パラレル兄弟




玄関には顔を顰めたままの大雅が立っていて、廊下の奥から隆平が駆けて来たのを見つけると、はぁ、と大きな溜息を吐いた。

「にいちゃん!!」

勢いよく抱きついて、ぴょんぴょんと飛び跳ねる隆平を見下ろした大雅は、その首根っこを捕まえて思い切り引き剥がすと、イライラとしながら「早くしろ」とだけ言った。
その大雅に、首がもげそうなほどぶんぶん、と勢いよく頷いた隆平は急いで下駄箱から自分の靴を取り出すと、玄関のへりに座って靴を履きはじめた。
もたもたと靴を履く隆平に、大雅は思わずチッと舌打ちを零してしまう。

「できた!」

「おせぇんだよ。」

靴を履いて立ち上がった隆平に、呟くような声で悪態をついた大雅は「行くぞ」と性急に隆平の腕を掴んだ。

こうしている間にも遊ぶ時間はどんどん減っている。
それに加え、若い母親達に紛れてこの場に居なければならない事が、大雅には耐えられなかった。

早くここから立ち去りたくて、隆平が保育士に「さようなら」と挨拶をしたかどうかも確認もせずに、大雅は保育園の玄関から出ようと踵を返した。

だが。


「隆平君のお兄ちゃん、ちょっと待って。」


掛けられた声に振り返ると、隆平の手をガッチリと掴んだ紗希が困った様に笑いながら「ごめんね」と言うのが見えて、大雅は途端に苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。

「あのね、保護者の人みんなに聞いてもらっている事なんだけど、最近ここら辺に変な人が出るらしいの。」

隆平の手を握ったままの紗希が真面目な顔をして言うと、大雅はイライラとしながら「知ってるよ」と頷いた。

「さっき学校で聞いた。」

早口にそう言った大雅に、紗希は何か言いたそうに口を開きかけたが、「そっか」と頷いて、隆平の背中を大雅の方へ優しく押した。

「隆平くんを守ってあげてね。」

「気をつけて。」と言いながら会釈をした紗希に、大雅は苛々としながら紗希から視線を外すと、そのまま玄関の外に出て行った。
それにつられ、引っ張られていく隆平が振り返って「せんせい、ばいばい」手を振ってきたので、紗希もそれに笑顔で応えたのだった。

「あちゃー、今日はちっちゃいニーチャンの方だったか!!」

兄弟が玄関から出てすぐ、職員室の窓から春樹が上半身だけ出して声をあげた。

「千葉先生、ラッキーっすね!!和田家のちっちゃいお兄ちゃんは激レアっすよ!!」

オレ二回しか見たことがない、という春樹の言葉に、紗希は「もう」と呆れて軽く溜息をつくと、遠ざかっていく大雅と隆平の背中を見詰めた。
心配そうな紗季の表情に、名簿表にチェックを入れた春樹が首をかしげ、キョトンとした顔をする。

「どーしたの?暗い顔してー。」

訊ねてきた春樹に、紗希は浮かない顔で先ほどの隆平の話を伝えると、小さく溜息をついた。

「隆平君に対するお兄ちゃんの態度が少し心配で…。」

そう言ってまた玄関先を眺めた紗希に、春樹は赤ペンで何やら紙に書き込みをしながら再び首を傾げた。

「へえ?オレには、ただ恥ずかしがってるだけに見えたけど。」

「恥ずかしい?何が恥ずかしいんですか?」

「何って、保育園に来ることがっすよ。」

春樹の言葉に、今度は紗希がキョトン、とした顔をする番だった。
春樹の言葉が理解出来ない、という顔である。
すると、それに気が付いた春樹が顔を上げて少し困ったように笑った。

「恥ずかしいもんなんすよ、男ってのは。慣れるまでが。」

「女の人にはわかんないかもしれないけど」と付け加えた春樹に、紗希は怪訝な顔をして唸ってしまったのだった。








早足で園内を歩く大雅に、すれ違う主婦の視線が集まる。
「小さいのに、偉いわね。」という言葉があちこちから聞こえてくる。
それが煩わしくて堪らない。

後ろから腕を引かれた隆平が「いたい」と抗議の声を上げていたが、大雅は歩調を緩めなかった。

一刻も早く、ここから遠ざかりたかった。

保育園から数十メートル先の曲がり角、保育園や保護者の視界から遮断された所で、大雅はようやく隆平の腕を放すと、そのまま歩き出した。
急に腕を解放された隆平はバランスを崩して前につんのめったが、すぐに姿勢を立て直すと、慌てて大雅の後を追う。

「にいちゃん、まって。」

みるみるうちに遠ざかる大雅に、隆平が慌てて声をかけたが、大雅は歩くペースを全く緩めてはくれない。
歩幅が違うので二人の距離がどんどんと広がり、大雅に近づくために、隆平は思わず小走りになっていた。
そして手を伸ばせば届くところまで来て、隆平が大雅の手を掴もうとすると、それに気が付いた大雅が「うわっ」と声を上げて手を上にあげる。

「あー。」

その後を追って、隆平が腕を伸ばすのを見て、大雅は「なんだよ」と怪訝な顔をした。

「てをつなぐのにー。」

「はぁ?やだよ。何でそんな恥ずかしいことしなきゃなんねーんだよ。」

「だって、そーちゃんは、つないでくれるもん。」

「知るかよそんなこと。やめろ。」

大雅の手を握ろうとぴょんぴょんと飛び跳ねる隆平に、大雅はいい加減我慢の限界で、下から伸びてくる隆平の手を思い切り叩き落した。

「てめぇいい加減にしろよ!!」

大雅が怒鳴ると、隆平は大きな目を見開いたまま、叩かれた手をきゅう、と握り、口をへの字の曲げて俯くと黙り込んでしまった。

それを見た大雅は「あ…」と呟いたが、こちらもぎゅっと、口を結ぶと黙って踵を返してまた歩き出した。

それからは家まで二人とも黙ったまま、ただ黙々と歩いた。

歩幅の違いから、離れる度に、隆平が追いつくために何度も何度も走ったのを知っていたが、大雅は振り返らなかった。



本当は、隆平の手を叩いてしまったことを、少しだけ後悔していたが、俺は悪くない、とずっと自分に言い聞かせていたのだった。
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