の図書委員長である中在家長次は、図書のルールには厳しい先輩である。
強面(こわもて)で不気味に笑う先輩に追いかけ回されては堪らないと、慌てて駆け出した。

「ごめん!私 本返しに行かなきゃならないから先に行くね!!」

「ああ!ちゃんと謝れよ!
中在家先輩は謝れば許してくれるぞ!」

走っていく少女の背中に兵助が叫ぶと、それに続いて勘右衛門も言葉を投げ掛けた。

「あと、近道だからって上沼池に近付くなよ!もう夕刻だぞ!!」

「はーい、はいはい!
わかってまーす!!」

本当にわかっているのかと?と苦く笑いながら三人は少女を見送った。



息を切らしながら走り抜ける少女。
運動場を横目に分かれ道に差し掛かる。

右へ曲がれば人気の多い道だが、左に曲がると細い裏道である。

その裏道を行けば、くのたま長屋への近道になるのだが、それは先に勘右衛門に注意された上沼池の前を通ることになる。

上沼池は通称、神沼池とも呼ばれていて神様の通り道だと言われている。
夕刻にその池の前を通ると、神様の住む世界へ落ちてしまうらしい。
しかしそれは、夕暮れの道が見辛くなる時間に下級生が落ちないようにという、迷信であろう。

急いで戻らなければ図書室が閉まってしまう。
勘右衛門に悪いと思いながらも、自分に甘すぎる恋人に心の中で謝りながら左へ足を進めた。




夕暮れ時の涼しくなった風が辺りの木々を揺らすと、ざぁぁぁっと波のよう音が押し寄せた。
その中に自分を呼ばう声が聞こえた様な気がして立ち止まった。

懐かしく、どこかしゃがれた声だった。

少女はその声を聴くと目を大きく見開いた。

「私を呼んでる…
この声、知ってる。
夢で見た、私は…」

ふらふらと歩み寄ると木々の間から池が見えた。

上沼池だ。

その声は間違いなく池から聞こえており、何故だか胸が締め付けられた。
懐かしくて、いとおしくて、甘えたくて、泣きたくて。
心臓がめちゃくちゃに鳴った。

自分を焦がれさせる正体が知りたい少女は、さらに歩みを早くする。

無我夢中で林を掻き分けて池に近付いて行くと、とうとうその水面を覗くことができた。

地面に両手をついて前屈みにへたり込むと池には老婆になった自分の顔が映っていた。

いや、違う。
それは少女の顔ではない。
自分の名前を呼びながら泣いている老婆の正体に彼女は気が付いてしまった。

「………ママ…」

呆然と母親を呼んだ少女の目から涙が溢れた。

夢の内容を思い出してしまった。

いや、夢はこの忍術学園そのものだったのだ。

夕刻に近道をしようと近所の公園を通り抜けたときに池に落ちたのだ。

そこまで思い出した途端に後ろから声をかけられる。

「駄目じゃないか…」

びくりと肩が跳ねた。
そこには優しく笑う恋人の姿があった。
愛しい恋人の筈なのに全てを思い出した今では不気味でしょうがない。

「勘ちゃん…ごめんなさい、私…」

見つかった。
見付かってしまった。
逃げなくては。

もう一人の自分が何度も叫んだ。

カタカタと震える彼女になんてお構い無しに、彼はニコニコ笑いながら歩み寄って来る。

「ここへは危ないか近付くなって言ったのに。
また忘れさせないといけないじゃないか」

警告を送る夢の中の自分と地面にへたり込む自分。
その両者が怯えていた。
記憶を忘れさせると言った彼は、少女が夢から覚めた事を知っている。

優しい恋人を演じる気も、最早無いのだろう。

夕暮れが勘右衛門の輪郭を暈(ぼか)して妖しく彩る。
揺れる髪がゆらゆらと蛇のように少女に延びる。

その姿はいつだか見たオカルト本に乗ってたメデューサの様だった。
彼は本当に人間では無いのだ。

「ひっ!」

少女はその恐ろしい風体を目の当たりにして、短く悲鳴をあげた。
そして自分に迫り来る髪から逃げるために、体勢を後ろに崩す。
とっさに池に飛び込もうとしたが鋭い勘右衛門の言葉がそれ許さない。

「動くな!」

聞いたことも無いような声に、体は石のように固まり縫い付けられた。
勘右衛門は表情無く言葉を続ける。

「………ねぇ、それ以上は…許さないよ?」

深く深く、重いその言葉は鉛のように深く心に落ち込む。

動けぬ彼女に勘右衛門の髪の毛がまとわりつく。

腕に足に首に、まるで逃がさないと言わんばかりにだ。

彼女はこの恐怖を知っていた。
この男こそ、自分を池に引きずり込んで溺れさせた化け物だったからだ。

背後では年老いた自分の母がまだ泣いていた。

「ごめんなさい。
ごめんね、ママがちゃんと見てなかったから。
あの日迎えにいってたら…
ごめんね、ごめんね…」

「ママ…ママ、助けて…ママぁぁ…」

母親を呼びながら泣き始めてしまった少女の頬を勘右衛門は撫でる。

「泣くなよ。もう君の声は母君には届かない。
君は夢の中の住人なんだから」

「勘ちゃん、どうして…
やだ、怖い。
ごめんなさい…ごめんなさい。
許して…」

夢の中で溺れた優しい恋人と、現世(うつつ)で冷たい水の中に引きずり込んだ化け物
、どちらの彼を信じたら良いのか?
悔しくて、悲しくて、恐ろしくて、複雑な感情に飲まれて堰を切ったように涙が止まらなかった。

恐怖で涙を溜めた少女の瞳に己が映っているのを見て、勘右衛門はニタリと目を細めて笑う。

「ははっ!なに謝ってるの?
お前は悪いことなんて何一つしてないのに。
化け物に殺されて、手込めにされて、泣かされて…とうとう化け物の仲間になってしまった」

「…仲間?」


「母君があんなにお年を召されたのに、お前は若い娘子のまま。
わかってるんだろう?
お前は何処へ帰ろうっていうんだい?」

酷い事実である。
少女はもう、現世に帰ることは出ない。
仮に帰ることが出来たとしても、恐らく母の目に自分が映ることはないのだろう。

「なぁ、好きだよ?
愛してるんだ。
夫婦(めおと)になろう?
それで俺のややを産んでくれ。
ずっとずっと綺麗なままで、俺の魅せる夢に溺れて死んでくれ」

なんて最低な男なのだろう?
身勝手な愛の押し付けをするために、冷たい水の底に少女を引きずり込んで、愛した女の母親を泣かせ続けて来たのだ。
その愛は傲慢で酷く歪んでいた。

どんなに犠牲が出ようとも、微塵も罪悪感など感じていないのだろう。

そして勘右衛門の隷属にされた少女の意思などお構いましに、この男は願いを成就させるのだ。

最後の抵抗だと、自分を殺して母を何十年も苦しめた男をキッと睨み付けた。
そして憎しみを込めて最後の言葉を送った。

「この…最低の人殺し野郎!
私を殺して母を苦しめた貴方を絶対に許さない。
例え記憶を奪って私を心を縛っても、この言葉は消えない。
なにも知らない私が貴方を愛したとしても、この憎しみが貴方を殺すわ!」

一生を込めて、これ以上無いほどの憎しみをぶつける少女。
それを受ける男はスッと心(しん)が冷えた。
心からの拒絶。
勘右衛門はこの展開を覚悟していた。
それでも、面と向かって己の情念を否定されることは堪えた。

唯一の見返りがあるとすれば、憎しみもまた、愛する女から与えられる物であると言うことだ。

一瞬の静寂の後、男はすぐ薄気味悪い笑いを作る。

「それでも構わない。
お前と添い遂げることができるなら」

そう言って深く口吸いをした。
深く、深く、男の愛が全てを食い荒らすように。 

「ん…っ!ふぅ…っんん…ん………」

苦しそうにもがく少女の抵抗は弱まり、強い光を宿していた瞳はゆっくりと虚ろっていった。

波紋を揺らして記憶を 掻乱す。
やがて深い水底にしずむ様に、少女は力の抜けた体を勘右衛門に預けた。

「……勘…ちゃん…私も……す…だ…」

小さな寝言は言葉にならなかった。

愚かな娘だと愛しい女を抱きながら苦く笑う。
寝言は寝てからとは、正にこの事だ。

化け物は憎まれて罵倒されなければならない。

だのに…

自分の記憶を憎い相手に食い荒らされながら、この娘は愛を囁く。

「…馬鹿だなぁ…
まだ勘ちゃんなんて呼んでくれるのか?
そんなんだから糞野郎に目をつけられたんだよ」

勘右衛門の頬につーっと一滴涙が伝う。
その雫はこぼれ落ちて少女の涙と混ざりあった。

少女の記憶は深い深い愛に溺れて、やがて夢現へと消えて行きました。



少女の見る夢。
雨の音が五月蝿い放課後の廊下。
柱の影になっているその場所は更に薄暗い。

湿気の匂いと、少し陰鬱な空気。

公衆電話に十円だまを入れる音が放課後の廊下に響く。

大きな受話器を両手で持ちながら母親が電話に出るのを待っていた。

やがてコール音が途切れると母親が慌ただしく名前を名乗った。
それを遮るように声をあげる少女。

「ママ、傘忘れて来ちゃった。
迎えに来てよ!」

「もー、今日は遅くなるって言ったでしょ?
先生に借りて帰ってらっしゃい!」

「だって急な雨だったんだもん!
置き傘なんてみんな取られちゃったよ!」

「それじゃぁ走って帰ってきなさい」

「ええー!」

「駅前のケーキ屋さんでイチゴのケーキ買って帰ってあげるから」

「ぶーぅ!…わかったよ…」

「ふふ、池のある公園は通っては駄目よ?
雨が降ってて危ないわ」

「わかってるよ、じゃぁね!」

ガシャリと受話器を戻すと、少し小降りになった雨にうたれるグラウンドが目に入った。
さっきよりも憂鬱で無くなった雨模様ににへっと笑うと下駄箱へと駆けていく。

少女の頭のなかにはもう、甘い甘いイチゴの乗ったショートケーキしか入っていなかった。

それは現実のような暖かい夢だった。





パチリと目が覚める。
何か夢を見ていたようだが抜け落ちてしまったように思い出せない。
襖から洩れる朝日が起きろと催促をするが、夢の内容を考えていると、再び瞼が重くなった。

夢の中に戻ろうとする少女を引き戻したのは男の声だった。

「あ、こら!なんで起きたのにまた寝るんだよ」

天井に目を向けるとそこから、にゅっと勘右衛門が顔を出していた。

うどんのような特徴的な髪を垂らしながら言った。

「今日は雷蔵と三郎と俺とで、町に遊びに行く約束だっただろ?」

「んん……」

「ああ、もう、こんなことだろうと思って来てみたら…
だから寝るなって!」

呆れながら、するりと音もなく部屋へと降り立った勘右衛門は少女に歩み寄ると、その体を揺すった。

「兵助もお前も、なんでこんなに寝起きが悪いんだ!」

ぼやく彼になんてお構いなしに、彼女は身動ぎをして膝元にすり寄った。
どうやらもう、半分は夢の中にいるようだ。

「勘ちゃん…」

「はいはい、勘ちゃんですよー
優しくしてるうちに起きなさいな」

瞳が合ったのを確認すると、苦笑いしながら頬をふにふに抓る。

その手にすりっと甘えつきながら少女は言った。

「夢を見ていたの…でも…思い出せない。
大事な事のような気がする」

途端にピタッと勘右衛門の手が止まった。
直も彼女は言葉を続ける。

「すごく胸が苦しい。
思い出さなきゃいけないって、なんで…「苦しいってんなら、嫌な夢でも見てたんじゃないか?」」

しかし言い終わらせないうちに言葉を被せた。

「所詮は夢だろ?
早く起きて仕度してくれよ。
くの一長屋に長居して、もしもくのたまに見つかったら俺、殺されちゃうよ」

笑う彼に笑い返す。



けれども…



ちくり、ちくりと違和感が胸を刺す。




でもそれは…



決して思い出してはいけない。



ゆらり、ゆらり、幸せな夢現に溺れて。







ああ…




ここは夢のような暖かい世界だ。






END
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