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「あの日あの時あの二人(?)」


その⑨ 康高と千葉家(勇治)


「何しに来たんだこの野郎。」

「勇治さん。こんにちは。」

凄まじく機嫌を損ねた表情で玄関から顔を覗かせた千葉家の大黒柱に、康高は淡々と挨拶をした。


千葉勇治という男は、康高が幼い頃から大人気なく、康高を勝手にライバル視してくる痛いオッサンだった。
まぁ康高にも心当たりが無いわけでは無いが、大人気無いオッサンだな、と幼心に思ったことが有る。


と、いうのも、千葉家の連中は比企康高という少年が大好きなのである。
息子隆平をはじめ、娘紗希、挙句、母佳織まで虜にする魔性の男、それが比企康高だ。
康高が来れば「やすたか、やすたか」と慕われて、横の実父には見向きもしない子供たちもそうだが、会う度にメロメロな嫁を見るたびに嫉妬の嵐が渦巻いているらしいのだ。

この男が千葉家に紛れると、勇治は父親としての尊厳を奪われる事は勿論の事、その存在さえも危うくなるのである。

康高という少年のお陰で、勇治はこれまで幾度と無く辛酸を嘗めてきたのだ。

あんなことや、そんなことや。
とにかく沢山悲しい事があったようで、今でも千葉家を訪れる際、勇治にだけは歓迎されたためしが無かった。

現に今も、玄関先に現れた康高に対し、勇治は扉からジッと伺うようにして顔を半分だけ出したままで、康高を家に中に招き入れる様な事はしない。

まるで妖怪だな。

そうして、扉から覗く薄気味悪い半分の顔を見ながら、康高はぼんやりと思った。
いや、でもあの状態のまま手招きされてもそれはそれで恐ろしい。
こうして見ると、行動パターンが隆平と全く一緒で、遺伝子とはかくも恐ろしいものか、と少々憐れになってしまう。
もちろん、紗希が。

「千葉の家に何しに来た~。娘ならやらんぞ」

「いりませんよ。」

欲しいのは息子だ、と、この恒例のやり取りをする度に思うことだが、これ以上関係を悪化させるわけにも行かず、康高はいつも喉まで出かけては飲み込んでやり過ごしていた。
それから手に持っていた紙袋を少し持ち上げると、廊下の奥の妖怪半顔に向かって口を開く。

「母から託けを預かって参りました。梨です」

親戚から中元で大量の梨が届き、食べきれないから、と由利恵に頼まれたのである。
その、瑞々しく芳しい香りが廊下の先まで届いたのか、勇治が先ほどよりも少し顔を覗かせたのを見て、康高はやはり、と思う。

隆平が拗ねる際も、こうして何か土産物を持って行ってやるとドアを少しだけ開けてくれるのだ。
それを見計らって強行突破に及ぶのが常だが、目上の大人に同じ行為をするのも気が引けて康高は苦笑いを零す。

「仕方ない…今日は由利恵さんに免じて許してやろう…。」

そう言って渋々扉を開けた勇治に、康高は「どうも」と笑った。
こんな風に意地の悪い事はするものの、勇治が家に入れてくれなかった事は一回も無いのだ。

そうして千葉家の敷居を跨いで玄関を上がると、佳織から盛大な歓迎を受けて、また勇治の恨みを買うのがいつものパターンである。

小さい頃から全く進歩の無い人達だと思うが、嫌いでは無い。

それは、だって。
なんと言っても、隆平と紗希をこの世に生み出してくれた人達だからな。

感謝しても足りないくらいだ。
そうして佳織の強烈な歓迎と、勇治の怨念の篭った視線と恨み言を浴びながら、二階から賑やかに降りてくる二つの足音に、康高は耳を済ませた。

千葉家に溢れる音の洪水は、いつもと変わらず、喧しくて騒がしくて


堪らなく優しいのだ。






「もう~!!お父さんたら、また康高君に意地悪したでしょ!!大人気無い!!今年でお幾つになったのかしら!!?」

「いいんだ…おれは永遠の少年なんだから…。」

「馬鹿言ってないでいただいた梨を仏壇に上げてちょうだい」

そう言って、佳織は勇治の頭に乱暴にお盆を置くと、綺麗に梨を並べ始めた。
そして佳織がお盆から手を離すと、それと入れ替わる様にして勇治が頭の上のお盆を両手で支えてからゆっくりと下へ下ろす。
それからお盆を抱えるようにしてノロノロと立ち上がると勇治は仏間に入り、仏前へ供え物をして座り込んだ。

「お母さんは分かってない…。あれは後々苦労しない様にとの、おれの配慮なのに…。」

「うそつけ」

間髪入れずに台所の方から突っ込みが入って、勇治は苦虫を噛み潰した様な顔をした。
それからブツブツと言いながらマッチを取り出して蝋燭に付け、線香を取り出していると、横に並んだ佳織が切り揃えられた花を仏前に飾る。

「ふん、どーせ将来うちの息子になるんだ…。これくらいの嫌がらせには耐えて貰わんと…。」

「もう舅気取りか…紗希にだって選ぶ権利はあるわよ。」

呆れた様に言った佳織がやれやれ、と首を振ると軽く手を合わせて、仏間から出て行ったのを横目で見た勇治は、黙って線香を立てると、遠慮がちにチーンと鐘を鳴らした。

「選ぶ権利ね。」

そう呟いた勇治は静かに目を閉じて手を合わせる。


「まぁどっちを選んだとしても、おれが苛めるのには変わりないんだけどね。」


南無阿弥陀仏、と唱えた勇治の鼻に、甘い香りが掠める。
千葉家にはきっと比企家と同じであろう、梨のいい香りが漂い始めていた。



おしまい
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