朋友に処するに、相上ぐること勿れ
その後、東風が入寮から一度も風呂に入っていないという衝撃的事実が発覚し、俊輔と通武は顔を真っ青にして、見事なコンビネーションを駆使し、有無を言わさず東風を風呂場に放りこんだ。
そして互いのブツの大きさ等で熱い議論を交わした三人(白熱したのは主に俊輔だけだが)は身体を洗い、並んで湯船に浸かった。
ピチョン、と天井から滴が落ち、水面に波紋を広げるのを眺めながら、肩まで湯に浸かった東風がうっとりと眼を閉じている。
その横で俊輔はあごがはずれてしまうような大きなあくびをしてみせた。
消灯時間はとうに過ぎているので照明をつけることができなかったが、東向きに大きく設けられた開放的なガラス張りの窓から、外に設けられた街灯と満月の恩恵を受け、思ったほど暗くはない。
(オツなもんだ)
明日ダニエルに話そうと考えて、俊輔は「あ」と声を漏らす。
風呂場の防水時計がとうに早朝と呼ぶに相応しい時間になってことに気が付いて「今日か。」と口の中で呟いた。
「…やめたほうがいいぞ。」
不意に、通武が零したのを聞いて、俊輔は眼を開き、薄目で通武の方へ僅かに顔をむける。
余談ではあるが、重度の近眼である通武は風呂場でも眼鏡を外さない。
わざわざ曇らない加工をしている、と珍しく得意げに話した通武に、俊輔は鼻をほじりながら「ふーん」と全く興味なさげに応えた。
その反応に、どこからともなく木刀を出した通武ににじり寄られ、俊輔が「うわー!!科学の力ってすげーーーー!!!」とフルチンのまま言わざるを得なかったのは今から10分ほど前のこと。
怪訝な顔をする俊輔に、通武は眼を細めて「さきほどのことだ。」と付け加えると、とたんに俊輔は真面目な顔をしてみせる。
「…イエス、高須クリニック?」
「誰が貴様の包茎手術の心配をした!!和田だ!!和田小五郎のことだ!!」
勢いで通武が立ち上がって水面が波立ち、それに目を閉じたままの東風がスーっと流されていく。
和田小五郎、と聞いて俊輔は波にゆらゆらと揺れながら「なんだ…」という顔をして、溜息をつくと通武から眼を逸らし、深く湯船に沈んだ。
さきほど白熱したブツの形状についての議論をまだ引きずっていたらしい。議論は俊輔が「おれ夏にクリニックへ行く!!」と決心を固めたところで終結したのだ。
「和田くんにちょっかい出すなってこと?」
「必要以上に刺激を与えるな、ということだ。こっちにまで飛び火してかなわん。」
「なんだよ、同室者としてある程度のコミュニケーションは必要だろ。」
「あの男が群れたがる性質だとは思えん。」
ぶっきらぼうに言って、通武は座った。
緩い波を身体に受けながら、俊輔は表情をかえないまま正面に視線を戻す。
「慣れ合いを必要としない人間に、それを強要するのは身勝手というものだ。」
ひどく冷たい声色に、俊輔はちら、と通武をみたが視線を正面に戻して「なるほどね…。」と湯に沈みこむような息をはいた。
「…久坂くんも、慣れ合いなんて必要ない?」
「…。」
通武は正面を向いたまま、眉間にシワを寄せて小さな溜息をつきながら目を閉じた。
明確な答えは聞こえてこなかったが、俊輔にはその沈黙に「そっか」と小さく呟く。
それから俊輔はうーんと短く唸ると、一呼吸置いてから「今日な、」と口を開いた。
「朝、おれゴミ箱の中に埋もれちゃってさ~。犬神家の一族みたいになったんだ。」
「…。」
「でさ、昼は授業サボって保健室に昼寝しに行ったのね。そしたらなんとそこでさ~、吉田くんが巨漢に襲われてて…あ、吉田くんっていうのは吉田栄太っつー、ダニエルの同室の奴で外見が天使みてーな奴なんだけど、それをおれが助けてやったんだ。こうやって強姦魔の頭を蹴ったんだ!そしたらそいつ目回しちゃってさー。いやー正義のヒーロー気分だったね!おれあんまりケンカとかしたことないからさ~。で、この吉田くんっーのが和田くんと仲がいいらしくてさ。それでそれをネタに和田くんの部屋に突撃したら、まあこういう有様になったわけだ。あ、っつーかね、ゴミ箱の話しに戻るんだけど、そこでおれ、犬神家の一族みたいになったっつたじゃん?そこでさー何を見つけたと思う?なんと!AVを見つけちゃったんだコレが!!超ラッキーだよな!!おれ!!最高!!今日のおれ!!」
勢いよく喋る俊輔を見て、通武は眉間のシワをさらに深めた。その顔を見た俊輔はにや、っと笑って、「で?」と促すように首を傾げる。
「久坂くんは、今日の一日、どんなことがあった?」
俊輔の質問に、通武は眉間のシワをさらに深くしてかぶりをふった。
バカバカしい。
付き合っていられない、というように立ち上がり、通武が湯船のフチに足をかけると、背中に「久坂くん」と声がかかる。
通武が振り向かず、そのまま脱衣所へ向かおうとした。
しかし俊輔は全く気にしたようすもなく遠ざかる背中にまのびした声で「きょうは、ありがとなー」と言葉を投げかけた。
「おやすみ、久坂くん」
「…。」
ガラガラ、と重い音を立てて引き戸が開くと、脱衣所の涼しい風が入ってくる。
そのまま通武はただの一度も振り返らずまた、ガラガラと重い音を立てて脱衣所に消えた。通武の去って行った引き戸をぼんやりと眺めた俊輔は湯船のふちに背中を預けて鼻からフー、と脱力するような息をはいた。
「慣れ合い、か。」
呟いて、ふと辺りを見回すといつの間にか俊輔は風呂を貸し切りにしていた。
通武とは別に、東風もいつのまにか勝手に出てしまったらしく、先程まで東風がいた場所にはなんの影も見当たらなくなっていた。
「…フリーダムにもほどがあるだろ、高杉…。」
やれやれ、と息を吐いて俊輔はズルズルと身を湯船に沈みこませた。ゆら、と波紋が水面におそろしく静かに、そして無機質にひろがってゆく。
「(そんな難しいことを要求しているのかな、おれは。)」
わからん、と俊輔はこぼした。
「(せめてフルーツ牛乳を奢られるまでいりゃあいいのに。)」
呟いて俊輔はぶくぶくと鼻と口からあぶくを出す。
大きな窓から見える東の空はようよう白くなりつつあった。