呉越同舟
先に動いたのは誰だったか。
からっぽの部屋を前にして、ほとんど同時に三人は玄関へと足を向けていた。
三人とも頭が真っ白だった。
何をどうしたらいいのかなんて全く判別がつかない状態だ。
それでも頭の片隅にチラついたのはあの締りの無い笑顔で、瞬間的に「追いかけなくては」という衝動に駆られた三人は、勢いに任せて裸足のまま小さなドアへ突進した。
…そして案の定。
ガッ
「…」
「…」
「…」
「…おい。」
狭いドアから体格の良い男三人が同時に抜けだせるわけもなく、見事にドアにひっかかってしまったのである。
「どかないか!!」
「テメェがどけ!!!」
「…」
しかも同時に身体を出そうとしたものだから、お互いの肩や腕や足が見事に扉枠にハマってつっかかり、先に進もうにも戻ろうにも身動きがとれない。
すし詰め状態とはこのことである。
「何をしている!!邪魔だ!!貴様らは中に戻れ!!」
「うるせぇな!!五体切り落として東京湾に沈めんぞコラ!!!」
「いたい…」
ぎゃあぎゃあと三者三様けたたましく騒ぎながら互いに身を捩り、なんとか抜けだそうと画策するがさらに肢体が密着して隙間が失われる。
通武と小五郎の顔はもはや般若か羅刹のような形相と言っても過言ではないほどになっていた。
「さらに密度を増してどうするんだ!!!」
「騒ぐな眼鏡!!テメェでどうにかしろ!!」
「折れちゃう…折れちゃう…。」
古びた木枠のドアが平均よりも体格の良い三人の少年の圧力にミシミシと嫌な音をたてはじめる。それに気付いてか気付かないでか、三人(正確には二人)が一斉に身体を突き出そうとすると、バキ、と大きな音がして、三人はすぽーんと綺麗に廊下へ抜けだした。
三方に別れた通武、小五郎、東風は勢い余ってそのまま壁に顔面を衝突させ、しばし痛みに悶え苦しんでいたが、やがて痛みが治まると互いの赤くなった顔面を見合わせた。
「…」
気まずい沈黙が流れる。
それから間もなく、小五郎が静かに自分の腕時計を確認して重い溜息を吐いた。
「…0時5分前…。」
呟いた小五郎に通武がぐ、と口を噛みしめるように真一文字に結んだ。
門限はとっくに過ぎているので外には出ることはできないし、出入記録を見ようにも管理人室は閉鎖している。追いかけようにも彼の行き先すら分からない。それをどう追いかけて良いのか、と改めて思案してみると通武にはなんの心当たりも無い。
「…遅かったのだな…俺達は。」
ぽつりと零した通武に小五郎と東風が視線を向ける。
「結局何も言えなかった。」
俯いたまま頭を垂れる通武の沈痛な様子に、東風も膝を抱えたまま床にいじいじと「の」と書き始める。
結局は何もできなかった。
原因は自分達にあるのだから仕方がないのだが、それでも。
また顔を合わせる機会があれば通武は彼に今度こそきちんと言いたいことがあった。
しかし空っぽの部屋はそれを無言で拒否してしまった。
ひどく空ろであるのに、何も無い部屋は元居た住人の意思を嫌と言うほど雄弁に語っている。
それに傷ついた自分を前にして、ようやく彼の痛みが分かるような気がしたのは皮肉だった。
「…うるせぇな。」
はぁ、と溜息交じりの呟きに通武が顔をあげると、小五郎が忌々しげな表情をしてこちらを見据えていた。
「感傷に浸りてぇなら1人でやってろ。胸糞わりぃ。」
「…なんだと…。」
「終ったことをいつまでもグダグダ言うなよ。女々しいんだよ。」
「…もう一度言ってみろ…!!」
小五郎の物言いにカッとなった通武が思わず声を荒げると、小五郎は廊下の壁に凭れかかり「高杉」と声をかけた。
「オレが夕方あたりに帰ってきたとき、てめぇまだ部屋にいただろ。」
急に話しを振られた東風はきょとんとした顔をしたが、こっくりと頷いた。それを見た小五郎が「お前外出したか?今日何時ごろまで部屋に居た。」と訊ねると、東風は思案するようにくるりと頭を回すと、両手の指を折りながら小さな声でぽつりと零した。
「夜の7時くらい。友達の部屋に行ってた…。10時前くらいには戻った…と思う。そしたら管理人さんから連絡があった。」
「なるほど。そんでこの眼鏡が22時半に管理人室でぶっ倒れて運ばれた。」
「…それがなんだ。」
「つまりあの馬鹿がこの部屋に居たのは誰も居なかった19時から22時の間になるはずだな。」
「…だからそれがなんだというんだ。」
小五郎の言葉に通武は怪訝な顔をした。
一体この男は何が言いたいのだろう。
「2人…じゃ無理だな。少なくても3人…。」
ブツブツとつぶやく小五郎を咎めるように「おい」と通武が不満げに声をあげると、小五郎は真面目な顔をしてツイ、とあごで開けっぴろになった玄関の中を示した。
「てめぇは、あの豚小屋を1人で片付けるのにどれくらいかかると思う。」
「…。」
「加えて部屋の荷物をどこかに運ぶのも合わせて3時間で足りるか?」
「…」
通武の答えはノーだ。
とてもでは無いがたった一人であの部屋を片付け、かつ部屋の荷物を運び出すには最低でも半日はかかる。
「管理人はさっきこう言った。『助っ人を呼ぶのにケータイに連絡を入れたが伊藤とは連絡が取れなかった。』…門限が10時。もし寮内から出てるなら、外泊届が必要だ。それが分かっていたらわざわざアイツに助っ人を頼むわけがねぇ…。」
「…それは…。」
「つまり…」
トン、と小五郎が床を指で鳴らした。
「あの野郎はまだココに居る。」
「…!」
「ナメやがって…逃げ切ったつもりでいるなら甘ぇ…。ただグズグズしてられねーな…。管理人の正式な認可が降りる前にふんじばって洗い浚い吐かせてやる…。」
苦虫を噛み潰したような表情の小五郎に、通武は訝しげな顔をして「貴様は…」と呟いた。
「去る者は追わない主義ではなかったのか。」
「勿論。ただ勝ち逃げされるのは気分が良くねぇだろ。」
ニヤ、と悪どい笑みを零した小五郎に、通武は一抹の不安を覚えたが反発しようとは思わなかった。
それどころか、彼の意見に概ね賛同した自分に少し驚くほどだった。
しかしこれで終りにはできない。
全く相反する同室者とこんな形で協力する日が来ようとは、通武は夢にも思わなかった。
さっそく立ち上がって「まずは情報収集からだな」と呟いて壊れたドア枠の破片を蹴飛ばしながら、不意に小五郎が通武と東風を振り返っていつもどおりの人を小馬鹿にした顔を見せた。
「ま、テメェらの協力なんざ毛ほども期待してねぇが…舵取りはオレがするとして、せめて櫓を漕ぐくらいの働きはしろよ。」
「…貴様は大船のつもりだろうが、俺には今乗り込んだ船がイカダにしか見えん。」
「泥船よりはマシだ。」
無論、せめて通武が思ったのはその舟に穴が開かないように、ということだけだったのは言うまでもない。
つづく。