朋友に処するに、勤めて相下れば




『で、結局さ。おれの味噌汁って何が足りないんだと思う?』

「さあ。愛じゃね?」

電話越しに聞こえる俊輔の声を聞きながら、ダニエルは漫画のページをめくった。
土曜日の夜というのは気分が高揚するものだ。
時計はすでに夜の十一時をまわっていたが全く眠くならない。
寮に入ってから初めての休日である。気分が高揚しない方がおかしいのかもしれない。
テンションが高いまま、先ほどまでリビングで同室者達と下らない話で盛り上がっていたが、そんな楽しい時間も過ぎ、一人個室でごろごろとしていたダニエルのケータイが鳴ったのは、つい五分ほど前だ。

ダニエルが電話に出ると、『遅くにわりーな』と言う俊輔の声が聞こえ、月曜に提出する課題について真面目な話をしているうちに、あれよあれよと脱線してしまった。
そして行き着いた件の味噌汁の話であり、電話の向こうの人物は、夕食時の一件をダニエルに零すと自分の味噌汁について冒頭のように意見を求めてきたのだった。
だがダニエルの曖昧な返答に、俊輔は幾分ムッとしたようだ。

『んだよその投げやりな態度!!ケッ!自分は人並に美味い味噌汁が作れるからって調子こきやがって。』

「こいてねーし。何だよ、俺はお前の味噌汁を不味いとは言ってないだろ。」

『ばかやろ!!「ん~、普通じゃね?」っつー上から目線で誰が喜ぶかよ!!』

昼時に半ば強制的に飲まされた残念な作りの味噌汁を思い出しながら、ダニエルは苦笑してしまった。俊輔の味噌汁を飲んだ後、参考になれば、とダニエルの味噌汁を飲ませてやったのがいけなかったらしい。
それがまたひどく美味かったらしいのだ。

俊輔の味噌汁は、そこまでひどい味というわけでは無かったがお世辞にも「美味い」とは言えない、なんとも微妙な味噌汁である。
例えるならその味噌汁は「伊藤俊輔」その人と言って良い。
別に「不細工」では無いが、間違っても「美形」では無い、俊輔の凡庸な容姿をそのまま味噌汁にしたような出来栄えだったのだ。
人間の容姿であれば「美形」と「不細工」の中間である「普通」という表現が重宝され、まかり通るかも知れないが、料理というのは「美味い」「不味い」が極端に出るものである。
で、あるからして、料理で言う「普通」という表現は「どちらかというとまずい」というニュアンスが多分に含まれているのである。

「いや、でもあれだろ!辰也は好感触だったじゃん。」

『山縣君は…ノーカウントだろ…。』

山縣、と聞いて俊輔の声のトーンがグッと下がった。電話越しで顔は見えないが、おそらく山縣の感想を聞いた時と同様、仏が悟りを啓いたような顔をしているに違いない。

「なんだっけ…『伊藤の味がするはぁはぁ』だっけ。」

『お願いやめて。』

揶揄するために言った言葉だったが、改めて口にしてみるとやはりダニエルも遠い目になってしまうのは言うまでもない。
その言葉の深い意味は追及しないに越したことはないが、ともあれ、中学を終わったばかりの少年が口にする言葉では無いということだけは俊輔もダニエルも辛うじて分かった。

「辰也の話は置いておこうか…。」

『そうだな、そうしよう。』

お互い深く同意したところで、ダニエルがすかさずフォローに入った。

「まあ元気出せって。全然料理したこと無い奴があそこまで形にできりゃ十分凄いと思うよ、俺は。」

『そ、そうかな…』

「そうそう。」

漫画を捲りながらうんうん、とダニエルが頷くと、電話越しの俊輔が「でへへ」と気持ちの悪い声を出すのが聞こえた。

「料理ってさ、回を重ねるごとにどんどん上手くなるもんなんだよ。だからお前もきちんと練習すれば必ず上手くなるって。ただでさえお前は頑張ってるしな。」

『う、うん…。』

「だろ。だから大丈夫。な?」

優しい声色が受話器に吸い込まれる。
それから少々間を置いて、

『だ、ダニエル~!!!』

「うおっ」

さて受話器からは、ダニエルの言葉にハートを射抜かれたらしい俊輔がきゃーきゃーと言いながら「あーん優しさに腰砕け」「抱いて~」「好き~」と連発し、その音量の大きさに、ダニエルはケータイを腕一杯に離したが、俊輔の声はやかましいほど響いた。ダニエルへの愛しさが溢れて我を忘れて大絶叫しているらしかった。

『お前への愛しさMAX越えだよおおお!!好きだあああ!!ギュッとしてえええ!!!』

「わかったわかった、明日会ったらな。」

「ハート泥棒」「愛してるんだからああ」と連呼する俊輔に、ダニエルは「うんうん、そうだね、俺も俺も」と頷きながらまた漫画のページを一枚めくったのだった。


さて、お互いの愛を確かめ合い俊輔がようやく満足し幾分か落ち着いた所で、丁度俊輔の声の後ろから何か「ピー、ピー」という機械音がダニエルの耳に入った。

「お前、それ何の音だよ。」

ダニエルが尋ねると、俊輔は「んー?」と間延びした声を出した。

『ああ、今ちょうど洗濯が終わった。』

俊輔の言葉に「はあ?」とダニエルが声を上げる。
大体夜に洗濯をするといっても、食事が終った八時頃、遅くても九時が妥当だ。
それが最早十一時半にもなろうとしているのにまだ洗濯をしているのかとダニエルが目を見開く。

『仕方ねーだろー。すげー量でさあ。今二回目の洗濯なんだ。まあ諸事情で急に洗いもんが増えたんだけどな。』

俊輔の言葉の意味を素早く読み取ったダニエルは、一際苦い顔をする。

「…またやられたのかよ。」

『まーな。帰って来た時に勧めたら今度は舐めただけでバシャーン。』

「…まじか。」

昼近くに俊輔が小五郎から味噌汁をかけられた事は聞いていたが、まさかまた同じことをするとは思ってもいなかった。だが味噌汁をぶちまけられた俊輔は、かけられた事自体に対しては想定内だったらしくあっけらかんとしていたが、「勿体ない」とぶちぶち文句を言っている。

『まあこっちは長期戦の構えだし。いつかはおれの味噌汁の虜にしてやること確定なわけだから、今はほら、なんつーのあれ。ツンデレ?くらいにしか思ってねーし。』

「…お前、もしかして洗濯の後もなんかあるのか。」

ダニエルの言葉に俊輔は「うーんとね」とどこまでも軽い声色だ。

『洗濯物干して、明日の朝飯の仕込みして、あとはさっき話した宿題やる。』

「はぁ?お前、本当に寝れてんの?」

思いがけず真剣味を帯びたダニエルの声に、俊輔は一瞬面喰ったようだった。
だが、すぐに笑いを含んだ声で「心配すんなって。」という答えが返ってくる。

『明日は日曜だし、ゆっくり出来るよ。』

それにさ、と俊輔が続けた。背後では未だに洗濯機がピーピーと洗濯終了を告げている。

『なーんか、寝るのがもったいねー気がしてさあ。』

そう言って、俊輔は「じゃー洗濯ほすわ、課題の件、さんきゅうな。」と言って電話を切り上げた。
電話を切る際、ダニエルが「無理するなよ」と念を押したが、俊輔は相変わらず締まりのない口調で「ほーい」と答えただけだった。

俊輔との電話を切り、とたんに静かになった世界で、ダニエルはやや伏し目がちに自分のケータイを見詰めた。
熱くなった本体を握りしめながら零れたのは、静かな溜息である。

「…どうしたもんかな。」

呟いて、ダニエルは読んでいた漫画本を閉じて机の上に置く。

ページはめくっていたが、内容は殆ど覚えていなかった。
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