さくら


本日二度目の苦情。
浩一はまたしても嘉国の唄を中断させた。流石に嘉国も二回目となると額に青筋を浮かばせる。
うるせぇならまだしも、唄うなとは何様だこの野郎!!と怒り心頭で、振り返りざまに浩一を睨み付けたのだが、予想だにしない彼の表情に、嘉国は腕を掴まれた妙なポーズのままその場に固まった。

「…ひろ…?」

浩一が仏頂面なのは今に始まった事では無いのだが、ひそかに眉を寄せていたその表情が、嘉国にはひどく辛そうに見えたのだ。
幼少期から浩一の側にいるが、こんな表情は見た事がない。

「浩一…?」

嘉国は何だか不安になって、再度呼び掛けてみる。

「どうしたんだよ…。」

問い掛けてくる嘉国を見詰めながら、浩一は自分でも何がなんだか分からなかった。ただ、唄を聞いていられなかったのは、嘉国が自分に構ってくれないからではなかった。


それは…まるで




「まるで…今からどっちかが死ぬみたいじゃねぇか…。」

嘉国は目を見開いて浩一を見つめた。
浩一は俯くと蚊の鳴く様な声でぽつりと呟く。

「…俺はどっちも御免だ。」

嘉国は浩一から目が離せなかった。そんな嘉国の視線に答える事なく、浩一はただひたらすらに俯いて数歩先の地面を眺めていた。

「…俺はまだ死ぬ予定なんて無いし、お前が死んで泣く予定も無いんだよ」

「…」

「だからそんな唄、唄うな。」

嘉国はポカンと口を空けたまま食い入る様に浩一を見つめていた。
浩一自身も、どうしてこんな不安に駆られるのか分からなかった。
ただ、この唄を死別の唄と解釈した嘉国が自分を目の前にして、「そういう」意を含ませて唄っているのだと思うと、堪らなく不安になってしまうのだ。

不安定な昼と夜の狭間。
死別の唄。

恐ろしかった。


だから咄嗟に腕を掴んでしまった。






「初耳。」

ふと嘉国が発した言葉に、浩一はそろりと顔を上げた。

嘉国は笑っていた。
その不敵な笑みを怪訝な顔をして浩一は見つめる。不謹慎だと思った。

だが。

「お前、俺が死んだら泣いてくれるんだ。」

「…」

浩一は暫く眉間に皺を寄せて固まっていたが、はっ、と我に返り、しまった、という顔をした。

「誰が泣くかっ。」

慌てて反論した浩一に、嘉国はニヤニヤと笑っているだけだ。
なんと恥かしい事を言ってしまったのか。赤くなる顔と急激に上がる心拍数を誤魔化すために悪態をつく。

「てめぇ、笑うな。」

悔し紛れに小突こうとする浩一の腕を、嘉国は笑いながら避けると、太陽の沈んだ薄暗い道を軽い足取りで進み始めた。

残された浩一はにわかに早鐘を打つ心臓を、押しつける様に胸を撫でた。そしてまだ温もりの残る掌をぎゅっ、と握って嘉国の背中を眺めながらその場に立ち尽くしてしまった。

そして、ひとつ溜め息をつく。

畜生。


何だかからかわれただけの様な気がする、と浩一はため息を吐く。
唄ひとつで深刻に受け止め取乱した自分がなんと情けなく滑稽な事か。
白い息がいつの間にか暗くなった夜空に消えた。

なんであんなに不安になったりしたんだ。
たかだか唄一つで。
真剣に考えた自分が馬鹿みたいだ。



太陽は沈んだ。
辺りはもう暗闇に染まって、東の空には一番星。


心臓は、まだうるさかった。




「なぁ、ひろかずっ!!」

10m程先に進んだ嘉国から不意に呼び掛けられ、浩一は肩を揺らした。
そんな事はお構いなしに、嘉国は閑静な住宅街で大きな声で叫ぶ。

「俺、死別の唄って言ったけどさぁー。」

近所迷惑だから止めろと身振り手振りで浩一は嘉国の言葉を押さえさせようとしたが、嘉国は尚も大きな声で話し続けた。

「それはぁ、昔のイメージっつったろ。今はさ、どんなに遠くに離れてても、必ずどこかでまた会おう、っていう約束の唄だと思ってる。」

「…」

「お前は俺が大好きなようなので、生きてるうちは可哀相なお前と一緒にいてやるよ。それでもし遠い未来に俺が死んだら、この唄を思い出してよ。」

暗がりに響いた声が、真剣だと分かる。

「(何が言いたいんだ、こいつは。)」
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