呉越同舟

「よ、妖怪か、貴様は。」

思わず呟いた通武の言葉に、東風の腹がぐー、と鳴った。
腹の音で返事をされた通武の心情も知らず、東風は寝起きのルームメイトに、ちょいちょいと手招きをすると布団から立ち上がり、ドアの外を指差した。

「…なんだ。」

その怪しげな動作に通武がいぶかしげな表情をする。
動こうとしない通武に、東風は通武の毛布を掴み、剥がしにかかった。
彼の地味な攻撃に、通武は仕方なく立ち上がり、「一体なんだというのだ…」とブツブツと文句を言いながら渋々自室のドアを開けたのだった。
するとそこには。

「あー!!久坂くん!!」

「え、う、うそ俺の本命!!」

「ちょっと本物だよぉおお!!」

「寝起きやべぇええ!!」

ぎゃあー!!という、汗臭い山吹色の歓声に、通武の眼鏡がズレかかる。

「…なんだ、これは…。」

自室を出た通武を待っていたのは数十名の男子生徒達。
狭いリビングから玄関、はたまたその外の廊下まで、寮の生徒がぎゅうぎゅうのすし詰め状態になっていたのである。
にわかに状況が呑み込めない通武はしばらくその様子をポカンと眺めていたが、ハッと我に返ると、どこからともなく木刀を取り出した。

「貴様これはどういうことだー!!!」

怒りの矛先は通武の部屋のドアの影から覗いている東風に向けられたが、当の本人は半身をドアに隠したまま、腕を伸ばすと、ツイっと木刀の先を玄関の方に向けた。

「む。」

その妙な行動に通武が顔をしかめると、東風は小さく「玄関のドア」と呟いた。
彼の真意が分からないが、このすし詰めの原因が玄関のドアにあるらしい。
通武はしばらく苦い顔をして東風を見ていたが、やがて木刀の構えを解くと、勢いよく玄関に向かった。玄関への短い廊下にも生徒が満員電車のような有様でぎゅうぎゅう詰めになっていて、外にも人垣ができている。
が、通武がよほど怖い表情をしていたに違いない。
彼が近づくとその人垣は自然と左右へ割れ、道ができた。

即席の花道を通り、通武が玄関に出ると、一歩後ろへ引いた人垣から「おお」と歓声が上がった。通武はギャラリーの反応を一切無視し、開けっぴろげになって廊下の壁に張り付いていたドアを睨みつけた。
当然ながら内側には何もない。
通武は腹立たしげにノブを掴むと、叩きつけるようにドアを閉めた。寮内じゅうに響き渡るようなバン、という音に中から「ぎゃ!」という悲鳴と数名の声が聞こえたが、それとは対照的に、廊下は水を打ったように静まりかえった。

閉じられたドア。

そこにはいつもの通り、部屋番号の「1077」と書かれた表札がある。

そしてその下に、見慣れない紙が一枚。

今日帰ったときには確かに無かった張り紙である。
果たしてそこには達筆な毛筆で…。

「…『入居者募集。』?」

張り紙の文字を声にだした通武は、怪訝な顔をして、辺りを見回す。人垣が神妙な顔をして一斉に頷いた。
通武はもう一度その貼り紙に目を戻すと、再度声に出して張り紙に書かれた文字を読んだ。

「…。『入居者募集。』」

「尚、定員は一名により、希望者は履歴書を持参されたし。」

どこからともなく声があがり、通武が振り返ると、そこに居た連中が一斉に『履歴書在中』と書かれた封筒を取り出して見せたのである。

「~~~~~~~っ!!!!???」

そこでようやく事態を把握した通武はバリっ、と貼り紙を剥がし、目を丸くして、まじまじと文章を再読した。

「なんだ…これは…!!」

通武が貼り紙を手にしたままブルブルと震えていると、カチャ、と遠慮がちに玄関の扉が開き、隙間から東風が顔を覗かせた。

「みた…?」

「見た!!見たが…なんだこれは!!」

「は、貼り紙…」

「見れば分かる!!これはどういうことだと聞いているんだ!!」

ドアの隙間から覗く東風に苛立って、通武が無理矢理ドアを全開にすると、頭から毛布をすっぽりと被った東風が廊下にころん、と転がった。
その珍妙な姿に、周りから黄土色の歓声があがる。東風は器用に一回転して通武の前に転がると、いつもと変わらない虚ろな瞳で首をふった。通武は東風の目線に合わせ、身を屈めると、小さな声で訊ねる。

「貴様の仕業ではないのか。」

彼の問いに、東風は毛布を体に巻き付けたままこっくりと頷いた。

「では一体誰が…。」

貼り紙を手にしたまま通武が唸る。が、彼は結論に至る前に、何かに気が付いたのかバッと立ち上がった。

「待て。まずこの連中をどうにかせんことには…!!!」

「?」

東風が首を傾げると通武は慌てて「分からんのか」と貼り紙をぐしゃっと握りつぶした。

「この騒ぎが、あの卑劣で傲慢で極悪非道の男に知れたら…!!!」

「誰だって?」

背後から訊ねられ、通武は目の前に居る東風に力説した。

「だから、卑劣で傲慢で極悪非道で節操のない人面獣心の…」

「人面獣心の?」

「…。」

再び背後から聞こえた声に、通武が固まる。話しをしているのは目の前の東風のはずなのに、何故背後から声がきこえるのだろう。
通武は片手で額を押さえて噛みしめた歯の間からゆっくりと息を吐いた。
そして観念したように振り返る。

「そりゃあまさか俺のことじゃねぇだろうなぁ。」

嫌な笑みを浮かべてそこに立っていたのは、通武曰く、卑劣で、傲慢で、極悪非道で、節操のない人面獣心のルームメイト。

和田小五郎その人であった。
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