朋友に処するに、相上ぐること勿れ








どれほど時間が経ったろうか。





俊輔は誰かがボソボソと話し合う声をききながら、夢と現実の狭間をゆったりと降下していた。
身体がふわふわと空中に浮かび、まるでハンモックに揺られているようだ。
男性と女性の話し声が耳に入り、俊輔がまだ夢の中で周りを見渡すと、いつの間にか隣に小さな男の子が寝ていた。
身体を丸めてすやすやて寝息を立てている子供はよくよく見れば幼い頃の俊輔であった。

(なんだ、おれか。)

無意識にその小さな頭を撫でると、幼い俊輔はぱち、と目を覚ました。

(おお、起きた)

小さな顔を覗きこもうとすると、幼い俊輔は途端に大きな声を上げて泣き始めてしまった。何事かと慌てながら子供をあやすが全く泣きやまない。

(これならどうだ!!)

あまりに泣きやまないので、俊輔がとっておきの変顔をして見せると、子供は恐ろしいもを見たかのように、この世の終わりのような声を上げて泣き叫んだ。

(なんだこのやろう!!この顔が怖いってお前、将来のおれを全否定だぞ!!)

幼い自分に激昂しながらも、俊輔が新しい顔技を披露しようと画策していると、「そんなんじゃあ駄目よ」と誰かが声をかけた。
聞き覚えのある声だった。

『かしてごらん』

そう言って、俊輔の膝に乗っていた幼い身体に白い腕がのびた。抱き上げたのは中年の女性。
やわらかそうな腕に包まれて、まだぐずっている小さな背中をなでながら、歌うような声が聞こえる。

『よしよし、いいこだね。』

いいこだね、と繰り返し、波打つ背中を優しく撫でる。
するとあんなに大きな声で泣きじゃくっていた幼い俊輔が徐々に落ち着きを取り戻し、先程の騒々しさが嘘のように静かになった。
幼子は二本の腕に守られながら、うっとりと目を閉じている。

『ほら、とってもいいこ。』

女性が嬉しそうに笑った。



『えらいね…俊輔。』








「俊輔。」


呼ばれて、俊輔はゆっくりと瞼をあけた。ぼやけた視界には落ち着いたクリーム色が映り、まもなくそれが保健室の天井であることに気が付いた俊輔は、ぼんやりとした頭でおもむろに横を向くと、視線の先にこちらを覗きこんでいるダニエルの姿を見つけた。

「よう。」

眼鏡の奥の瞳が柔らかく細められたようだが、どうも視界がはっきりせずに、俊輔は覚束ない手つきで目を擦る。瞼には涙が溜まっていたようで、それを目の前の友人に気がつかれないように、俊輔は濡れた手を布団にしまいこむと、そっとシャツで拭いた。

太陽はいつの間にか随分と傾いたようで、壁時計は四時を回っている。
おそらくダニエルはHRのために起こしに来てくれたのだろう。

(律儀なやつ…。)

俊輔がぼんやりとダニエルを眺めていると、窓からオレンジ色の光が差し込み、そのダニエルの眼鏡にキラキラと反射した。思わず「後光か」と突っ込みたくなる神々しさだ。
その眩しさに俊輔が思わず顔をしかめると、ダニエルは不満そうな顔をして「なんだよその顔。」と呟きながらベッドに腰掛けた。
彼の手には保健医の机の上で見た一番軽いダンベルが握られており、ダニエルは腕の運動をはじめる。
その度にギシギシ、とベッドが揺れ、ダニエルの眼鏡かキラキラと光り、狙ったように俊輔の顔面に当たるので、とうとう我慢のきかなくなった俊輔は上体を起こし、ベッドの上に無言でゆらりと立ち上がるとダニエルの眼鏡を目にも止まらぬ速さで奪い取った。

「あ、何すんだよてめぇ!!」

「やかましい!!!キラキラキラキラうっせーんだよ!!王子様かお前は!!」

「やめろ!!眼鏡がねぇと、のび太みてぇな目になんだろーが!!」

「うっせぇ!あと起こすならキスで起こせ!!ドキドキ保健室だぞてめぇ!!KYにもほどがあるだろ!!何年おれとコンビ組んでると思ってんだ!!」

「一週間弱だよ!!何お前その寝起きのテンション!!」

ぎゃあぎゃあとベッドの上で熾烈な攻防戦を繰り広げながら、結局眼鏡を奪い返された俊輔はぜぇぜぇと肩で息をしながら舌打ちを零すと「あー馬鹿らしい」と当然のように再び布団の中にもぐった。

「…起きろよ…。」

ベッドに丸まった俊輔の布団を丁寧かつきれいに剥がし、ダニエルは呆れたような口調で溜息をつく。その様子を見た俊輔は視線だけ友人に向けた。

「…怒った?」

ダニエルの機嫌を窺うように俊輔が問えば、ダニエルは剥いだ布団を丁寧に畳みながら「んー?」と間延びした声を出し、シャッ、と音を立ててカーテンを開け、俊輔の方を振り向くと「怒んねーよ」優しく笑った。

「泥のように眠ってたぞ、お前。…よっぽど疲れてたんだな。」

「…」


「えらかったな、…俊輔。」


ダニエルは俊輔の頭を撫でた。

その手が離れていく様を、目を丸くしながら眺めた俊輔は、しばらく硬直したかと思うと、真面目な顔をして起き上がり、ベッドの上に正座した。
ダニエルが床に落ちている上着を拾い埃をはらって、「ほら」と持ち主にわたそうとすると、その腕をがっしりと掴んだ俊輔が真面目な声を出した。

「ダニエル…」

「なに?」

「キスして。」

「嫌だよ。ほれ行くぞ。HRには出とかねーと。」

あっさりと腕を外したダニエルがコキコキと首を鳴らしながら踵を返し、保健医のデスクを漁るその後ろから、案の定ダニエルにときめいた俊輔の「いやあああ好き~!!めちゃくちゃにして~!!」という悶絶の叫びが保健室に木霊した。


顔を両手で覆ってゴロゴロとベッドを転げまわる俊輔を尻目に、ダニエルが俊輔の保健室利用届をねつ造してやっていることは、俊輔は知る由もない。
同じく、両手に隠れた俊輔の目に、うっすらと涙が滲んでいたことは、ダニエルは知る由もなかった。
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