事を慮ること深遠なれば
洗濯物を干し終えるやいなや、小五郎が「戻るぞ。」と踵を返した。通武がどこに、と問う暇も与えない。
戻る、と言えば当然彼らの自室のことなのだろう。それにしても性急な小五郎の態度に反応の遅れた通武と東風は慌てて小五郎の後を追った。
「なんだ、どうした。」
速足で自室に戻ろうとする小五郎の背中に通武が声をかける。小五郎は振り返りもせず、「どうもこうもねえ。」と吐き捨てる。
「オレ達の洋服やタオル、下着が根こそぎ消えた理由が分かったぜ。」
「理由?」
「さっきてめえが言ったんじゃねえか。どこぞの誰かに売り飛ばされたかもな、ってよ。」
小五郎の言葉を聞いて通武がギョッとする。先ほどの発言は勿論冗談のつもりだ。散々小五郎から薄暗い社会の闇について聞かされたとは言え、その闇が己に降りかかるなんてことは、微塵も考えに及ばなかったからだ。
「まさか本気にしているのか。」
怪訝な表情をした通武に、小五郎は呆れたような声色で「言っただろうが。」とため息交じりに、だが何かに焦るように言葉を発した。
「危機感を持て、ってな。」
そう言い合っている間に自室である1077号が近付き、小五郎はズボンのポケットから鍵を取り出すと慣れた手つきで開け、流れるように中に入る。続けて通武と東風が中に入る。小五郎はそのまま、一番手前にある右の扉を開けた。
がらんどうになった四畳半の居室。
すっからかんのその部屋に小五郎はズカズカと入ると、ようやく通武と東風を振り返った。2人は居室には入らず、ドアの前で訝し気な表情で小五郎を見ていた。
「もしも、てめえらが今からここを出て行こうとするなら、どうする?」
「出て行こうとするなら…?」
「仮定の話だ。」
小五郎の言葉の真意を測りかね、困った通武は隣の東風の顔を見上げた。東風も同じように困惑したような表情をしていたが、やがて小五郎の方へ視線を戻して小さな声で呟く。
「に、荷物をまとめる。」
「そうだな。ちなみに、どこにある荷物をまとめりゃ良い?」
小五郎の問いに、東風は頭にハテナマークを沢山飛ばしながら「え?え?」と戸惑いながらも懸命に思案する。目玉をぐるぐると回しながら考えあぐねた東風は、当たり前のような答えしか出すことができない。
「じ、自分の部屋の…自分のものを…。」
それ以上でも以下でもない。
他に答えようがない質問に、小五郎は落ち着き払った声で「そうだな。オレも同じだ。」と東風の返答に同意した。
「オレがこの部屋に住んでいたとして、もし出ていくなんてことがありゃ、この部屋にある自分の荷物をまとめる。他にあったとしても、共用の場所に置いてある自分の食器だとか、歯ブラシだとか。そんなもんだろ。」
「う…うん。」
東風が小五郎の言葉に頷いた。当たり前だ、と横で聞いていた通武は心中で呟いた。自分の引っ越しには、自分の荷物をまとめる。自分が必要とするものを持ってゆく。他に何があるというのか、と思わず口を挟みそうになったその瞬間だった。
「そんな中で他人の…しかも汚れた衣類やゴミなんかも一緒に…持って行こうなんて考えるか?」
その言葉を聞いて、通武はサーッと血の気が引いた。
弾かれたようにドアから離れて慌てて共同のリビングへと向かう。きれいさっぱりとゴミや物が無くなった共有のスペース。一見すると美しく片付けられたように見えるが、今朝方まで厄介になっていた井上達のリビングと比較して、何か違和感があった。よくよく目を凝らして部屋の隅々まで観てみる。そこで通武はようやく気が付いた。
彼が去ってからの数日間。
三人分の衣類が積み上がり、行き場のないゴミにあふれたリビング。
「そんなカオスな所からモノが無くなりゃ、一見綺麗に見えるわな。」
通武の後方から声がかかる。小五郎と東風が通武の後を追ってリビングへやってきた。小五郎は立ち尽くす通武を他所に、リビングの隅へ移動し、視線を足元へ移した。
そこには大きな埃の塊。それは部屋の隅々に点在していた。
そう、この部屋は片付けられ、綺麗に掃除されたわけではない。
「ごっそりと、ここにあったもんが全て持ち去られたんだ。あいつと、あいつの荷物と、ここにあったもんが、全部。」
「…それは…誰が…。」
通武の言葉に小五郎が「そこまでは知らねえよ。」とため息を吐く。
「あの野郎がこの機会にオレ達の衣類を変態どもへ売りつけて一儲けする腹積もりなら話は別だぜ。恨みを買っている自信はあるからな。」
小五郎の言葉に通武は「さもありなん。」と苦い表情をしてしまった。思い出される彼の言動を見るに、全くあり得ないと否定しきれないのが悲しい。憎たらしいことに表情まで再現される。
そんな通武を他所に、「だが」と小五郎が呟いた。
「本人以外にも居たな。今朝聞いただろ。あいつのケータイを喉から手が出るほど欲しがっていたやべえ奴が。」
そいつかどうかは分からねぇけどな、と小五郎は続けた。
「少なくともオレだったらそうするぜ。欲しいもんが手に入って、儲けられる「商品」がオマケでつくなんざ、願ったり叶ったりだ。…だがそんなもんは販路がある程度確保されている奴の思考だぜ。あんなドカタギのクソガキがそんなこと思いつくような奴にはみえねえわな。素人じゃねえぞ、これは。」
ハッ、と笑った小五郎に通武が視線を向けると、その目だけは笑っていなかった。
戻る、と言えば当然彼らの自室のことなのだろう。それにしても性急な小五郎の態度に反応の遅れた通武と東風は慌てて小五郎の後を追った。
「なんだ、どうした。」
速足で自室に戻ろうとする小五郎の背中に通武が声をかける。小五郎は振り返りもせず、「どうもこうもねえ。」と吐き捨てる。
「オレ達の洋服やタオル、下着が根こそぎ消えた理由が分かったぜ。」
「理由?」
「さっきてめえが言ったんじゃねえか。どこぞの誰かに売り飛ばされたかもな、ってよ。」
小五郎の言葉を聞いて通武がギョッとする。先ほどの発言は勿論冗談のつもりだ。散々小五郎から薄暗い社会の闇について聞かされたとは言え、その闇が己に降りかかるなんてことは、微塵も考えに及ばなかったからだ。
「まさか本気にしているのか。」
怪訝な表情をした通武に、小五郎は呆れたような声色で「言っただろうが。」とため息交じりに、だが何かに焦るように言葉を発した。
「危機感を持て、ってな。」
そう言い合っている間に自室である1077号が近付き、小五郎はズボンのポケットから鍵を取り出すと慣れた手つきで開け、流れるように中に入る。続けて通武と東風が中に入る。小五郎はそのまま、一番手前にある右の扉を開けた。
がらんどうになった四畳半の居室。
すっからかんのその部屋に小五郎はズカズカと入ると、ようやく通武と東風を振り返った。2人は居室には入らず、ドアの前で訝し気な表情で小五郎を見ていた。
「もしも、てめえらが今からここを出て行こうとするなら、どうする?」
「出て行こうとするなら…?」
「仮定の話だ。」
小五郎の言葉の真意を測りかね、困った通武は隣の東風の顔を見上げた。東風も同じように困惑したような表情をしていたが、やがて小五郎の方へ視線を戻して小さな声で呟く。
「に、荷物をまとめる。」
「そうだな。ちなみに、どこにある荷物をまとめりゃ良い?」
小五郎の問いに、東風は頭にハテナマークを沢山飛ばしながら「え?え?」と戸惑いながらも懸命に思案する。目玉をぐるぐると回しながら考えあぐねた東風は、当たり前のような答えしか出すことができない。
「じ、自分の部屋の…自分のものを…。」
それ以上でも以下でもない。
他に答えようがない質問に、小五郎は落ち着き払った声で「そうだな。オレも同じだ。」と東風の返答に同意した。
「オレがこの部屋に住んでいたとして、もし出ていくなんてことがありゃ、この部屋にある自分の荷物をまとめる。他にあったとしても、共用の場所に置いてある自分の食器だとか、歯ブラシだとか。そんなもんだろ。」
「う…うん。」
東風が小五郎の言葉に頷いた。当たり前だ、と横で聞いていた通武は心中で呟いた。自分の引っ越しには、自分の荷物をまとめる。自分が必要とするものを持ってゆく。他に何があるというのか、と思わず口を挟みそうになったその瞬間だった。
「そんな中で他人の…しかも汚れた衣類やゴミなんかも一緒に…持って行こうなんて考えるか?」
その言葉を聞いて、通武はサーッと血の気が引いた。
弾かれたようにドアから離れて慌てて共同のリビングへと向かう。きれいさっぱりとゴミや物が無くなった共有のスペース。一見すると美しく片付けられたように見えるが、今朝方まで厄介になっていた井上達のリビングと比較して、何か違和感があった。よくよく目を凝らして部屋の隅々まで観てみる。そこで通武はようやく気が付いた。
彼が去ってからの数日間。
三人分の衣類が積み上がり、行き場のないゴミにあふれたリビング。
「そんなカオスな所からモノが無くなりゃ、一見綺麗に見えるわな。」
通武の後方から声がかかる。小五郎と東風が通武の後を追ってリビングへやってきた。小五郎は立ち尽くす通武を他所に、リビングの隅へ移動し、視線を足元へ移した。
そこには大きな埃の塊。それは部屋の隅々に点在していた。
そう、この部屋は片付けられ、綺麗に掃除されたわけではない。
「ごっそりと、ここにあったもんが全て持ち去られたんだ。あいつと、あいつの荷物と、ここにあったもんが、全部。」
「…それは…誰が…。」
通武の言葉に小五郎が「そこまでは知らねえよ。」とため息を吐く。
「あの野郎がこの機会にオレ達の衣類を変態どもへ売りつけて一儲けする腹積もりなら話は別だぜ。恨みを買っている自信はあるからな。」
小五郎の言葉に通武は「さもありなん。」と苦い表情をしてしまった。思い出される彼の言動を見るに、全くあり得ないと否定しきれないのが悲しい。憎たらしいことに表情まで再現される。
そんな通武を他所に、「だが」と小五郎が呟いた。
「本人以外にも居たな。今朝聞いただろ。あいつのケータイを喉から手が出るほど欲しがっていたやべえ奴が。」
そいつかどうかは分からねぇけどな、と小五郎は続けた。
「少なくともオレだったらそうするぜ。欲しいもんが手に入って、儲けられる「商品」がオマケでつくなんざ、願ったり叶ったりだ。…だがそんなもんは販路がある程度確保されている奴の思考だぜ。あんなドカタギのクソガキがそんなこと思いつくような奴にはみえねえわな。素人じゃねえぞ、これは。」
ハッ、と笑った小五郎に通武が視線を向けると、その目だけは笑っていなかった。
