事を慮ること深遠なれば

その言葉に栄太がカオル方へ顔を向けて「それだけって?」と訊ねるとカオルは視線を上げる。

「服とか下着の売り買いだよ。俺にはとてもそれだけで済むとは思えない。」

そう言いながらカオルは一瞬ためらう様な、口を開きかけたが言い淀むようにして、僅かに目を泳がせた。しかし小さく息を吐いて、決心したように栄太を見据えた。

「お前が少し前に保健室で襲われた時の事なんだけど。」

カオルの言葉に栄太は眉一つ動かさず「構わない。」と静かに呟いた。カオルは栄太の言葉にぎこちなく頷くと、「今の話を聞いていて思い出したんだ。」と話し始めた。

「犯人の供述に、確か…栄太からメモを貰ったっていうのがあったんだよ。好意を伝えるメモを貰って、それで栄太が自分のことを好きなんだと錯覚して、手を出そうとしたって。」

カオルの言葉を聞いて、小五郎が少し驚いたような表情をして栄太を見ると、彼は相変わらず表情を変えなかった。
だが小五郎の視線に気が付くと、彼は胡乱な目をして、小さく息を吐きながら首を横に振った。
それを見たカオルが慌てて「もちろん、栄太が書いたんじゃない!」ときっぱりと否定した。

「俺もそのメモを見たけど、栄太と全く筆跡が違った。誰かが明らかに悪意を持って意図的に仕組んだんだよ。これってさ…なんか似てないか?」

「その手紙の件に。」とカオルが指さしたのはテーブルの上のカラフルな便箋。部屋にいた人物の視線が一点に集まる。

「そして、ここからは俺の勝手な推測なんだけど。」とカオルが再び口を開いた。

「栄太は、運よく未然に防げた。未遂に終わった。でもさ、もしその悪意のある誰かの思惑どおりになっていたとしたら?たとえば、見えない所にカメラが仕掛けられていて、その様子が撮影されていたとしたら…?その映像が…人によっては商品として需要があるんだとしたら…。」

そこまで言って、カオルは視線を下げて閉口した。
自分の推測が想像以上に恐ろしいことに気が付いて手が震える。
もしあの時誰も気が付かず、そのまま栄太が襲われていたら、と思うと恐ろしくてそれ以上口に出すことができなかった。

「あり得るね。」

カオルの耳にいつもと変わらない栄太の冷静な声色が落ちてきた。カオルが顔を上げると栄太はいつのまにか自分のケータイを取り出して画面を覗き込んでいた。

「数年前にあったでしょ、都内で大規模な未成年者売春の摘発が。」

ほらこれ、と差し出されたケータイの画面にはその事件の詳細が表示されていた。

『ローティーンの未成年者をターゲットに、お小遣い稼ぎの名目で下着の提供や裸体の撮影に数千円から数万円の報酬。』というゾッとするような見出しに全員が固まる。

「最終的には売春に誘導して被害者は数百人に及んだ事件だよ。しかもその児童買春の斡旋に利用されていたのが現役の高校生。もちろん後ろに元締めは居たようだけど。」

事件の発覚を恐れたのか、主犯と思われる二十代の犯人が単独で自殺、背後にあるとされた組織との疑惑は真偽不明のまま捜査は打ち切りとなった、と記事は結ばれていた。

「押収物の中には数千本のビデオテープ、ね。」

小五郎が画面を見ながら呆れたようにため息をついた。

「てめえが主演の映像が商品リストに入り損ねたわけか。」

その発言にカオルが強めに「おい」と声を荒げたが、当の栄太は小五郎の顔を見もせず「おかげさまで。」と返答する。

「僕はカオルと違って、過去の、しかも逃れることの出来た想像上の災難を気に病んで時間を無駄にする趣味はないし、興味もない。」

栄太の発言にカオルが眼鏡の奥の眉毛を可哀想なほど八の字に下げた。

「でも、この騒動で分かったことがある。」

「なんでしょう…。」

そうカオルに問われた栄太は、儚げにため息を吐くと、蜂蜜色に揺れる瞳を伏せた。

「どうやら僕はその市場での商品価値が非常に高い、ということだ。」

そう言いながら細い脚を組んで、胸に手を当てた栄太は、外からの陽光も相まって、その美しい容姿が眩しいほどに輝いた。
まさに地上に舞い降りた天使そのものだ。
カオルがその眩しさにギャッ、と言いながら目を瞑り、小五郎が心の底からもの凄く嫌そうに顔を顰めた。
栄太は二人の反応をものともせず、床に倒れた通武を指さして「おい、そこの眼鏡。」と声をかける。
指名された通武は半分気を失っていたため全く話を聞いていなかったようで、同じく眼鏡のカオルに身体を揺り起こされてハッと我に返った。

「お前、この禍々しい手紙は誰から受け取ったか覚えてる?」

突然の質問に通武が頭に沢山の「?」を浮かべながらも、脳内をフル回転させ考えを巡らせる。

「い…や、俺は、その手紙は全てあいつが…。」

「伊藤俊輔?」

「ああ…あいつが引き受けてきたものを俺達はそれぞれ渡されただけで…。いや、まあその手紙はほとんど高杉が落書き用紙にして、目は通してないんだが…。」

通武から回答を得て「なるほど。俺達、ね。」と栄太は頷いた。

「お前もそこそこ商品価値があるみたいだね。そして小五郎、お前も多少は。」

そう言い放った栄太を、小五郎は完全に変人を見るような目でねめつけながら「何が言いてえんだ。」と低い声を出した。栄太は「別に」と素っ気ない返事をした。

「この学校に関する市場規模がどの程度か想像はできないけれど、少なくともさっきの事件から鑑みるに、これはかなり闇が深そうだな、と。少なく見積もっても数十万、数百万が動いているとみた。」

「そりゃそうかもな。」と小五郎は気のない返事をした。数百万円程度は「その」界隈では珍しい話ではない。
実際には数千、数億の市場規模が当たり前の世界だ。数百万など本当に末端の小遣い稼ぎ程度のはした金に過ぎない。
だが、それがなんだというのか。
栄太の真意が分からず、小五郎と通武が大小様々な大きさの「?」を頭に浮かべていると、カオルが「あ」と声をあげた。

「そういうことか…!」

「何が?」

胡乱な目をして通武が訊ねると、カオルは血相を変えて彼の肩を掴んだ。

「俊輔だよ!栄太が保健室で襲われた時に阻止したのは俊輔なんだよ!それから手紙も!お前らはほとんど目を通してないって…!それってつまり、向こうからしてみたら価値のある商品の流通が阻止されたってことだろ!?俊輔によって、もしかしたら数十万、数百万になるような商品がパアになったってことだよ!」

そこまで聞いて小五郎と通武の目が見開かれる。

「だから、俊輔が行方不明になったのって…まさか…、まさか…。」

カオルの言葉に小五郎の顔色が変わった。通武はまだ事態を飲み込めず、カオルに肩を掴まれたまま、何も口に出せない。その様子を見ていた栄太が「ケータイ。」と呟いた。

「やっぱり、伊藤俊輔のケータイになにかあるんじゃないの?さっきの連中との会話から想像するに。」

「俊輔のケータイ…。」

カオルが呟く。

その言葉に通武はまた己の思考の渦の中を覗き込んでいた。

なにかが引っ掛かっている。

一体何だ。



「居た時から、いなくなるまで。思い出して、再現する。」



先ほど聞いた東風の声が鮮明に脳内に響く。
ぐるぐると記憶の中の映像が凄まじいスピードで流れていく。その記憶の中の俊輔の表情や声が水の中にいるように不鮮明でよく見えない。最後に見た彼の顔が、声が、通武にはわからない。

思い出せない。





では、いなくなってからは、どうだ。







気が付くと通武は自室のキッチンに立っていた。
彼が居なくなった日の夜。「同室者募集」の張り紙。
新陳代謝の活発な男子高校生がぎゅうぎゅう詰めになっていたのを小五郎が全員追い返したが、体育の後の更衣室と同じ匂いがまだ残っている。
キッチンのシンク周りには、切りかけの材料と、味噌汁の鍋が弱火でコトコトと音を立ている。


そして。



そして、コツン、と何かが通武の右足の指先に当たった。








「…持っている、かもしれん。」

己の肩を掴むカオルに向かって、通武は息を吐くように呟いた。
え、と声を漏らしたカオルと、こちらを見ている面々に向かい、通武は彼らの姿に焦点を合わせると、今度こそハッキリとした口調で答えた。

「俺が、ケータイを持っている………多分。」





つづく
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