朋友に処するに、勤めて相下れば
そんなわけで、この生まれる時代が遅すぎた現代の侍は、誰からの誘いも乗らず、寄り道もせず、至って健全に自分の部屋へと戻ってきたわけである。
ガチャ、と扉を開ければ、中からふわりと味噌汁の香りがし、キッチンから、ひょこ、と俊輔の顔が見えた。
「よ、大将!おかえりなすって。」
別段その言葉に応える事も無く、通武は黙って靴を脱ぐとリビングの方へと向かう。
食卓に用意された夕食らしきものを見て、通武は「ふん」と鼻をならした。
「なんだ、本当に準備をしていたらしいな。」
「あーもーなんでおめーはそういう言い方しかできねーかなあ。」
通武の言葉に悪態をつき、俊輔が布巾で手を拭きながらキッチンから出てきた。
「せっかく今日は久坂くんが朝飯食いっぱぐれないように、おれが愛情おにぎりをこさえてやったのにさっ。」
「誰も頼んでないだろう。」
「なんだよ、でも持ってったじゃん。昼の分まできっちり。」
「…。」
そう。
朝起きて、また栄養ドリンクで済まそうと通武がまだ薄暗いリビングに出ると、キッチン前のテーブルの上に、ふたつの包みが置いてあったのだ。
『…。』
それは「久坂くん用。朝飯」というきたないメモ書きとともに、絵本で見たようなさんかくに四角い海苔にくるまれたおむすびが三つと、黄色いタクアンが二切れ。
隣にはおそらく同じ内容の弁当が大きなハンカチに包んであり、そちらには『昼飯』というメモ書きがあったのだ。
そしてもう一枚。
『夕飯も用意してる。いってらっしゃい。』
「…。」
思い出して、通武はつい、と俊輔を見た。
「?」
きょとんとした顔をした俊輔を見ながら、通武は溜息をついた。
「…おい。」
「なんだよ。」
「…お前の握り飯は食っている最中にボロボロと崩れて、食いにくくてかなわん。」
「…。」
「あと塩加減がまちまちだったぞ。具の入ってないものもあった。」
「お前なぁああああああああ!!!!」
てっきりお礼を言われるもんだと思っていた俊輔は眉を吊り上げて絶叫した。
「ちくしょう、わかったよ…もういいよ、ちくしょう…。じゃあ、夕飯はパスですね…ここにはおれ特製のまずい飯しかありませんよ。」
それを聞いた通武はふん、と鼻を鳴らした。
「俺は生きるために食べるのであって、食べるために生きているのでない。味など知ったことか。」
「あ、そう。もーしらねーよ。好きにしろ。お前と喋ってっとつかれるよ、ほんと。」
「うるさい。大体そんなに作って誰も食わんなら食材が勿体無いだろう。どうせこの部屋でその夕飯を食うのは俺だけだろうからな…」
言い訳のような言葉を羅列して通武が食卓に座ろうとすると、そこにはすでに、俊輔の他に、黒い物体が食卓の端の方についており、通武は瞬間びく、と体を揺らしてしまった。
いつから居たのだろうか。先ほどは見なかったような気がするのだが、そこにはしっかりと全体的に黒い人物がお茶碗を両手に持って静かに座っている。
通武が胡乱な眼をしてその黒い物体を見詰めた。
彼は確か、同室である筈の、名は…名は…。
「高杉君も久坂君と一緒みたいだな。食えりゃそれで良いみてぇ。」
はは、と笑った俊輔が炊飯器を開ける。白い湯気がもうもうと立ち上がった。
「お前らは長生きするよ。」
俊輔が通武になみなみと白米が盛られた茶碗を差し出した。
それを受け取りながら、通武は、何処か不機嫌そうな顔をして呟いた。
「言っておくがな、俺はお前の飯が食いたかったわけでは無いぞ。」
通武の言葉を聞いた俊輔が「わーってる、わーってる」と頷いた。
「たまたま友達の誘いも、素敵な子からの誘いも無くて、仕方なくおれの不味い飯を食わなきゃなんなくなったんだもんな~久坂君は。」
「当たり前だ。」
そう言って、茶碗を受け取った通武に、俊輔は「超ムカつくんですけど」と呟いたのだった。
勿論、友人からの誘いを断ったのも、可愛い子からの誘いを断ったのも、それなりに理由があったからだ。朝、塩加減がまちまちの握り飯を食べながら、その白米にまだ温かさが残っていたことに、不覚にも胸が熱くなったからではない。
そして、夕飯を一人作る小さな背中を思ってのことではない。
弁当を空にして、クマだらけの顔がくしゃ、と笑うのがみたかったわけではない。
そう、決して。
「おい、なんだこのひどい味噌汁は。」
「うるせーな。それはもう分かってんだ。生きるために飲め。ぐいぐいと飲め。」
「…おかわり。」
つづく。