パラレル兄弟
「よーし!じゃあお布団片付けんぞー。」
「はーい!!」
快活な返事に笑顔で「よし!」と頷いたのは、保育士の三浦春樹だ。
紗希よりも二年先輩で、隆平のひまわり組の担任である。
春樹は、お昼寝していた布団を片付ける幼児達を手伝いながら、ふと、隆平が一人ボンヤリとしているのが目に入り、首を傾げた。
「おい、りゅーへー、お前も手伝えー。」
布団を押入れにしまいながら呼びかけてみるが、隆平はボーっと廊下を見据えたまま、春樹の声が全く耳に入っていない様子だ。
それを不審に思った春樹は、ソロソロと隆平のそばへ寄ってみる。
少年は一人教室のドア付近で廊下を眺めていた。
一体何を見ているのだろう、と春樹は隆平の後ろでしゃがみ込んでみた。
廊下からは、隣のたんぽぽ組の賑やかな声が溢れていて、その中にニコニコと笑いながら、幼児と布団を畳む紗希があった。
「お」
春樹が再度隆平を見ると、隆平はウットリとした顔で紗希を見ている。
「おお」
それに気がついた春樹はにんまりと笑って、後ろから隆平を抱きかかえた。
「りゅーへー!!!」
「ぎゃ!!」
驚いた隆平が振り向くと、春樹がワハハハ!!と笑いながら、まだ敷かれている布団に隆平を抱きかかえたまま、ダイブした。
「はるきせんせい!!いたい!」
「甘酸っぱいなーーーお前―――‼」
ケラケラと何やら嬉しそうに笑う春樹と、春樹の腕を引き剥がそうと暴れる隆平は、綺麗に畳んだ布団の上を縦横無尽に転げまわった。
それを見た他の幼児達も面白がって真似をし出して、ひまわり組は布団の上で先生と子供たちが皆でで転げまわるという、なんとも珍妙な事態に見舞われたのだった。
「あ、三浦先生、駄目じゃないですか!!」
その騒ぎを聞きつけた紗希が、驚いた顔でひまわり組の教室を覗き込んで来たので、春樹は隆平を抱えたまま、にや、と笑った。
「わあ!ほんとだ!」
春樹は笑いながら立ち上がると、腕に抱えていた隆平を放したが、思わぬ紗希の登場に隆平は顔を真っ赤にして固まってしまった。
「千葉先生、手伝ってください‼」
「もう」
呆れた顔をしながらも手伝ってくれる紗希を見ながら、春樹は固まっている隆平の背中を優しく押した。
「わ」
押された隆平はヨロヨロとつんのめる様に、紗希の背中に当たり、その衝撃に彼女が振り向く。
瞬間、紗希と目が合った隆平は、可哀想なくらい顔を赤くして何も言えなくなってしまった。
そんな隆平に紗希が優しく「どうしたの?」と聞くと、後ろから春樹が笑いながら助け舟を出す。
「隆平が、千葉先生を手伝うって。」
そう言われて驚いたのは隆平だったが、振り返った紗希が「そうなんだ」と言ってふんわりと笑ったのを見ると、隆平はもう「うん」と頷くしか無かった。
「ありがとう、隆平くん。」
「うん。」
俯きながら、紗希と一緒に散らばった枕を拾う隆平は、それはもう嬉しそうな満面の笑顔を携えていて、春樹はそれを見て、やはり満足げに笑ったのだった。
「と、いうわけでみんな変質者には十分に気を付けろよ。四時以降は先生達が見回りに出るけど、人が居ない所に子供だけで行かないように。じゃあ今日はこれまで。日直は黒板消して帰ってくれ。あー……それから。大雅はこれが終わったらここまで来なさい。以上。」
「起立、礼、さよーなら」
「さよーなら!!!」
「はい、さようなら。みんな気をつけて帰れよ。」
ガヤガヤと浮き足立ってランドセルを背負った少年少女が仲良さげに教室から出て行くのを見詰めた後、康高は仏頂面でランドセルを肩に掛けようとしている大雅に視線を移した。
大雅はのろのろと教卓に向かって歩いてくる。
その背中に、教室のドアから、彼の友達が数人声をかけてきた。
「大雅ー、早くしろよー!!」
「わぁってるよ。うっせーな」
悪態をつきながら大雅が答えると、「先行ってんぞ」と言い残した友達は、ドタドタと喧しい足音を立てながら廊下を走り去って行った。
残された大雅は教卓の前に来ると不貞腐れた様子で呟いた。
「…なんだよ。」
「なんだよってお前ね。これだよ、これ。」
やれやれ、と呟いて、ケータイを取り出した康高を前に、大雅は依然ぶすっとしたまま目を逸らしている。
素直に謝るような子では無いが、それとなく気まずそうにしているのは、一応悪い事をしたと自覚しているのだろう。
「返す前に何か言うことがあるだろ。」
「…スミマセンでした。」
「よし。もう学校で軽々しく使うなよ。」
ほれ、と昼休みに没収したケータイを差し出すと、大雅はそれを受け取ってまじまじと眺め、それから胡乱な目付きで康高の顔を見た。
「こんな簡単に返して良いのかよ。」
「家族から連絡があるといけないだろ。これから大事な用もあるようだしな。」
彼の両親が海外へ赴任中だということは学校側にも連絡が来ている。
両親の不在中、兄弟間の連絡が滞るといけないだろう、という康高の配慮だった。
「ま、次は気をつけろよ。お兄ちゃん。」
「やっぱりそれで殴ったんじゃねーか!!」
康高を煩わしげに見た大雅は噛み付くように怒鳴ったが、康高は全く身に覚えが無い、というような顔をした。
「何だ、何か心当たりでも?」
「しらばっくれてんじゃねーよメガネ!!弟の事なら余計なお世話だからな!!」
「そうだな、じゃあ早くその可愛い弟を向かえに行きなさい。」
「うっせー!!!」
バン、と思いっきり教卓を叩いた大雅が、その衝撃に掌がびりびりとしたらしく、顔を顰めたのを見た康高は「アホだ」と、遠い目をする。
まぁこの年頃で弟の世話をするというのは何かと恥ずかしいし、煩わしいものなのだろうが、何にしろ、「消えてしまえ」は無い。
「あのな、強い者が弱い者を守ってやるのは当たり前の事なんだ。」
「はぁ?」
「お前だって、今までそうやって生きてきてるんだぞ。」
「…」
「それで、ほんとに消えちゃったらどうするんだ、お前。」
「うっせーんだよ!!メガネ!!」
憤ったまま、フン、と鼻を鳴らして踵を返した大雅の背中を見ながら、康高は「先生と言え。」と呟いてはぁ、と深く溜息を吐いたのだった。