パラレル兄弟




康高に言われた言葉にイライラとしながら、大雅は一人玄関に向かっていた。

「迎えに行けば良いんだろ、迎えに行けば!!」

少々ヤケになりながら、大雅は下駄箱に上履きを脱ぎ捨てると、外用の靴を乱暴に取り出して、小学校の玄関を後にした。

立冬を控えた外の風は冷たい。

大雅は前開きのパーカーのジッバーを首元まで引き上げた。
まだ16時を回ったばかりだというのに、外は鈍色の厚い雲が空を覆っていて、ひどく薄暗い。学校の校門を抜けた先の街路樹の葉が落ちて彩りの少ない灰色の街を、大雅は突き抜けてゆく。

年頃故に、大雅は遊びまわりたくてしょうがなかった。

弟のために、何故自分が犠牲にならなければならないのか、と苦々しい顔をする。

面倒くさい。
ただそれだけが頭の中をぐるぐると巡る。
不満は膨らむ一方だ。

弟なんて、別に欲しかったわけじゃない。










「慶介くーん、お迎えが来ましたよー」

はーい、と元気のよい返事と同時に、名前を呼ばれた少年は自分の鞄を抱えると廊下に飛び出し、玄関先の母親に飛び付いた。

帰りの会を済ませ、夕刻を迎えると、子供の迎えはひっきりなしに訪れる。
最近は遅くまで働く親御さんために、保育園は夜の7時過ぎまで開いていたが、それまで残る子供はごく一部だ。
帰ってゆく友達を、教室から顔を出して「バイバイ」と手を振る子供達。
手を振る子供達は笑顔だが、見送った後は決まって寂しそうな顔をする。
こういう子供の姿を見ると、「先生」とは、慕われて、好かれこそすれ、やはり家族には適わないものだと、紗希は痛感する。

ふと教室を見ると、先ほど帰っていった友達を見送ったまま玄関をジッと眺めている隆平の姿が目に入った。
隆平の和田家は、いつも母親か上の兄が迎えに来る。
だが、今日はそのどちらでも無い。
両親は海外へ赴任しているし、上の兄が朝、今日は次男が迎えに来る、と言っていた。
次男は数えるほどしかここへ来たことがない。

不安なのだろう。

先ほどから自分の鞄を抱き締めたまま、隆平はまだか、まだかと玄関を眺めている。
その姿に、思わず紗希は声を掛けた。

「隆平くん。」

声を掛ければビクッと肩を揺らして、驚いた様な瞳と目があった。
声を掛けてきた人物が紗希と知ると、隆平は途端にもじもじと抱き締めていた鞄に顔を埋める様にしてしまった。

「きっともうすぐお兄ちゃんが来てくれるよ。」

「…うん」

励ます様に声をかけたが、隆平の返事は重い。
それは恥ずかしがっている時のものとは違い、どこか元気がない返事だった。

「どうしたの?」

隆平の小さな頭に手を載せて、優しく聞くと、隆平は「うん…」と自分のつま先のほうをジッと見たまま、小さな口を開いた。

「あのね、せんせい。」

「うん。」

「おれ、きょう、にいちゃんに、おこられた。」

ぽつぽつと話す隆平に、どこまでも優しく紗希は頷く。
話の経緯からすると、彼の言う「にいちゃん」が次男であることが知れた。
隆平は下を向いたまま、顔を上げようとしない。玄関では次々に迎えが来た子供の名前が呼ばれている。

「おれ、にいちゃんにごめんね、っていうの、わすれてた…。」

紗希は、隆平が落ち込んでいる理由が分かった。
だから、と隆平はぎゅう、と鞄を握り締めた。
彼が落ち込んでいる理由は、つまり。

「にいちゃん、おこってたから、きてくれないかもしれない。」

隆平は、次男に嫌われたと思っているのだ。
怒らせて、謝らず、それを気にかけているのだった。

特にこうして家族と離れている所に一人で置かれている状態というのは、その不安を増長させてしまう。
隆平の頭の中は今、兄に嫌われて、自分の迎えが一生来ないのではないか、という不安で一杯のようだ。

「そっか。」

隆平の話を聞いて、紗希はにっこり笑うと、よいしょと隆平を抱き上げた。
それに驚いた隆平を柔らかく抱きしめながら、紗希は隆平と目線を合わせた。

「だいじょうぶ、おにいちゃんはきっと来るよ。」

安心させるように笑いながら、隆平の目をまっすぐと見据える。
子供は目を見ると、その目をきちんと見返してくれる。

「それで、おにいちゃんが来たら…。」

不安で僅かに濡れていた隆平の子供らしい大きな瞳がパチパチと瞬いた。

「ごめんね、って言えば、きっと許してくれるよ。」

隆平のおでこに自分のおでこをコツン、と当てた紗希に、隆平は瞬間、ゆでダコの様に顔を赤くした。それから顔を離して「ね」と笑った紗希に向かって、何回もブンブンと首を大きく振って思い切り頷いた。
そして顔を赤くしながらも、安心したように笑った隆平を見て、紗希は笑顔のまま、隆平をぎゅーっと抱き締めた。

そして紗希の言ったとおり、それから10分もしないうちに、お迎えがきたよ、と隆平の名前が呼ばれることになった。
7/18ページ