朋友に処するに、相上ぐること勿れ
栄太はぶつぶつと何やら文句を言いながら制服の乱れを直している。随分と乱暴をされたようだが下半身は死守したらしく、大事には至らなかったのは幸いだった。
「なーんでこんなことになっちゃったんだよ…ですか。」
軽口をきこうとして睨まれた俊輔は、とっさに丁寧語を語尾に取ってつける。
「こいつに聞いてよ。具合が悪いから保健室に行こうとしたら勝手について来て、勝手に発情して一人で盛り上がって襲ってきた。気持ち悪い。意味わかんない。」
こいつ、と栄太が見下ろした先には蛙のように手足を伸ばしてうつ伏せで倒れている男。ズボンが中途半端に下がり、オレンジ色のパンツからお尻が半分はみ出している姿は大変に哀れだ。「知り合いか?」俊輔が訊ねると、栄太は苛々したような口調で答えた。
「自称下僕。盲目的な親衛隊隊長。弱った奴を襲う卑怯者。ド変態。バカ。」
「…なるほど、よーくわかったぜ。」
俊輔が武士の情けでとりあえずケツだけでもしまってやろうと男のズボンを上げてやっていると、栄太はどこから持ち出したのか、床に紐状のゴムを投げた。
「それでそいつの両手両足縛って。」
ベッドに座り、足を組んで命令した栄太に俊輔は目を丸くする。ゴムはよくみれば胸筋を鍛えるためのゴムチューブだ。保健医の趣味だろうか。
ゴムチューブを手に取って、周りを観察すれば、書類の積み上がった卓上に、大中小のダンベルが並べて置いてあるのが確認できた。どうやら保健医は筋トレが好きらしい。
しげしげとそのゴムと倒れた男を交互に眺めた俊輔は、遠い目をしてしまった。
「…何プレイすか、女王様…。」
「馬鹿言わないで。そいつが起きたらどうするの。動けないようにしたらゴミ袋に入れて廊下に出しといて。」
「自分でやれよ…。」
「僕にそいつを触らせる気?」
侮蔑したような視線を男に向ける栄太に、俊輔は「うへえ」とやる気のない声をだすと、思考錯誤しながら男の両手両足を縛りはじめる。亀甲縛りにでもしてやろうかと思ったがゴムの長さが足りないうえ、俊輔自身エロ雑誌でちらっと見かけただけだったので正確な結び方がわからず、数秒で断念してしまった。
そしてきっちりと両手両足を縛り終えた俊輔は、言われた通りに男を廊下へ引きずりだし、廊下の壁に凭れかけさせると、「ご自由にお持ち帰りください」と書いた紙を、そっと胸の辺りに貼りつけたのであった。
「完了しましたが…」
任務を遂行した俊輔が保健室の中へ戻ると、命令を下した吉田栄太はすでにベッドで横たわっていた。華奢な身体が真っ白なシーツに沈み、色素の薄い茶色の髪が流れるように頬をすべり、長い睫毛が気だるげに伏せっている。
その様子を見て、俊輔は変態野郎の気持ちがすこし分かってしまった。
栄太は戻ってきた俊輔を一瞥したが、何も言わず静かに目を閉じた。
暗に「もう用済み」と言われているようだったが、俊輔は構わず栄太の寝ているベッドまで足を運んだ。それからしゃがみ込んで、彼の寝顔を覗きこむようにすると、栄太は薄く目を開けて不機嫌そうな声を出す。
「何。」
「そんなに具合わりーの?」
「悪くなかったらここには居ない。」
「大丈夫?」
「労わるつもりなら話しかけないで。耳障りだから。」
「…さいですか。」
溜息をついた俊輔は「あーやれやれどっこいしょ」とブレザーと靴を脱いで隣のベッドに上がると、栄太と同じように布団を被って横になった。それを見た栄太が「ちょっと」と不審そうな声を出す。
「何してんの。」
「何って…寝てるんだけど。」
「へえ、具合が悪そうには見えないけど。」
「まあ…ただの寝不足つーのか…。」
大きなあくびを漏らした俊輔を見た栄太は「最低」と呟いて寝返りを打ち、俊輔に背中を向けた。小さな背中を向けた栄太を見て、俊輔はため息をついたが、彼の言葉を言及することもなく、視線を天井にうつした。
「和田くんに付いてきて貰えばよかったのに。」
「…なんでそこに小五郎が出てくるの。」
栄太がちら、と俊輔の方に顔を向けた。栄太の言葉の節々に刺がある。あからさまな態度に俊輔は思わず笑ってしまった。栄太の反応を見るか限りでは友達というより悪友と言った方が正しいのかもしれない。
「どっちにしろさ、もっと信用できる奴と組んで歩いた方がいいんじゃねーかな。」
「…関係ないでしょ」
「そっか。」
栄太の返事に俊輔は苦笑した。
「大体、サダコがいれば、こんなことにならなかったのに…」
ぶつぶつと零す栄太に顔だけ向けた俊輔は「サダコ?」と繰り返した。
「何、保健室の先生、テレビの中から出てくんの?」
サダコ、と聞いて有名なホラー映画を思い出した俊輔は眉をひそめて訊ねたが、栄太はそれをまるっきり無視をして悩ましげに大きな溜息を吐いた。
「そうすれば、こんな頭と顔が残念な奴に借りを作ることもなかったのに…」
「残念とか言うな。」
思わず突っ込んでしまったが、栄太の話しぶりから「サダコ」が少なくとも強姦を見過ごすような人間ではないということが分かった。
保健医がいれば、件の強姦男は栄太に手出しができなかったという。それが分かってこのプライドの高い栄太が保健室まであの男と一緒に連れ立ってきたのであれば、「サダコ」という保健医はよほど信頼のおける人物なのだと容易に想像がついた。
廊下のファンシーな飾りとは対照的にホラー臭のするネーミング。それに加えて筋トレ好きで信頼ができるダニエルの知り合いの保健医像というのが、俊輔には全く想像できなかった
。第一、情報に一貫性が無さ過ぎる。
「サダコが帰って来ればお前みたいなサボり魔はすぐに追い出されるだろうね。」
「あーそう。…そういや、ダニエルもそんなこと言ってたかな…。」
まあ良いか、と俊輔は眼を閉じた。
「じゃあ追い出されるまでは、ここに居ようかな…おれ…。」
「追い出される前に出てったら。」
栄太が馬鹿にしたように笑うのを聞いて、俊輔はぼんやりとした頭で静かに答えた。
「残念な奴でも、誰もいないよりは、マシだろ…。」
「…。」
「おやすみ、吉田くん。」
返事は返ってこなかったが、俊輔は気にしなかった。沈むように意識が遠のいてゆくが、それはひどく穏やかで、心地が良いものだ。
もう、すぐそこまで睡魔が迫ってきている。俊輔は意識を手放す間際、「吉田くん」と小さな声で呟いた。
「…何」
明らかに不機嫌な声が聞こえたが、俊輔は気に留める間もなく、吐息のような言葉を呟いた。
「さんきゅうね。」
「…。」
栄太がその言葉の真意を計りかねて、怪訝な顔をする頃には、すでに俊輔は間の抜けた顔で寝息を立てていたのだった。