TRAIN
『お前、暗いなあ。』
初めて菊池が浩太に話しかけたのは、高校一年の四月。
たまたま同じクラスで、席が隣同士だったことがきっかけだった。
周囲と馴染めずにいた浩太に、菊池はなんの躊躇もなく話しかけてきたのだ。
派手な外見は彼が生まれ持ったもので、整った顔や、底抜けに明るい性格は周囲からも好意的に取られていた。
反対に、生れてこの方、ずっと根暗で地味を貫き通してきた浩太は、「ある事件」がきっかけで人間不信に陥り、地味な顔は輪をかけて薄暗く、その目は疑心暗鬼で満ちていた。
それは、家族も、小中学校からの友人も例外ではない。
浩太はこの広い世界の中で一人ぼっちだった。
ありとあらゆるものが浩太の敵だった。
自分に声をかけてくる意味も分からず、浩太は最初、菊池に異常な警戒心を抱いていた。
「(こいつも一緒の中学から来た奴らからおれの話しを聞いたんだ…きっと仲良くなる振りをして、裏でおれを笑い物にするに違いない。)」
濁り切った瞳でちら、と菊池を見た浩太は、それから半年ほど、呼びかけられても彼の顔をまともに見る事はなく、頑なに心を閉ざしていた。
しかし、菊池のしつこさは半端ではなかった。
菊池は事あるごとに浩太にちょっかいを出し、交流を求めてきた。
ある時は教室で、ある時は授業で、ある時は休み時間のトイレ、さらにある時はプライベートの時間にさえ現れ、菊池はくだらない話を土産に、浩太を構い倒したのだ。
「懐かしいなぁ…。お前を振り向かせるには多大な努力と体力と時間を要した。」
「お前のしつこさは異常だったよ。」
「違うぜ浩太。粘り強かったと言ってくれ。」
「教えてやろうか。そういうのをな、粘着質っていうんだ。」
「人を納豆みてぇに言うんじゃねぇよ。」
もっと言いかたってもんがあるだろうが、と菊池が呟いたので、浩太は「粘着質」という言葉以外のキーワードを頭の中で懸命に探してみたが、他にぴったりと思いつく言葉が出てこなかったので、やはり「菊池は粘着質」という所に落ち着いた。
夜の電車はラッシュの時間も過ぎて閑散としている。
浩太と菊池の乗る車両には、彼らの他に酔っ払いのおっさんと、バカみたいにイチャイチャとしているカップル以外客はいない。
網棚には誰かが忘れて行った週刊誌。
そして緩いカーブに差し掛かると、電車の床を空になったコーヒーの缶が転がった。
ガタンガタンと揺れながら、4両編成の小さな箱は、線路に沿って蛇行しながら夜の街を駆けてゆく。
見慣れた風景は闇に閉ざされ、あるいは薄暗い明りに灯され昼間とは全く別の顔になっていて、懐かしいと思う前に、どこか新鮮さを覚える。
この街での18年間の想い出が電車に乗って流れてゆく。
「短かったなぁ。」
「…」
ぽつりと菊池が呟いたのを聞いて、浩太は黙って頷いた。
彼の言う「短い」が高校を表す3年なのか、この街で暮らした18年間なのか。
どちらを指すのかは分からなかったが、どちらにしろ大差ないような気もした。
振り返ればあっという間。
菊池に粘着質に付きまとわれたことも、今では良い思い出になっている。
菊池も浩太と同じく、この街から出てゆくことを最初から決めていたらしかった。
彼はこの電車の終点駅で、浩太とは反対方向の新幹線に乗車する。