パラレル兄弟



「でねぇな…」

受話器越しに何度目かのコールが鳴ったのを聞きながら、宗一郎は誰も電話に出る気配がない事が分かり、諦めてケータイを切った。

時計を見れば16時半過ぎ。
 
もう大雅が隆平を連れて家に戻っていても良い時間帯なのだが、家に電話しても誰も電話に出ないところを見ると、まだ帰ってきていないのだろうか。

宗一郎はケータイを持ったまま、おもむろに外を眺める。
この時期、こんなに暗くなるのが早かったろうか、と怪訝な顔をした。
自分が外に出る分には全く気にならない暗さではあったが、子供だけでうろつくには些か心配だ。

家に電話する前に、大雅のケータイにも連絡を入れたのだが、受話器越しに聞こえたのは無機質な女の声で「電源が入っていません」というメッセージ。

「何してんだ…。」

イライラとケータイを操る手を早めがなら、再度大雅のケータイに連絡を入れるが、結果は同じだった。

高校はつかの間の休み時間。
あと五分もすれば7時間目の授業が始まってしまう。
宗一郎が心配するのは無理もない。親が海外へ行ってしまってから最初の日だ。
隆平が寂しがって泣いていないか、大雅がそれに手を焼いて癇癪を起こしていないか、というのが心配だった。

そして一番懸念していたのは…

「変質者は大丈夫かなぁ~。」

「うぉ!!!」

突如背後から聞こえた声に、宗一郎が振り返ると、彼のすぐ後ろに、和仁がぴったりとくっ付いていた。
和仁が背中に張り付き「逞しい背中…」と呟いたのを聞いた宗一郎が、全身に鳥肌を立たせて、全力で和仁を地面に沈めたのは実に仕方のないことだった。

「どっから湧いて出たんだおめぇは!!」

宗一郎が怒鳴りながら床にめり込んだ和仁を見ると、和仁は顔を上げてニヤニヤとしながら手に持っていた教科書を掲げた。

「やーね。次はオレの授業でしょ。」

それを見た宗一郎はハッと本日の時間割を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をする。

出来ることならこんな奴の授業なぞ休んでしまいたいのだが、如何せん、この男の授業は宗一郎の進路には必須の科目だった。
不本意ではあるが、休めない。

くそー…と宗一郎は頭を抱えた。
己が過度な心配性であるというのは認めるが、今の状況を考えれば弟二人の声を聞かない限りは安心して授業も受けられない。

「ふっふっふ…、お困りのようだね、和田チャン。どうだろう。ここは一つ取引をしないかね…。」

「は?」

床にめり込んだ際に鼻を強打したらしい和仁が、鼻血を拭いながら起き上がる。

「取引」という言葉に、宗一郎は思わず眉を顰めたが、和仁は相変わらずニコニコと笑ったままで、ズボンからテッシュを取り出した。

「ずばり、次の合コンに出てくれたら、今日の授業は自習にしますけど。」

和田チャンのクラスは進んでるからねー、と出席簿を見ながら人の悪い笑みを浮かべた和仁に、宗一郎は胡乱な目をした。
とんでもねぇ野郎だ、と思いながらも、弟二人の顔が宗一郎の脳裏を過ぎる。

勿論可愛い弟が心配だ、という思いがあったが、それ以上に、両親に大雅と隆平を頼む、と言われた手前、彼等を守る責任が宗一郎にはある。

「…今度はまともな女を呼べよ。」

苦々しい顔をしながらも、宗一郎が言った言葉を聞いた和仁は、それが承諾の意味であると分かり、ニヤリと笑った。

「オッケーオッケー。今度はちゃんと普通の子もチョイスするから。」

「絶対だな。」

念を押すように宗一郎が言うと、和仁は「信用無いなぁ」と笑った。
それを見た宗一郎は重い溜息を吐きながらも、和仁の提案を蹴る事ができず、逆に受けてしまったことを早速後悔し始めていた。

大体、自分はどれほど心配性なのだろう、と宗一郎は自分の習性に辟易としてしまう。
万が一、という言葉がどれ程アテにならないか、宗一郎はよく分かっている。


だが、それが決してゼロではないということも、宗一郎はよく知っていた。











電話の音が止んでしばらく。
また静寂を取り戻した家の一角で、隆平は息苦しくなって、毛布の中から顔だけちょこん、と出した。
その目は真っ赤に腫れていて、隆平は赤くなった目を擦りながら辺りをキョロキョロと見回した。

電話のけたたましいベルが鳴ってから、家はさらに静かになってしまったような気がした。

「にいちゃんっ」

掠れた声で再度兄を呼んでみるが、やはり返事は無い。
それにまたじわ、と涙が浮かんだ隆平は、毛布をぎゅう、と抱き寄せるとスモッグの袖で顔を拭う。
隆平の顔は最早涙と鼻水と涎でグチャグチャだった。

隆平は泣きながらずっと、どうすれば大雅が戻って来るか考えていた。

拭いてもすすってもまた出てきてしまう涙と鼻水を垂れ流したまま、隆平はぐちゃぐちゃの顔で部屋の中を見渡した。
それから、テッシュの箱を自分の机の上に見つけて、手を伸ばす。
しかし、バランスを崩した隆平は、頭に毛布を被ったまま、ころん、とベッドから落ちてしまった。

その痛さに、またじわ、と涙が溢れた隆平は、鼻をすすりながら、手元にあった布で、顔を拭いて、はた、と気が付いたのだった。

「これ…」

隆平が手に取ったのは、今朝方隆平がヨダレでべとべとにした、大雅のTシャツだった。

「…」

それを手に持った隆平はぐずぐずと鼻を啜りながら、その濃い染みの付いたシャツを暫く見詰めた。ぽた、と隆平の涙がTシャツに落ちて、新たなシミを作る。
このTシャツを汚くして、朝に大雅に怒られたことを思い出す。
彼の起こった顔や声を思い出すそのたびに、隆平の目から零れた涙が、パタパタとTシャツに落ちた。

にいちゃん、すごくおこってた。

溢れてきた涙に、隆平は慌ててスモッグの袖で顔を拭う。
これ以上このシャツを汚してはいけない、と思った。

隆平は先ほど落ちた涙の後も、スモッグの裾で擦る。
ごしごしと無心で擦り続けながら、隆平は突然その手を止めて、「…あ!!」大声を上げた。
何かハッと気が付いた隆平は、そのTシャツを大事に抱えたまま、勢いよく立ち上がり、子供部屋から弾丸のように飛び出したのだった。
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