パラレル兄弟
大雅の残した野菜炒めを冷蔵庫に入れながら、宗一郎は口一杯にご飯を詰め込んでハムスター状態になっている隆平に目をやる。
彼が、ご自慢の口に目玉焼きの最後の一切れを押し込んで「はへはー(たべたー)」と言ったのを見た宗一郎は頷いた。
「おし、行くぞ!」
「ふぁい。」
「口ん中に食いもんが入ってる間は喋んな。」
そう言いながら隆平を抱き上げ、腕に自分の鞄と隆平の鞄をぶら下げた宗一郎は、玄関で靴を履いた。
時計は七時五十分。
高校へは遅刻だが、保育園には間に合いそうだ。
高校の方はきちんと出席日数を計算しているので心配は無い。
未だ口をもごもごと動かしている隆平を抱き抱えたまま、宗一郎は玄関に鍵を掛けて外へ出ると、勢い良く走り出した。
隆平の通う「神代保育園」は、かつて宗一郎も大雅もお世話になった所で、自宅から歩いて十分とかからない場所にある。
宗一郎は現在高校生だが、卒園してからも大雅と隆平の送り迎えを任されていたので、馴染みが深い。
頭を銀髪に染め抜き、ピアスをジャラジャラと付けた宗一郎の見てくれは、どこからどう見ても強面のチンピラだったが、毎朝きっちりと弟達を送り迎えする姿に、今では警戒する者はおらず、先生方はおろか、他の園児のお母さん方にも挨拶をされる程にまで馴染んでいる。
勿論、弟達の送り迎えを恥ずかしく思った時期もあったし、弟を煩わしく思った時期もあった。
ある時、保育園に迎えに行きたくなくて、わざと友達と遊んで閉園ギリギリに大雅を迎えに行った事がある。
その時小さかった大雅は、一人ぼっちで待合室で座っていて、宗一郎の姿を見た途端にぎゃんぎゃんと泣き出して飛び付いて来た。
薄暗い園内で、次々と迎えが来る中、取り残されていく弟の気持ちを想像すると、どんなに心細かったかが窺える。
その罪悪感と言ったら、もう言葉には言い表せない程で、それから宗一郎は学校が終わると直ぐに弟を向かえに行くようになった。
そして現在では、堂々と主婦達の間を歩く立派な主夫へと成長したのだった。
宗一郎が住宅街の角を曲がると、大きな白い建物の色鮮やかな絵が描かれた建物が現れ、賑やかな笑い声や、園児連れの保護者がゾロゾロと歩いているのが見えた。
それにホッとして、宗一郎が若干歩調を緩めると、腕の中の隆平が「そーちゃん、まって」と呼びかけてきた。
「おろして、おれ、あるく。」
「へーへー」
やれやれと溜息を付いて抱えていた隆平を下ろすと、隆平は道の端に小走りで走り、しゃがみ込んで、何やらごそごそとしていたかと思うと、また直ぐに立ち上がった。
そんな隆平の後ろ姿を見ながら宗一郎が苦笑いをすると、隆平がぐるん、振り返って自分のスモッグを引っ張りながら宗一郎を見上げた。
「おれ、ヘンじゃない!?」
ずれていた帽子を被りなおして、自分の佇まいを直した隆平がどこか緊張しているように見えて、宗一郎はおかしくて堪らない。
「ヘンじゃねーよ。超カッコいい。」
ニヤける顔で賛辞を送ってやれば、隆平は赤い顔をして「よし」と頷くと、意気込んで保育園の門をくぐった。
おはようございます、と玄関口で飛び交う挨拶に耳を傾けながら、会釈してくる親御さんに宗一郎も頭を下げて対応しながら玄関に入る。
すると、隆平は周りの友達などには目もくれず、一人の先生の元へまっすぐに向かっていった。
「さきせんせい!!おはよう!!」
大声で挨拶をした隆平が声を掛けたのは、小柄の、優しげで可愛らしい保育士だった。
彼女の名前は「千葉紗希」。
今年短大を卒業し、神代保育園に配属されたばかりの新米保育士だ。
隆平の姿に気が付いた紗希は、しゃがんで隆平に目線を合わせるとにっこりと笑って「おはよう、隆平くん」と挨拶を返した。
笑いかけられた隆平は顔を真っ赤にして俯くと、先程道の端で摘んだピンクの花を差し出すと「これあげる!」と紗希に押し付け、慌てて靴を脱いで中に走って行ってしまった。
「甘酸っぱい奴め…。」
それを黙って見守っていた宗一郎は、むず痒くも微笑ましい気持ちになりながら隆平の背中を生温かい目で見送ると、玄関口から「先生」と呼びかける。
「すいません、お願いします。あと、今日はウチの弟が迎えに来ると思うんで。」
宜しくお願いします、と言うと紗希は「はい」とにっこり笑って頷いた。
それを見た宗一郎は軽く頭を下げると玄関を後にする。
もう園内に親の姿は少なくなっていて、宗一郎も早足で歩きだした。
「しかし、隆平もやるもんだな。」
いつもは自由奔放な末弟が、珍しく緊張する姿を思い出して、宗一郎はやはり笑ってしまう。
淡く、甘酸っぱい思い出として胸へ刻まれる先生への恋心というのは、男が通る登竜門みたいなものだが。
「それでも、好きな女にああいう顔をさせられるってのは、幼いながら侮れねぇわ。」
隆平から貰った花を大事そうに持って、本当に嬉しそうに笑っていた紗希と、照れて一目散に逃げてしまった隆平を思い出して、なぜか自分まで穏やかな気持ちになった。
零れる笑みを押さえきれず、宗一郎が保育園の門を出ると、丁度八時を告げる鐘が鳴り響いたところだった。
彼が、ご自慢の口に目玉焼きの最後の一切れを押し込んで「はへはー(たべたー)」と言ったのを見た宗一郎は頷いた。
「おし、行くぞ!」
「ふぁい。」
「口ん中に食いもんが入ってる間は喋んな。」
そう言いながら隆平を抱き上げ、腕に自分の鞄と隆平の鞄をぶら下げた宗一郎は、玄関で靴を履いた。
時計は七時五十分。
高校へは遅刻だが、保育園には間に合いそうだ。
高校の方はきちんと出席日数を計算しているので心配は無い。
未だ口をもごもごと動かしている隆平を抱き抱えたまま、宗一郎は玄関に鍵を掛けて外へ出ると、勢い良く走り出した。
隆平の通う「神代保育園」は、かつて宗一郎も大雅もお世話になった所で、自宅から歩いて十分とかからない場所にある。
宗一郎は現在高校生だが、卒園してからも大雅と隆平の送り迎えを任されていたので、馴染みが深い。
頭を銀髪に染め抜き、ピアスをジャラジャラと付けた宗一郎の見てくれは、どこからどう見ても強面のチンピラだったが、毎朝きっちりと弟達を送り迎えする姿に、今では警戒する者はおらず、先生方はおろか、他の園児のお母さん方にも挨拶をされる程にまで馴染んでいる。
勿論、弟達の送り迎えを恥ずかしく思った時期もあったし、弟を煩わしく思った時期もあった。
ある時、保育園に迎えに行きたくなくて、わざと友達と遊んで閉園ギリギリに大雅を迎えに行った事がある。
その時小さかった大雅は、一人ぼっちで待合室で座っていて、宗一郎の姿を見た途端にぎゃんぎゃんと泣き出して飛び付いて来た。
薄暗い園内で、次々と迎えが来る中、取り残されていく弟の気持ちを想像すると、どんなに心細かったかが窺える。
その罪悪感と言ったら、もう言葉には言い表せない程で、それから宗一郎は学校が終わると直ぐに弟を向かえに行くようになった。
そして現在では、堂々と主婦達の間を歩く立派な主夫へと成長したのだった。
宗一郎が住宅街の角を曲がると、大きな白い建物の色鮮やかな絵が描かれた建物が現れ、賑やかな笑い声や、園児連れの保護者がゾロゾロと歩いているのが見えた。
それにホッとして、宗一郎が若干歩調を緩めると、腕の中の隆平が「そーちゃん、まって」と呼びかけてきた。
「おろして、おれ、あるく。」
「へーへー」
やれやれと溜息を付いて抱えていた隆平を下ろすと、隆平は道の端に小走りで走り、しゃがみ込んで、何やらごそごそとしていたかと思うと、また直ぐに立ち上がった。
そんな隆平の後ろ姿を見ながら宗一郎が苦笑いをすると、隆平がぐるん、振り返って自分のスモッグを引っ張りながら宗一郎を見上げた。
「おれ、ヘンじゃない!?」
ずれていた帽子を被りなおして、自分の佇まいを直した隆平がどこか緊張しているように見えて、宗一郎はおかしくて堪らない。
「ヘンじゃねーよ。超カッコいい。」
ニヤける顔で賛辞を送ってやれば、隆平は赤い顔をして「よし」と頷くと、意気込んで保育園の門をくぐった。
おはようございます、と玄関口で飛び交う挨拶に耳を傾けながら、会釈してくる親御さんに宗一郎も頭を下げて対応しながら玄関に入る。
すると、隆平は周りの友達などには目もくれず、一人の先生の元へまっすぐに向かっていった。
「さきせんせい!!おはよう!!」
大声で挨拶をした隆平が声を掛けたのは、小柄の、優しげで可愛らしい保育士だった。
彼女の名前は「千葉紗希」。
今年短大を卒業し、神代保育園に配属されたばかりの新米保育士だ。
隆平の姿に気が付いた紗希は、しゃがんで隆平に目線を合わせるとにっこりと笑って「おはよう、隆平くん」と挨拶を返した。
笑いかけられた隆平は顔を真っ赤にして俯くと、先程道の端で摘んだピンクの花を差し出すと「これあげる!」と紗希に押し付け、慌てて靴を脱いで中に走って行ってしまった。
「甘酸っぱい奴め…。」
それを黙って見守っていた宗一郎は、むず痒くも微笑ましい気持ちになりながら隆平の背中を生温かい目で見送ると、玄関口から「先生」と呼びかける。
「すいません、お願いします。あと、今日はウチの弟が迎えに来ると思うんで。」
宜しくお願いします、と言うと紗希は「はい」とにっこり笑って頷いた。
それを見た宗一郎は軽く頭を下げると玄関を後にする。
もう園内に親の姿は少なくなっていて、宗一郎も早足で歩きだした。
「しかし、隆平もやるもんだな。」
いつもは自由奔放な末弟が、珍しく緊張する姿を思い出して、宗一郎はやはり笑ってしまう。
淡く、甘酸っぱい思い出として胸へ刻まれる先生への恋心というのは、男が通る登竜門みたいなものだが。
「それでも、好きな女にああいう顔をさせられるってのは、幼いながら侮れねぇわ。」
隆平から貰った花を大事そうに持って、本当に嬉しそうに笑っていた紗希と、照れて一目散に逃げてしまった隆平を思い出して、なぜか自分まで穏やかな気持ちになった。
零れる笑みを押さえきれず、宗一郎が保育園の門を出ると、丁度八時を告げる鐘が鳴り響いたところだった。