リセット
野々宮が、結婚した。
リセット
「三輪っ!!おかわり!!」
そう言って真っ赤な顔をしながらグラスを突き出した田村に、三輪と呼ばれた青年は眉に皺を寄せると、さも迷惑だと言うように大袈裟なため息を漏らした。
目の前にいる男は机に顎を乗せて、だらしなく突っ伏しながら、片手のグラスをユラユラと揺らし、尚も三輪に突き出したままだ。
「おかわりって。まだ残ってんじゃねぇか。」
グラスにはまだ琥珀色の液体が残っていて、ユラユラとグラス内で波立っている。
それが部屋の照明に照らされてキラキラと輝いていたのを見て、三輪は自分のグラスにも酒を注ぐ。
安物だったが、それなりに美味いと評判の酒だ。
それにベロベロに酔った田村は「うそら~!!」と中身を確かめるように、顔の近くでグラスを傾けた。
「あ」
その行動に三輪が呟いた時にはもう遅く、グラスの中に残った酒は一滴残らず田村に降り注ぎ、顔面びしょ濡れになった田村がキョトンとした顔で呆けていた。
それから空になったグラスを再び傾けると、空ろな瞳で三輪を睨み付ける。
「おらぁ、ねーじゃねーかぁ!!三輪のうそつき!!!」
ダンダン、と机を叩いて喚く田村に、今まで何とか平常心を保って来た三輪だったが、この悪酔いに加えて目に余る奇行には流石の三輪も我慢の限界であった。
「ふざけんてんじゃねぇええええこの酔っ払いがああああああ!!!」
そう盛大に怒鳴り散らすと、三輪はタオル代わりに手元にあった台布巾を、田村の酒に濡れた顔面に勢いよく投げつけた。
びしゃ、と顔に当たって落ちた台布巾に「は?」と声を上げて、思考の回らない頭でノロノロと拾い上げた田村は濡れた顔に押し付けながら、スン、と匂いを嗅いで顔を顰めた。
「三輪ぁ、このタオルなんかくせぇ。」
「うっせぇ!!てめぇなんかそのくせぇので十分だ!!雑巾じゃねぇだけでも有難いと思え!!」
そう言って濡れた台布巾を田村の顔にグリグリと押し付けると、「いたい」と田村が喚くのを完全に無視して、髪の毛から顔まで垂れた酒を拭うと、それから床や机に零れた酒を拭きながら苛々と頭をかく。
「畜生、床に染み出来て敷金が返って来なくなったらどーすんだ…。」
「いいじゃん、どーせボロアパートなんだからさぁ。」
酔っているくせにやけに冷静なツッコミをしやがる、と三輪は苦々しい顔をして見せたが、田村は気にした様子は無く、焦点の定まらない目であちこちを見回していた。
床を拭きながら三輪の額から汗が流れ落ちる。
真冬のはずなのにこの部屋の暑さはなんだ、と三輪がストーブを睨みつけると、パネルに表示された数字が、通常の設定温度よりもずっと高いことに気が付き、三輪は半ギレでストーブのスイッチを切った。
「てめぇだな!!設定温度変えやがったのは!!」
「あーん、けすなよぉー!」
「黙れ!!どおりでさっきから頭がガンガンするわけだぜ!!」
さみぃよぉ、と駄々をこねる田村を足蹴にした三輪は濁りきった空気をリセットしようと乱暴に窓を開けた。
二月の風が容赦無く部屋の中に入り込んできたが、三輪にはその冷たさが火照った身体に心地良くて、冷たい空気が肺に入ってくるのを感じ、まるで生き返ったような気持ちになった。
逆に「ちょーしばれるんですけど」と身体をぶるり、と震わせた田村は、同時にへぐしっ、と妙なくしゃみをした。
それが自分に向けてと気が付いたときは遅く、顔に若干田村の唾が掛かった三輪は、額に青筋を浮かべながら真顔で田村を見据えたのである。
「お前もう帰れよ…。」
そう三輪が言うと、鼻水を垂らし、三輪にぐちゃぐちゃに拭かれて方々へ飛び跳ねている前髪を額に撫で付けながら、田村は赤い顔のまま唇を尖らせた。
「やだ」
少し潤んだ瞳で俯いた田村はまるで駄々をこねる子供だ。
24にもなって「やだ」ってなんだよ。「やだ」って、と三輪は本日何度目になるか分からない深いため息をついたのだった。