朋友に処するに、相上ぐること勿れ
新館から渡り廊下を経て、旧館の玄関から右へ曲がり、長い廊下を奥へ進むと、ちょうど中ほどに清潔感のある白い扉が姿を見せる。
その扉の前で、俊輔はもともと細い眼をさらに細くして、言葉を失っていた。
保健室の引き戸の横に、賑やかな色紙で作られた健康月間の標語が飾られている。そこまではいい。
問題はそのまわりに、きれいなお花とかわいい動物たち、そして愛らしい少年少女の切り絵で賑やかに装飾されていたことにあるのだ。
「幼稚園か、ここは…」
汗臭い男子高校にはあるまじき、ポップでファンシーな色彩のお花に囲まれた、かわいらしい動物たち。
左側のうさぎが、たんぽぽの綿毛を飛ばし、一方で右側のたぬきがシャボン玉をふき、それを動物たちがみて笑っているという、実に和やかな切り絵である。
空には虹がかかっていて、その中央にでかでかと掲げられた標語板。
いったいどんな男子高校生がこれを見て喜ぶというのだろうか。
遠くを見るような眼で綺麗に飾り付けられた壁を眺めた俊輔は、今月の標語を読んでみた。
『エイズについてかんがえよう』
メルヘンな外装のわりにさくっと重いテーマが標記されているうえ、かわいらしいクマのふき出しには『同性の性交渉を行う際は、きちんとした知識を身につけることが大事だよ!』というセリフ。
「エグいー!!」と俊輔が突っ込みを入れたのは仕方なかった。
「そこは歯をみがこう、とか手を洗おうとか、うがいをしようとかほのぼのした標語が入るだろー!!こんな装丁で難易度高い問題を提起してんじゃねー!!絵がかわいいだけに逆に怖い!!!」
なんなんだここは!!と蒼白になった俊輔は一人頭を抱えてうろたえる。
あやしい、あやしすぎる。
壁に設置された「性に関する悩み相談受付中」と書かれた花柄の投書箱が、よりあやしさを引き立てて、俊輔は泣きたくなってしまった。
ダニエルに言われた通り、俊輔は昼食後まっすぐに保健室へと向かった。
一瞬、寮に戻って洗濯をしようかとも考えたが、せっかくの友達の心遣いをむげにするのも気が引け、結局迷いながら旧館に足を運んだ次第である。
松下学園は広い。
高等部だけでも新館、第一館、第二館、旧館と四つの建物で構成されている。
普通科は授業や行事などで使用する教室がほとんど新館と第一館にあるため、旧館には全く縁がない。他に旧館には図書室があるが、調べ物には新館のパソコンルームでネットを駆使するので、図書館には一度も訪れたことがない。
あとは現在使われていない教室が芸術科美術コース連中のアトリエになっているだけで、広い旧館は半分以上が物置となっているのが実態だ。
人気がない旧館は絶好のサボり場。寝床がある保健室は尚更だ。
だが当の友人ダニエルは「保健室にはそういった輩はいない」とさわやかな笑顔で断言した。
大好きな友人の言葉ならば、なるべくは信用したい。
だが、彼の知りあいだと言う保健医は、男子校の壁にこんなメルヘンチックな装飾をチョイスするあたり、俊輔には到底まともな神経の人間には思えなかった。
「でも、ダニエルはおれを心配してくれたわけだし…代返までしてくれてるわけだし…。」
ここはあの眼鏡を信じてみよう、と俊輔は深呼吸をして保健室の戸を引いた。
「失礼、しま~す…。」
小さな声で挨拶をし、室内へ目を向けると。
「あっ、や、だめ!先輩っ」
「…」
「やめ、いや、いやあっ」
保健室の長椅子で激しく絡み合う制服姿の二つの影。
上も男、下も男。長椅子をうるさいほどにガタガタと鳴らして、のこったのこったと取り組み中。
それを目撃した俊輔は笑顔のまま頷いた。
「失礼、しました~」
そう呟いて一歩も動かないまま、俊輔は引き戸を元に戻し、扉が閉め切ったのを確認すると、深呼吸をした。
そしてガクッと膝を折って地面に伏せったのである。
「ダニエルの、うそつきぃいいいいいい!!!」
やはり学園で王道の保健室にゃんにゃんは実在した。
「なにが『保健室でそれはねぇ』だよ、あのさわやか三組魔法使い眼鏡ぇえええ!!!初っ端から遭遇したよバッチリ見ちゃったおええええ!!!」
くそおおと叫びながら打ちひしがれる俊輔は、苦虫を噛み潰したような顔をして保健室の扉を眺めた。さきほどの二人は見たところまだ露出はなく、上下とも制服を着ていたように見えた。
と、いうことはまだ序盤の可能性が高い。本番はこれからだ。