リセット



涙交じりの声に、三輪は驚嘆して思わず手に持っていたビニール袋を落としてしまった。
そこからカランカランと音がして空いた缶が床に散らばったが、あまりの衝撃にそちらに構っていられなかった。

「だい、だいすき、だった…!!」

「…」

「いやだ、っやだ。やだ」

泣きすぎて、上手く呼吸が出来ずにしゃっくりを繰り返し泣きじゃくる田村が息継ぎの合間に零す言葉が痛々しい。
田村がこんな風に泣くのを初めて見て、三輪はひどく混乱してしまった。

そんなばかな、と思った。
野々宮の結婚を一番喜んでいたのは田村のはずだった。
友人代表の言葉も俺がやる、二次会の幹事も俺がやる、と張り切った田村の顔を思い出して、三輪は唖然としてしまったのだ。

「田村…。」

突然のことで、三輪はなんと言葉をかけて良いのか分からなかった。
いつもの冗談かとも思ったが、こんな風になってまで冗談を言うようにも思えず、三輪はただただ腰に張り付いたままの田村を見た。

田村の「好き」という言葉の意味が、自分が野々宮や田村に向けるものとは違うということを、三輪はなんとなく分かった。

だが、何故か気持ち悪いとは思わなかった。

田村は暫くしゃっくりを繰り返していたが、漸くして少し落ち着いたのか、その息遣いが穏やかになっていく。
それから疲れて眠くなったのか、三輪の腰に回した腕からも力が抜けていった。
腰からずれ下がる田村の腕を見たが、最早三輪にはその腕を振り払うことは全く念頭に無かった。
ただ、眉間に皺を寄せて、赤くなった田村の顔を眺めていたのである。

「ののみや…、ののみや、すき」

すき、と繰り返す田村の声がだんだんと小さくなっていくのを、三輪は黙って聞いていた。

「だいすき……」

その言葉に、三輪は何故か自分の目頭も熱くなっている事に気がついた。

中学から、高校、大学にかけて、野々宮と田村の笑顔が、まるで走馬灯のように浮かんで流れていった。
すると、散々泣いた田村が、今度は少し笑んだのを、三輪は見逃さなかった。



「ののみや」



「ののみや…。」



野々宮を呼ぶ声は、本当に幸せそうで。





「ののみや、しあわせになって・・・」








「おめでとう…。」


そう言った瞬間、田村の腕が三輪の腰から外れて、床にぽとりと落ちた。
それから間も無く、田村の寝息が、小さな部屋に響きはじめた。

それを暫く眺めていた三輪は、ようやく夢から覚めたようにはっとすると、すやすやと眠る田村から顔を上げた。
そして何かを思い出したように覚束無い動作でゆっくりと立ち上がると、ベッドから毛布を引っ張り、田村にかけ、自分もその隣に腰を下ろした。




「…やれやれ。」


ぽつり、と呟いた言葉が静かな部屋に響く。
三輪はボンヤリとしながら手元にあった煙草をくわえて、火をつけた。

ゆっくりと上る白煙を目で追いながら、そういえばこの男が付き合った彼女と何故かいつも長続きをしない、ということを思い出した。
今更ながら思い当たる節がいくつもあり、三輪は大きな溜息をついた。

きっと田村も自分なりに悩んでいたのだろう。
その悩みは、きっと女が好きな自分や野々宮には一生分からない悩みなのだとしても、それでも三輪は、彼が自分に本音を打ち明けてくれたことに、少なからず安堵していた。

田村が、こんな形でも胸の中の思いを打ち明けてくれてよかったと思ったのだ。
重いものをずっと抱え込んできた彼には、吐き出す場所は必要だったはずだ。

「野々宮が好き、か…。」


先ほども思ったが、なぜか嫌悪はなかった。


あの無邪気な笑みで、ずっと胸の内に抱え込んでいた想いは計り知れない。
彼が野々宮に気を遣って気持ちを押し殺していたのは明確だ。
男が好きだということに、後ろめたさを感じていたのか、気持ち悪いと揶揄されるのを恐れたのか。
田村が自分の気持ちをどんな風に思ったかは知らない。

彼の恋は綺麗だったかは分からない。
だがそれでも三輪は、



彼の恋は、純粋であると思った。




「…幸せになって、ね。」

そうぽつりと呟いた三輪は、今や幸せそうに寝息を立てている田村を見た。
中学や、高校時代の無邪気に笑いあった時代の夢でも見ているのだろうか。

自分の気持ちを押さえつけて、人の幸福を願った親友に、思わず涙腺が緩む。




「…お前もな。」



そう静かに呟いて、三輪は田村の頭をそっと撫でた。


部屋の空気を入れ替えるのに、先ほどからカーテンを揺らして入ってくる風が心地良い。
暖かいとは言えなかったが、二月の風は何処か優しかった。







おしまい
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