パラレル兄弟





玄関の灯りが付いている事に安堵した宗一郎は、ホッとしながら鍵を開けて中へ入った。
玄関だけではなく、家のあちらこちらに電気が付いているのを見て、宗一郎は心配損だったな、と安堵の溜息をつく。
自分の心配性を少々恥じた宗一郎は、その恥ずかしさを隠すように、玄関に入ると何時もより大きな声を出した。

「たでーまー。」

奥のリビングに響くような声を出す。

だが、なぜか宗一郎の声に何の反応も返ってこない。
いつもなら隆平がドタドタと足音を立てながら走ってくるのが常なのだが、そんな気配もない。
だが室内は明るく、リビングの方からはやたらと音量のでかいテレビの音が聞こえてくる。
さてはテレビに夢中になって、自分の声が聞こえていないのだな、と宗一郎は眉を顰めた。
靴を脱いで、まっすぐにリビングを目指す。
帰った早々怒るのは気が引けるが、こんな大きな音でテレビを見ていたのでは難聴になってしまう、と早足で廊下を歩いてリビングのドアに手を掛けた。

「大雅、隆平。」

何時もより低い声を出しながらリビングの扉を開けて中を覗くと、テレビでは見慣れた人形のキャラクターが丁度ラッパを吹いているところだった。それが余りにも大きな音で、宗一郎は慌てて床に落ちていたリモコンを拾うとテレビの音量を下げる。

この番組を見るのは間違いなく隆平。

「隆平!」

思わず咎めるような声を出して宗一郎はソファを覗き込んだ。
だがそこには隆平の影も形もなかった。
あるのは、何故かタオルが数枚。

それに首を傾げた宗一郎は、手にしていたリモコンを机の上に置くと、少し大きな声を出して廊下に顔を出した。

「隆平―?」

トイレだろうか。
洗面台の方が明るくなっているのを見て、宗一郎は鞄を肩にかけたままそちらへ向かった。
そして、覗き込んで唖然としてしまった。

「なんだこりゃ。」

思わず目を丸くしてしまったのは、洗面台が水びだしになっていたからだった。
洗面台の周りは水が飛び散っており、そこにグッショリと濡れたタオルが数枚落ちている。
だがやはりここにも人の気配はなく、濡れた床がキラキラと光っている。
これは一体、と宗一郎がその目を洗濯機の方に移せば、下の差込にコンセントが刺さったままのドライヤーが転がっていた。
ドライヤー?髪でも洗ったのか、と宗一郎が風呂場を覗くが、人気も水気も無い。
今日はまだ使われた気配の無い風呂場に佇んで、宗一郎は頭の上にハテナマークを沢山浮かばせると、洗面器の上に置いてあるアヒル隊長と目があった。

「何だ何だ…?」

一体何があったというのか全く予想が付かない状況に、宗一郎は洗面台を後にして、階段の方へ向かうと、下から大声を出した。

「大雅ぁ!!!隆平ぇ!!!」

洗面台を出ようとして誤って床の水を踏んでしまい、湿った靴下の感覚の悪さに、思わず声が荒っぽくなってしまったが、構わずに惨事の犯人であると思われる弟達を呼ぶ。
片付けもせずに一体どこへ消えたのか。
使ったものは片付ける、といつも口を酸っぱくして教えている筈なのに。

「コラァ!!!返事ぐれぇしろ!!!」

怒鳴りながら階段を昇り、子供部屋のドアを開けた。

「…ん?」

宗一郎が中へ入ると、そこはもぬけの殻だった。
隠れているのか、とズカズカと部屋の中に入り、布団の中やクローゼットを覗く。

「…おい」

そこには確かに誰もいない。灯りは付いているのに、大雅も、隆平も。

宗一郎に、嫌な胸騒ぎが起こる。
部屋の中央に立って、辺りを見回すと、床に落ちた毛布、隆平の鞄、そして、机の上に置かれた大雅のランドセルが目に入った。

「…」

鞄がある。
と、いうことは少なくとも帰って来てはいるはずだ。
それなのにどうして誰も返事をしないのだろうか。

宗一郎は、この部屋だけではなく、明るい家に人の気配が全く無い事に気が付いて、ハッとすると慌てて踵を返し、階段を駆け下りて玄関を見た。
それから嫌な予感が的中した事にぶわ、と汗が吹き出るのを感じた。

「嘘だろ…!!!」

そこに弟達の靴がなかった事に、ようやく気が付いたのである。














「何をしているんだ。」

康高がその不審な陰に声を掛けると、思いのほか小さな影がびく、と揺れた。
それから下駄箱の陰に隠れていた身体をおずおずと康高の方へ姿を現す。
生徒かと思ったが下駄箱の陰から現れたその姿は、想像していた容姿よりもずっと幼い。
康高は思わず怪訝な顔をしてしまった。

「…幼児…。」

影の正体は、まだ小学生にも上がらぬような小さな少年だった。
なぜこんな所にこんな子供が?
周りに保護者が居ないか確認をとるが、どうやら彼一人のようで、少年は小さな身体に何か抱えながら、じっと康高の事を見ている。

「…妖怪か…?」

半身だけ見える姿が薄暗さを伴って妙に不気味に見え、その姿は東北地方の座敷童子を髣髴とさせたが、少年の胸の大きなチューリップ型の名札を見付けて、康高は思わずゆるく首を振った。

「座敷童子が神代保育園の名札を付けているか?」

しっかりしろ、と自分に軽く突っ込みを入れた康高は、少年を怖がらせない様にその場にしゃがみ込んだ。
すると少年がビク、と身体を揺らしたのを見て、少し可笑しくなって思わず噴き出してしまう。
だが子供と一対で話す時はこうして目線を合わせたほうが良いと、幼馴染から聞いていたので、むやみに近づかず、極力怖がらせない様に、と勤めた。

「こーら。お前がここに来るのはまだ早いぞ。」

笑いながらそう言えば、少年は大きな目をぐりぐりと見開きながら、康高の顔を凝視してきた。

「おじさん、だれ?」

「おじさんじゃない。康高先生だ。お前こそ誰だ。」

康高が首を傾げると、少年もつられて首を傾げた。

「おれ?おれは、りゅうへい。」

よんさい、と言いながら小さな指を三本立てた隆平を見て、康高が再び噴き出す。
りゅうへい、と康高が繰り返すと、隆平は「うん」と思い切り頷いた。

「そうか。自分の名前、きちんと言えて偉いな。」

康高が優しく笑うと、褒められて嬉しかったのか、隆平もつられて何やら楽しそうに「えへー」と笑ったのだった。
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