事を慮ること深遠なれば




「は?洗濯機ってのは、ボタン一つで解決するんじゃねえのかよ。」

「何を言っている。一回洗ったら、隣の脱水槽へ移すのが常識だろう。」

小五郎と通武のやりとりを眺めながら、東風は悲しそうに啼き続ける腹を「よしよし」と撫でつけながら慰めた。

風呂からあがり、それぞれ着ていたシャツで塗れた身体と雑に頭を拭いた三人は、真剣に悩んだ結果、どうしても下着は穿く気にはなれず、かろうじてズボンのみ着用して脱衣所を後にした。通武は己のあまりの身なりに血反吐を吐きそうな表情をしながら唇を嚙み締めている。

「なんたる屈辱…!」

下半身のあまりの心許なさに通武が「洗濯が急務だ。」と頑として譲らなかったため、部屋に戻って爪を切ったら何か食べ物にありつけると期待していた東風はガックリと肩を落とした。
「しかし」と通武の表情が曇る。肝心の洗剤の在りかが定かではない、とぼやいた通武の言葉に、小五郎が「いや、今時の洗濯機はボタンさえ押せば洗剤も自動で出るんだろ。」と発言し、戦争が勃発した。

「あり得ん。まず洗濯ものは粉洗剤を入れ、洗濯槽で回す。それでも汚れが取れなかった場合はもう一回洗う。汚れた水が出なくなったら、改めて脱水槽へ移す。常識だ。」

「いや、その二段階の意味が分からねぇ。だいたい洗濯機ってのは汚れた衣類入れりゃ、終わったらそのまま着られるように仕上がってるもんだろ。」

「そんな魔法のような洗濯機があるか!」

「てめぇこそ、その謎構造の洗濯機はどこ情報なんだよ。」

「毎週部活動で使っているから間違うはずがない。道着の洗濯は我々一年の仕事だからな。」

ふん、となぜか誇らしげな顔をした通武に、小五郎は首を傾げた。彼の言う洗濯機がどういうものなのか全く想像がつかない。そんな小五郎を他所に「とにかく!」と通武は語気を荒げた。

「今の俺達のこの状態を見ろ。下着も付けず上半身は裸。変態だ。とんでもない。一刻も早くまともな衣類を身につけんといかん。」

「あのクソ侍、どうやらフルチンがお気に召さねえようだな。」

「召すか‼」

小五郎が東風に話しかけると、ズカズカと前を歩いていた通武が般若のような形相で振り返る。彼らの自室はいつの間にか眼前まで迫っていた。

「とにかく!全ての衣類を洗濯する!貴様ら己の汚物を回収してこい!」

そう言いながら、通武が先導を切って玄関の鍵を開けた。

「ひとつ残らずだ!」

通武の号令にのそのそと自室へ向かう小五郎と東風。その背中を見送った通武は鼻息も荒く、己の洗濯物を置いていた洗面所前へと足を運んだ。だが、洗面所を見るなり閉口した。

「…。」

ふと思い出し、ため息を吐く。山積みになっていた洗濯物はもうここにはない。
いつの間にか片付けられていたことを思い出した。
それからドアの開け放たれたひとつの居室に目をやると、黙ってその部屋の中を覗き込んだ。がらんどうになったその部屋を改めて確認した通武は僅かに眉を顰めたが、自室へ移動するため廊下へと向き直った。

剣道部の洗濯当番は週に一回だ。新米である一年生が師範やレギュラー陣の道着などを部活後に洗う。春先、まだ肌寒いこの時期は洗い上げられた洗濯物を干す時は指先が冷たい。これが夜間だとさらに寒さが増す。
ピシッと布を伸ばして、形を整えて、丁寧に干す。
週に一回のその作業は、練習後の疲れきった骨身に堪える。何十枚も洗って、干して、整えて。先輩のもの、師範のもの。雑に扱えず、丁寧に、丁寧に。

「人のものはできるのに、己の下着一枚も洗えんとはな。」

自嘲気味に零した言葉に呆れながら、通武は頭を振りながら自室を目指した。


が、それは小五郎と東風によって遮られる。


通武の部屋の前で、小五郎と東風が額を突き合わせて何やら話し込んでいるのだ。

「貴様ら、自分の汚物は持ってきたのか?」

眉間に皺を寄せて問いかける通武に気が付いた二人は、同時に彼の方へ顔を向けた。その二人の手には少量の洗濯物しか確認できず、通武は「ひとつ残らず、と言った筈だが。」と地を這うような声を出したが、小五郎は「これだけだ。」とため息をついて見せた。

「高杉もそうだ。ついでに、てめぇの洗濯物も見せてくれや。」

そう言われ、通武は首を傾げながら自室を開ける。いつも通り整然とした己の居室を見渡した。部屋の一角に置かれた自分の下着と靴下を見付け、それを手に取る。そこではた、と思考が止まった。
周りを見渡してみる。これ以外に洗濯物が見当たらない。それもその筈だ。この数日間の汚れ物はみな洗面所前の洗濯籠に入れていた。いや、もはや籠が見えないくらいに山積みにされた洗濯物は洗面所前にあふれていた。そこには当然、小五郎や東風の衣類もあったはずだ。勿論、自分の洗濯物も。
だが、その洗濯物が見当たらない。もちろんその衣類が全て綺麗になって、それぞれの居室に置かれている、ということでもない。

通武は改めて小五郎と東風を見た。二人とも、1、2日分の下着やシャツ、靴下のみを手にしている。通武もそうだ。
もはや洗面所に置ききれない衣類を、とうとう自室に脱ぎ捨てていたのだ。
それでは残りの洗濯物はどこへいったのか。

顔を見合わせた三人は、同時にハッと何かに気が付いて、大慌てで部屋を後にした。
フルチンにズボンだけ穿いたまま、息せき切って着いた先は寮の共同の洗濯場。
稼働している洗濯機は無い。
それを確認すると、物干し場へ急ぐ。

数枚の衣類が干されていたが、そこに自分達の洗濯物が、勿論あるはずも無い。
三人は狐につままれた様な表情で、お互いの顔を見合わせた。

ここではじめて、三人は自分達の洗濯物が忽然と消えている、ということに気が付いたのである。
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