朋友に処するに、勤めて相下れば
日曜。
剣道部の練習が終わったのは、だいぶ日が傾いてからである。
その後も一年生は後片付けをしたり、道場の掃除をしたりして、全てが終るころには日はとっぷりと暮れてしまうのだ。
「ありがとうございました!!」と一礼をし、きっちりと戸締りをして、新入部員はようやく寮へ帰ることを許される。
今日の練習も厳しかったが、部活に熱心な通武は練習が終わってからも、明日の練習内容で頭が一杯だ。
隣で他愛の無いことで談笑する仲間を尻目に、通武は相変わらず真面目な顔をして、帰ったら素振りの回数を増やそうと一人思案していた。
そうして考えに耽っていると、談笑していた友人からふと声をかけられた。
「久坂、『はまぐり』で飯食って行かねえか。」
「はまぐり」と聞いて通武が顔を上げる。
「はまぐり」とは学校敷地内、武道館に程近く建てられた食堂の名である。
安くて速くて美味い、所謂大衆食堂というやつで、部活の休憩時間の昼と、練習が終わった夕方から夜にかけて武道館を使用する剣道部、弓道部、柔道部、合気道部、空手部などの御用達となっている処である。
寮の食堂に合わせて土日が営業日なので、運動部ではない連中もよく見掛けるが、如何せん席に限りがあるので、いつも入れ替わり立ち替わりでぎゅうぎゅう詰めなのが現状だ。
土曜日は通武も食事を用意していなかったので昼食を此処でとったのだが、その込み具合はまさに生きるか死ぬかの戦場と言って良い。
そんな場所で、この連中は食事をしようというのだ
勿論その息苦しさにウンザリとしてしまったという理由もあるにはあったが、通武は生まれ付きのくそ真面目な顔をさらに固くして、その口を開いた。
「あそこは夜、一年は行ってはいけない決まりだろう。」
「固いこと言うなよ~、気がつきゃしねえって!どうせ夕飯も自分らでどうにかしなきゃなんねんだからよ。」
「そうそう、それに同室の奴が飯を作ってくれるたって、まともに料理なんかしたことねぇ奴だろ。どうせなら美味い飯食って帰ろうぜ。俺んとこも今日作ってた奴がいたけど食えたもんじゃなかったわ。」
そう云って、連中は如何にも愉快そうに笑い声を立てた。
それはどこにでもあるおかしな規則であるが、暗黙の了解というやつであった。
夕食時は昼間よりもさらに混むので一年生は行ってはいけない決まり事がある。
もちろん公式にそんな決まりごとがあるわけではなく、上級生が幅を利かせて、一年生に圧力をかけているにすぎないのだが、運動部での上級生という存在は絶対的な権力を持っているため、ほとんどの一年生が頑なにその決まりを守るのが常套だ。
が、中にはこういった……所謂「調子に乗った」連中というのは必ずいるもので、その連中とういのは一年生の中でも、実力に定評があるグループだった。
勿論その中には通武も入っており、似たような実力同士が固まるのはごく自然なことであるが、連中はその実力をやや過信している節が見受けられ、…まあはっきりと言ってしまえば、頭の方はあまり賢い方では無い連中である。
その賢くない連中に向って、通武は表情を変えず、淡々と答えた。
「いけないと言われていることをあえて実行する気持ちはわからん。」
無論、通武もクソ真面目な性格が祟って、周りの空気を読んで当たり障りなく断ることが出来ないのだから「賢い」とは言えないだろう。
「俺は遠慮させて貰う。」
そしてなんのフォローも無しに退場してしまうのだから、もしかしたら「調子に乗っている」連中よりも通武は賢くは無いのかもしれない。
その上、「飛びぬけて実力のあるグループ」の中で「さらに飛びぬけて実力のある」通武である。
当然、彼の背中を見ながら、連中が舌打ちを零したのは言うまでもなかった。
そして勿論、通武が彼らの誘いを断ったのは、規則に習わないのが気に入らなかっただけで、決して、朝方リビングで寝ていた少年を思ってのことでなはい。
休日の寮内は穏やかな雰囲気に包まれている。
寮生は談話室や、解放された大食堂に腰掛けながら思い思いに休日の夜を楽しんでいるようだ。
通武が玄関の虎次郎に挨拶をして大食堂に入ると、にわかに辺りが色めき立った。
その変化に気がつかない通武は全く表情を変えず、大食堂を横切ろうと足を進めた。
と、その時。
「久坂君っ」
声をかけられたが、通武は足を止めることは無かった。
後方から見知らぬ少年が二人ほど近づいて来て、通武の左右に並ぶ。
目鼻立ちのくっきりとした二人の少年が僅かに頬を赤らめながら、にっこりと笑った。
「部活お疲れさま!!疲れてるとこ、ごめんね。」
「久坂くん、あのさ、もし迷惑じゃなかったらオレらと一緒にご飯食べない?」
オレ等が料理作ったんだけど、と少年が続ける。
「こう見えて料理作るの得意なんだ。久坂君の所って、ご飯作れるような人いないでしょ?ほら、運動部の人って体調とかにも気をつけなくちゃいけないし!俺等は栄養とかもちゃんと考えてるしさ!」
「オレの部屋、今誰も居ないからゆっくりできるし。」
にこにことしながら話しかけてくる少年達の顔を通武は横目でちら、と見ると、小さなため息を吐く。
「…俺はあんた達とは初対面だと思うが。」
「え?」
漸く口を開いた通武だったが、その声に全く感情が籠っていないことに気がついた少年達の顔が強張る。
「初対面で、自分の名も満足に名乗らぬような人間と、何故一緒に食事をしなければならない。」
そう言うと、通武は唖然としてしまった二人の少年を置いて、足早に大食堂を退室した。
勿論彼らは通武に好意が有り、このように誘ってくれたわけだが、くそ真面目な性格の通武は、初対面で名乗らない連中から馴れ馴れしく話しかけられたことが気に入らず、彼らの裏側にある好意には全く気がつかないし、知ろうともしなかった。
相手方が自分をそれなりに知っているようであれば尚更である。
通武と食事をするためには、食事に誘う前に自分の正体を明かし、どういった要件で自分と食事をしたいと申し出るのか、その理由を懇切丁寧に説明し、理解を得なければまず無理である。
見ず知らずの、名前さえも知らないような相手と食事を一緒にとれるほど、通武は融通のきく人間では無かったのだ。
勿論、通武が彼らを相手にしなかったのは、連中が礼儀知らずだったからで、見ず知らずの人間に、自分の同室者が、飯を作れない人間だと遠まわしに馬鹿にされたのが気に入らなかったわけではない。
そう、決して。