君の涙とわがままと


そう言った父から、康高は目を逸らすと、窓を眺めた。


隆平は毎年毎年、康高に新年の挨拶を一番にするために、日付かま変わる少し前に比企家を訪れていた。康高に挨拶をすると、隆平は比企家の年越しそばを食べて帰る。

それが毎年の恒例行事だったが、今年は来るはずが無い。

あの濡れ縁で話した以来、藤四郎から隆平の話題は出ることは無かった。それはあれ以来、康高が隆平の仲が何も改善していないことを知って、気を遣っているのだと思っていたからだった。

それが、なぜ今更になって。

「来るわけがないだろ。」

康高が怪訝な顔をして、テレビにまた視線を戻した。
あれから、父の言葉を何度も反芻したが、康高にはとうとう理解出来なかった。
きっと仲直りしろ、という意味の事だと思っていたのだが、やはり隆平のことを考えると、苛々に加えひどい胸の嫌みに襲われ、それが億劫で、最近では考えることすらしなくなっていた。

しかし、藤四郎はそんな息子を眺めると、にっこりと笑う。

「玄関に行っておいで。」

そう促され「嫌だ。」と言おうとする康高に、台所の奥から由利恵の声が追撃してくる。

「玄関に行くなら、外で冷やしてあるお蜜柑とって来て頂戴な。」

ついでに頼まれ事を押し付けられて、断る理由を無くした康高はしぶしぶと玄関に向かう。

「来るはずがない。」

扉の前でもう一度呟いてカチ、と鍵を外すと、康高は引き戸をガラガラと音を立てて開けた。

「…」

「…」

そうして、康高は言葉を失ってしまった。
そこには、見慣れた、だがとても懐かしい顔があった。

薄手のパーカーに黒のダウンを着て、玄関先で立ちすくみ、驚きの表情を顔に貼り付けている、千葉隆平。

その予想していなかった事態に、お互いが焦っていた。
隆平は目を泳がせてまともに康高と目を合わせられずにいた。
それを見てやはり、イラ、として怪訝な顔を康高はしてしまう。
だがすぐに隆平の頬や耳、鼻が真っ赤である事に気がついた。
長い間外でこうして立っていたのだろう。
むき出しの手も霜焼けで真っ赤になっていた。
康高は無意識に隆平に言葉をかけた。

「中、入れば。」

ぶっきらぼうな物言いになってしまったのを少し後悔したが、震えている手を見ていれば、とにかく暖かい所へ入れなければならないような気がした。
しかし当の隆平は、その康高の顔を見て、悲しそうに笑ってから頭を振った。

「いい。たいした用事じゃ、ないから。」

そう言った言葉が震えて、どんなに寒い思いをしたのかが伺えた。

遠くから、除夜の鐘の音が聞こえる。
しんしんと降り積もる雪に、霜焼けで赤くなった隆平の顔がやけに映えた。

「…去年はお世話になりました。」

ポツリと呟いた隆平を見て、康高はああ、と応えた。

「いや、去年、てか。今まで、お世話になりました。」

「…」

「今まで、迷惑かけて、お前に、嫌な、思いさせて。だから、お前がおれに愛想つかしたのもわかる。ダメな友達でごめん。」

言った隆平の瞳から、ぼろっと大きな涙がこぼれた。
それに、康高は目を見開く。
久しぶりに見た隆平の涙に吸い込まれるように見入った。
きらきらと流れて。
綺麗だ、と思った。

「もう、これからは、今年もよろしくなんて、言えない、けど」

濡れた瞳が康高を捕らえた。真正面から、逃げずに、隆平は真っ直ぐだった。

「今まで、守ってくれて、ありがとう、さようなら。」





除夜の鐘が鳴る。

言い終えて、踵を返そうとした隆平を、康高は無意識に引き寄せて抱きしめていた。
なんて冷たいんだろう、と康高は隆平の肩に顔を埋めながら思う。

この身体を冷たくしてしまったのは自分だ。

そうして抱きしめられた隆平が、とうとう声をあげて泣き出した。

「おれ、おまえに嫌われたく、ねぇよぉ。」

そう言っておぼつかない手つきで康高にしがみついた。

「また、仲良くしたい、し、笑ってたい、し、さよならなんかしたくねぇよ。」

泣きながら訴える隆平の言葉一つ一つに、康高は「うん、うん」と頷いた。
抱き返してくる手だとか、耳にかかる震えた声だとか。
それらが堪らなく愛おしいと思った。




あぁ。そうか、と康高は口の中で呟いた。



俺は、隆平を諦めようとしていたのか。


お前の涙を見て、その涙をせき止めらられず、拭うしかできない自分に苛々とし、お前の笑顔を見て、その笑顔が自分だけのものでは無い事に絶望して、どうしたらお前を手に入れられるか、考えて考えて、疲れてしまったのだ。

どうしようもなくなって、お前から離れることを決めた。
だけどそれは、結局、自分が傷つきたくなかったからだ。


だから、諦めるふりをして、逃げたんだ。
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