パラレル兄弟
その頃…
友達の家でゲームをしていた大雅は、どうも集中できず、得意なはずの対戦に一度も勝てずにいた。
「どうしたんだよ、今日全っ然ダメじゃん、大雅。」
「…」
ゲーム機を持ったまま沈黙していると、外からゴォ、という音が聞こえて、大雅は顔を上げる。
緑のカーテンが掛かった窓の外はもう真っ暗で、風が強いのか木がザワザワと揺れているのが目に入った。
寒そうだ、と大雅は顔を顰める。
今いるこの部屋はとても暖かだが、外はきっと寒いのだろう。
嫌だな、と考えながら大雅はふと家のストーブを付けて来るのを忘れていた事に気がついた。
自分一人なら付けて来る必要は無かったが、あの家には今弟がいる。
「…寒くしてねぇよな…。」
いくら幼いとは言え、ストーブの付け方くらいは知っているはずだ。
スイッチ一つで簡単に付けられるのだし、火は使わないから火事の心配だってない。
弟はバカだが、それくらいできる。心配ない。
大丈夫だ、大丈夫。
「おい、大雅っ!」
唐突に肩を叩かれて、大雅はビク、と肩を震わせた。
目を見開いて友達を見ると、彼も大雅の反応に驚いたようだった。
どうやら何回も呼ばれていたらしく、回りの友達も不思議そうな目で大雅を見ている。
それに気まずそうな顔をして、大雅は俯くと小さな溜息をついた。
「…わりぃ。」」
彼は思わず詫びると、周りの友達はお互いの顔を見合わせてから、「お前、大丈夫か?」と心配そう大雅の顔を覗き込む。
それにようやく「なんでもねぇ。」と返したが、表情を取り繕うことはできなかった。
全く、馬鹿らしい。
こんなに心配をするなんて、兄貴じゃあるまいし、と大雅は小さく溜息を吐く。
何故こうも不安になるのか、その理由がさっぱり分からない。
無意識に一人考え込んで、思い浮かべるのは弟のこと。
弟の面倒を見る煩わしさから解放されたくて、家を抜け出し友達と遊ぶ、という高揚感に浸ったのはほんの一瞬だった。
友達の家に長居すればするほど、妙にソワソワとしてしまって、ゲームや友達の会話に集中出来ない。
今や大雅の頭の中は、家にたった一人置いてきてしまった弟の事で一杯だ。癪だが、本人もそれに気が付いていた。
「…くそ」
家に何も危険なものは無いはずだ。
それなのに、この妙な不安が消えないのはどうしてなのか、幼い大雅には分からない。
それ故に、自分がこのままここにいて良いのか、帰った方が良いのかの判断を決めかねて、大雅は胸の内のモヤモヤとした感情を消化出来ず、ただ思い悩むばかりだった。
「そういえば大雅、弟はどーしたの?」
大雅の妙な雰囲気から察したのか、一人の友達が漫画から顔を上げて問うと、大雅は無愛想な顔のまま「家」とだけ答えた。
「迎えには行ったんだ。」
「うるせーな、行ったから家にいんだろ。」
どこかホッとしたように、だよなーと笑う友人を見もせずに、イライラとしながら大雅は乱暴にゲームのボタンを連打する。
友人に弟の話題を出されると思っていなかった大雅はやや意固地になって、ゲームのボタンを押し続けた。
心配なんかしていない、と大雅が自分に言い聞かせたその時、部屋のドアが開いて、大雅は思わずそちらを向いた。
ここは他人の家で、ありえないと分かっているはずなのに、
何故だか分からないが、隆平が入って来るような気がしたのだ。
だが、そこに立っていたのは、友人の母親で、部屋にぎゅうぎゅう詰めになった少年達を見るなり、呆れたような顔をした。
「よくもまぁこんな狭い部屋にこれだけ入ったわね。」
「何だよ!!勝手に開けんなよ!!」
友達の集まりに母親が顔を出す気まずさ故か、部屋の主である友人の言葉が少し乱暴になるのを、大雅は黙って眺めていた。
いつもはこんな乱暴な言葉遣いをするような奴ではないのだが、友達の手前、気恥ずかしさが先立つらしい。
その光景に既視感を覚えながらも、大雅はボンヤリとその口論を見守った。
彼が思案していると、顔を出した母親は、息子の暴言にも慣れた様子で軽くあしらうと、集まった友達を見渡して真面目な顔をした。
「皆ね、もう帰りなさい。遠い子は車で送っていってあげるから。」
「えー。」
「文句言わない。」
彼女の言葉に不満の声が上がったが、母親はそれをぴしゃりと制した。
そんなに遅い時間だろうか、と大雅が視界に入った時計を見ればもう五時半過ぎだった。
隆平を家に置いて来てから、かれこれ一時間近くもたっていた。
「変な人がウロウロしているんだから、あんまり暗い時間は出歩いちゃだめよ。」
「そんなの女が気を付けてればいいことだろー。」
「ばかね。」
まだ渋る様に言い訳を繰り返す息子の頭をゴツンと叩きながら母親が付け足した言葉に、大雅は自分の耳を疑った。
「近頃は男女関係ないのよ、つい二日前だって、ヘンな人に連れて行かれそうになった子は、3.4歳の男の子なんだから。」
瞬間、ざわ、と大雅の背中に何か冷たいものが駆け巡った。
そして気が付けば、大雅は弾かれた様に立ち上がっていた。
大雅の顔からは血の気が引いて、青ざめていた。
突然立ち上がった大雅に、友人や母親が驚いていると、大雅は殆ど聞こえないような声で「帰ります。」と呟くと、床に投げ捨てていた上着を手に取り、弾丸のように、その部屋を飛び出した。
上着に腕を通しながら外に出ると、予想通り寒さに大雅は顔を顰める。
風が冷たくて、頬を刺すようだった。
だが、いやな胸騒ぎに、大雅は堪らずに走り出す。
にいちゃん
なぜだか隆平に呼ばれたような気がして、大雅は胸がぎゅう、と締め付けられた。
「ん?」
大雅が友人の家を飛び出した頃、小学校で妙な人影を見つけたのは大雅の担任である比企康高だった。
学区内を巡回をするため、車の鍵を片手に薄暗い玄関で靴を履き替えようとした際、視界の端に何かもぞもぞと動く影を見つけたのである。
「なんだ…?」
こんな時間に玄関に居る人物に心当たりが無かった康高は怪訝な顔をしながら首を傾げた。
他の先生は皆すでに出払っていたし、生徒はみな早く帰らせたので、誰も残っていない筈なのだが、そこには確かに誰かいる。
そして康高がその影に近づいたのと同時刻、和田家には今まさに長男の宗一郎が帰宅しようとしていた。