余命半年
この男がまた厄介だった。
芸能科というのは変わっている連中が多いが、この男は顕著である。
期待の一年として名高い東風は、日本画を得意とし、幼少の頃からその才能を開花させ、今までにマイナーだが何度も個展を開いている、今をときめく新進気鋭のアーティスト様なのだそうだ。
つまり、三人目の同居人が家事が出来ない理由として「創作活動が忙しいから」と言う事だそうだ。
勿論この情報は東風の口から聞いたものではなく、人づてで聞いた話である。
この男は大変に無口だった。
俊輔の記憶が正しければ、この男と出会って、彼自身の口から聞いた言葉は鼻から抜けるような相槌だけだった。
美形と言う表現が似合う、整った顔。体躯も小五郎ほどでは無いが、しっかりとして、上背もある。特徴的なのは耳にジャラジャラと付けたピアス。
一見すると、派手で、遊んでいそうな雰囲気なのだが、とにかく無口でとっつき難い。
必要以上喋らない。
だが、無口なのはそれなりの理由があったのである。
「そ、それ、洗濯物?」
「…」
俊輔の問いに、東風は僅かに頷くとやや俯いて、抱えている大量の布地に目を落とした。
それから汚れを一つ一つジッと観察するように眺めている。
汚れ物を一向に渡してこない東風に、俊輔は沈黙に耐えられず、へら、と引き攣りながら東風に笑いかけた。
「えーと、それ絵の具かなんか?すげーなー、もう絵とか描き始めてんの?」
そう問うと、東風は俊輔に目も合わせず、また頷いただけで、何も言葉を発しない。
それから何か一人でブツブツと呟いたが、俊輔には全く聞こえなかった。
無口で美形と言うと、クールなイメージだが、この男の場合は単なる根暗である。
ブツブツと呟く東風の言葉に「はぁ!!??何!!??」と耳に手を当てて近づくと、なんとも聞き難い声が俊輔の耳に聞こえた。
「上の二枚…水木しげる大先生の限定妖怪てぬぐいなので…綺麗に洗ってください。」
「…」
高杉東風は美形で、無口で、根暗で。
オタクだった。
その後、東風から押し付けられた大量の洗濯物と、通武の汗臭い剣道着を洗濯籠に入れ、洗濯場に急いだ俊輔だったが、結局洗濯が終わる頃には日付けはとうの昔に変わっていた。
クタクタに疲れて自室に戻ると、リビングの明かりは消えていて、それぞれの個室からも物音はしない。恐らくもう寝てしまったのだろう。
人に仕事を押し付けておいて自分達はゆっくり就寝かこの野郎、と悪態を付きながら、暗闇の部屋をひと睨みして、俊輔もノロノロと個室に入った。
俊輔の部屋にはまだダンボールが手付かずのまま積み上げられていて、閑散としている。明日にでも荷物を解かなくては、と思いながらも、考えることが億劫で、俊輔は灯りも付けないまま、グッタリとベッドに倒れこんだ。
四畳半の個室では、ベッドと机で殆ど部屋が埋まってしまう為、臨機応変にスペースを使えるようにと、ベッドは折り畳み式のものを選んだ。
使いようによってはソファにもなる優れもので、俊輔は一目見た時から気に入って、これからずっと愛用しようと買ったものだった。
「これから、か。」
呟いて俊輔はのそのそと起き上がると、ベッドから離れて、すぐ向かいにある机に座った。
それから回らない頭でスタンドライトを付けると、真新しい白い便箋を一枚取り出す。
この学校に入ってから、近況を随時、手紙で両親に報せようと決めていた。
筆まめな方ではないのだが、習慣になれば、と進んで実行することにしたのだ。
『父ちゃん、母ちゃんへ。』
汚い字で字を綴る。
眠たかったが、明日も家事や授業があるので、手紙を書く暇があるか分からないし、取り敢えず簡潔にでも状況を綴っておこうと思った。
『元気ですか。』
まず決まり文句を書いたが、元気ですか、なんて書く自分が何だか可笑しくて、俊輔はふ、と笑みを零した。
『おれは元気です。』
まぁ、まだ元気な方だとは思うので、これは書いても良いだろう。
それに続く言葉を考えながら、カリカリと紙にシャーペンを走らせる音だけが部屋に響いた。こっくりと頭が上下し、シャーペン軸に額を何度かぶつけながら一通り近況を書き終えた俊輔は、ふと、部屋に投げていた白い袋を見付けた。
薄暗い部屋にぼぉ、と白く浮き上がってまるで幽霊のようだった。
それをぼんやりと眺めた俊輔は、そうか、とようやく本日病院で言われた事を思い出した。
それから少し迷うと、遠慮がちにペンを走らせる。
『実は今日。余命、半年という宣告を受けました。』
「…暗いな」
しかもひねりが無い、と俊輔は苦い顔をして消しゴムをかける。
それからまた暫く考えて、先ほど消した場所にまたカリカリと文字を書いた。
『半年後、おれは空の上に居るかもしれません。』
「メルヘンだ。」
ありえねぇ、と俊輔はまた消しゴムをかけた。
それから、うーん、と頭をかいて白い便箋を見詰める。
書いては消して、書いては消して。
それを何度か繰り返していると、その部分はいつの間にか黒ずんで、くちゃくちゃになってしまっていたが、俊輔は何回も何回も書き直した。
そして、いい加減、便箋が擦り切れて穴が空き、まずい、と思ったのを最後に、俊輔はとうとう、机に突っ伏したまま眠ってしまったのである。