パラレル兄弟





「あ、兄貴」

その声は紛うはずもない、長男、宗一郎の声だ。
しかしケータイ越しに聞こえるその声に怒気が顕わになっている事に、大雅は一瞬で家を留守にしていたのがバレたのだと、と察した。
家に自分がいないのを知っているという事は、兄は既に家に居るのだろうか。
口調から相当怒っているのが知れて、帰ってから自分に落ちる雷を思い身震いがしたが、同時に、宗一郎の庇護の元に弟がいるのだ、と思うと大雅はどっと肩の力が抜けた。
なにせ巷で言う「不良」の類に入る宗一郎は喧嘩では負け知らず、歩く凶器とまで言われた男である。
兄貴と一緒にいるのなら何の心配も無い。
大雅が思わず安堵の溜息を吐くと、勘違いをしたらしい宗一郎の、「溜息つきてぇのはこっちだ!!」という怒声が響いた。

『家には居ねぇ!!電話は出ねぇ!!ナメてんのかおめぇら!! こんな暗い中ガキがウロついてんじゃねぇ!!道草くってねーでさっさと帰って来い!!』

今の大雅には耳に痛い言葉だ。
しかし宗一郎の声にホッとした大雅は、珍しく反抗もせず、小さな声で「あぁ、わりぃ、ごめん」と答える。
今まで走っていただけに、心臓が苦しいくらいに鳴って、まともに返答できない事を考慮しても、この大雅の態度は稀に見る態度だ。

だが当の本人はそれに気がつくはずも無く、急に安心したせいか、息を切らして走った自分が急に馬鹿らしくなり、暗くなった道をノロノロと歩き始めた。
もちろん早く帰って、一人にしてしまった事を弟に謝ろうという気持ちはあったが、彼のために必死になった自分を思い返して、ひどく恥ずかしくなった。

(アホらしい。)

そう考え、ケータイ越しで怒鳴る宗一郎の声を右から左へと聞き流しながら夜道を歩く。
あんなに必死になり、まるで弟に危機が迫っているかのように振舞って、なんとも馬鹿らしい、と大雅は額の汗をぬぐった。
そればかりか、こんなに早く帰ってくるなら先に言えよ、と宗一郎への不満が洩れるほどの余裕が出てきた。

だが、ある違和感に大雅は足を止めた。

ケータイの宗一郎の声が、なぜか二重になって大雅の耳に届く。

思わず故障かとケータイを耳から離してみると、なんとケータイから耳を離しているにも関わらず宗一郎の声が聞こえてくる。
思わず大雅が怪訝な顔をすると、ちょうど前方の曲がり角から見覚えのある銀髪がこちらへ曲がってくるのが目に入った。

「あ」
「あ?」

その予想だにしなかった姿に、お互いキョトンとした顔をしてしまった。

「兄貴」
「大雅」

同時に呟いて、間抜けな顔をした二人は、さらに同時に相手が一人である事に目を見開く。
宗一郎は家に居ない二人を探しに外へと出てきていた。
家に二人の弟が居ないのであれば、当然一緒に出掛けたのだと思うだろう。
ケータイが通じない今、自分の足と大雅を頼りにするしかなかった。
勿論、宗一郎は大雅と隆平は連れ立っていると信じ込んでいたので、万が一の事があっても凶暴な大雅ならなんとかなる、という思いがあった。

だが、目の前の弟は一人。
後ろにも誰もいない。

「おめ、隆平はどうした。」

宗一郎の言葉に、大雅は唖然とした。
一人の大雅を宗一郎が不思議な心持ちで見るのと同じく、一人の宗一郎を、大雅は信じられないような気持ちで眺めていた。
同時に、この兄が幼い弟を一人置いて家を出るような人間では無いという事はよく知っていた。
それだけに、大雅はこの銀髪が曲がり角から姿を現した際、当然の如く、小さな弟も一緒だと思っていたのだ。

だが、ここに末弟の姿は無い。

「居ない」という言葉に、大雅は引いた汗がゾッと冷えるような感覚に襲われた。

「家に、居ないのかよ。」

信じられないような気持ちで大雅が絞り出すような声を出すと、怪訝な顔をした宗一郎が青褪めた大雅の顔を見てハッとしたような顔をした。

「一緒じゃねぇのか!!」

宗一郎の声に、大雅は声が出せない。
まさか、まさか、という思いが巡り、頭が真っ白になった。

「一緒じゃねぇんだな!!!」

宗一郎が大雅の肩を掴んで迫ると、大雅はようやく頷いた。
それに血の気が引いたのは宗一郎も一緒だった。


おかしいとは思っていた。
この次男は割合しっかりとした方なのに、あんなに部屋が汚くなっているのを黙って見ているわけがない。
あの無茶苦茶な汚れ方は隆平が一人だったからできあがった惨状だったのか、と今更ながら思い至らない自分に、宗一郎は腹を立てた。

あの家には「隆平しかいなかった」のだ。

そしてなんらかの事情、または事件があって一人外へ出てしまったのだ。

「マジかよ…。」

落胆したような宗一郎の声に、大雅の体に冷たいものが走る。
大雅の手は今やすっかり体温を失って無意識にぶるぶると震えていた。
その様子をみた宗一郎は、咄嗟にこの次男が末弟を置いて一人外出をしたのだと知った。
しかし、ここで大雅を責めても何もならないという事が分かる程には、宗一郎は分別がついた大人だった。

「分かった。俺が探しに行く。おめぇは帰れ。ケータイの電源、絶対に切るなよ。」

青褪めた顔の大雅の顔を覗き込むように、宗一郎はしっかりとした口調で言った。
それに大雅が「オレも」と口を開きかけたのを制する。

言ってみれば、大雅が一人で居るのも十分に危険だった。
10歳といえば大きな自尊心を引きずる一方、身体や知能はそれに伴わない、世間一般でいう「子供」なのだ。
彼にもまた、十分危険がついてまわる。

特のこの時世だ、と宗一郎は苦い顔をする。
幸いここから家まではさほど遠くない。一人で帰るには心配は無いだろう。

とにかく、これ以上誰かの所在が分からなくなるのは避けたかった。
宗一郎が、ふと大雅の顔を見ると、彼の顔は強張って、恐怖の色がまざまざと現れていた。
勿論それが弟の安否に関するものだと分かり、宗一郎も自身の掌にじっとりと汗をかいているのが分かった。
隆平に何かあったら、という恐怖は、二人共通のものだ。
それにハッとした宗一郎は思い切り掌を握った。
なんて事を考えているんだ、と大きく頭を振って妙な考えを打ち消し、大雅を見る。

「大丈夫だから家で待ってろ。隆平が家に戻ってるかもしれねぇだろ。」

二カッと笑って、宗一郎は大雅の背中を力強く叩いた。
沈んだ顔の大雅の瞳に、ようやく光が戻ってきて、大雅は宗一郎の言葉にしっかりと頷いた。

「よし、何かあったら必ず連絡しろよ。」

「わかった。」

大雅の手が、ぎゅう、と握り締められたのを見た宗一郎は、頷いた。
そして、互いに踵を返そうとした際、宗一郎は大雅に向かって叫んだ。

「大雅、大丈夫だからな!!」

その声に、大雅がしっかりと頷いたのを見て、宗一郎は身を返す。

大丈夫、というのは大雅を元気付けるためと言うよりも、ほとんど自分へ言った言葉だった。

隆平に何かあったら?
何か、だと?

そんなもん、あってたまるか…!!


大雅を子供と称した宗一郎ではあったが、隆平の安否に身体が震え、咄嗟に両親の顔が浮かび、彼らに縋りたいと思うくらいには、宗一郎も子供だった。






その頃。
別の方向から来た二台の車が、和田家に着こうとしていたのを二人は知る由もない。
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