事を慮ること深遠なれば
「…何を言っているんだ、貴様。」
通武の言葉に小五郎も同意するように、双方怪訝な面持ちを浮かべて東風を睨んだ。
二人の視線に東風はまたもや腹の前で両手をこねくり回してしながら視線を泳がせる。その様子を眺めながら通武はハッとした。
「そういえば3人で風呂に入ったことがあったな…。」
「え、仲良し。」
「本意ではない。致し方無くだ。味噌汁まみれになってな。」
「なにそれ。」
3人で風呂、という単語にカオルが意外そうな顔をしたが、通武の言う「味噌汁まみれ」という単語に首を傾げた。それを聞いていた小五郎が「へえ、俺だけ除け者ってことか。」と嫌味ったらしく呟く。その発言に通武が心底嫌そうな顔をしてみせて「どの口が」と吐き捨てた。
「除け者も何もあるか。そもそも貴様が全ての原因ではないか。貴様があいつの味噌汁を床にぶちまけたおかげで、俺と高杉は迷惑を被ったに過ぎん。」
「ああ、例の味噌汁事件な…。それで3人で風呂に…。」
俊輔から事のあらましを聞いていたカオルは「なるほど合点がいった。」と頷いた。
小五郎の味噌汁の件は俊輔本人から何度か相談を受けていたため、何があったか大体知っている。その内容を思い出したのか、カオルの表情がうっすらと暗くなる。
「…俊輔が丹精込めて毎日毎日作ってやった味噌汁を…。一口飲んで捨て続けたんだもんな…和田君は…ひでぇ話だよ。」
カオルの言葉に、ぎくり、と小五郎の肩が小さく揺れた。
「色々と工夫して、材料も変えて、おいしい、って言ってもらうためだけに、俊輔は毎日毎日練習して、俺や辰也にまで助言を求めて…。捨て続けられても諦めずに…毎日、毎日、あいつ…。」
そう言いながら俯くカオルを前にして、小五郎は苦虫を嚙み潰したような顔をした。己の悪行を批難され、ぐうの音も出ない。そんな小五郎の様子を見た栄太が悪魔のように、そしてこの上なく愉快そうな顔をしたのを小五郎は見逃さなかった。
「それに、朝練に行く久坂君のために作ったおにぎりも、全然持ってってもらえない、って寂しそうな顔もしてたな。」
今度は矛先が通武に向き、彼もまた苦虫をこれでもか、と噛み潰しまくったような顔をして、その表情に栄太が耐えきれずに声を押し殺しながら机に突っ伏して爆笑しはじめた。
「そうだ…、こんなひでぇ環境から俊輔を救ってやりたくて…俺は…。」
ぐさぐさと容赦なく良心をえぐってくるカオルの攻撃に耐えきれず、通武と小五郎が慌てて東風に向かい、「風呂だな、風呂に行きたいんだな。」と畳みかけると東風はこっくりと頷いた。
「貴様の言い分はわかった。いや意味はわからんが、とりあえずわかった。とにかく場所を変えた方が良さそうだ。ここでなければどこでも良い。文句は無いな、暴力団。」
「いちいち突っかかってくるんじゃねえよ、クソ侍が。仕方ねぇ。風呂だな、風呂。」
「もうどうにでもなりやがれ。」と吐き捨てた小五郎を他所に、東風は表情こそあまり変化はないが、見るからにぱあ、と顔を明るくさせた。勿論東風の言い分を理解できたわけではないが、通武の言う通りここにいては針の筵の上に座らされたように、居た堪れないことこの上ない。何より栄太の愉快そうな様子が心底腹立たしい。ここではないどこかへ同居人が行きたいと言うのなら、今はそれに素直に従った方が良さそうだ。
そう思って小五郎が立ち上がろうと腰を上げると、スン、と鼻につく何かの香り。
小五郎は「ん?」と眉根を寄せると、目の前には同室者。
「確かに。くせぇな、てめぇら。」
小五郎の言葉に、通武は己の衣類の匂いをクンクンと嗅ぐと、「そうか?」と首を傾げる。いや、まあこいつは部活のあとにぶっ倒れて、そこから着替えもしていないのだから当然か、と小五郎が思案している横で、通武が「貴様こそ何やらイカ臭いぞ。」と言っている。
それを無視して、小五郎は東風をジッと見詰めた。
「(…こいつ、久坂と比べ者にならないくらいくせぇな。)」
そう、それは昔父親に連れられて視察したことのあるバラックの立ち並ぶ裏社会エリアに一歩立ち入ったような、独特なツーンとした匂いだ。
そんな小五郎の視線に気が付いた通武が何かハッと察したあと、みるみるうちに顔色から血の気が引いて青くなる。それから震える声で高杉に問いかけた。
「高杉…貴様、最後に風呂に入ったのはいつだ…。」
通武の言葉に、東風は彼の目を見た後その視線を明後日の方向にむけて一考すると、そのまま「前に、3人で入ったとき。」となんとも嬉しそうに応えたが早いか。
「3週間前だーーーー‼‼」
という悲鳴にも近い通武の雄叫びを合図に、二人は東風の両脇を抱えてもの凄いスピードで部屋を後にした。
残されたカオルと栄太はお互いの顔を見合わせる。
嵐が去ったような静けさの中、「俺達も行く?」と問いかけたカオルに、栄太は「行くわけないじゃん。」と吐き捨てながら、どこからともなく取り出したファブリーズを、そこらじゅうへ撒き始めた。
目にも止まらぬ速さで衣類を剥ぎ取られ、洗い場でありとあらゆるシャンプーボディソープを全身にぶちまけられた東風は、二人の同室者のなすがままにされていた。
一心不乱に東風の髪から何から洗いながら「泡立たん!」と叫んでいる通武と、シャワーを二本使いで無心に泡を流し続け、追ってシャンプーボディソープを追加し続ける小五郎の連携プレーはそれはそれは見事なものであった。