朋友に処するに、勤めて相下れば

さて、まずいと言いながらも東風が俊輔の作った味噌汁を啜っているのと同じころ。


その味噌汁を作った本人にぶっかけた和田小五郎は、校内の階段を登っていた。
政経科と医学科は土曜日に午後から補習授業がある。なので校内はいつもより生徒数は少ないものの、補習授業を受ける生徒で僅かながら賑わいをみせていた。

廊下を歩くたび、すれ違う他の生徒から熱い視線を感じるが、それを全く介ぜず、小五郎は起きたばかりでハッキリとしない頭のまま、政経Aクラスの扉を開け中へ入った。
小五郎に気がついたクラスメイトが口ぐちに彼に挨拶をするが、小五郎はそれに答えず、真っ直ぐに自分の席を目指す。

小五郎の席は窓側の一番後ろの席である。
勿論権力で奪い取った…わけではなく、只単にあいうえお順の名簿で、彼が一番最後だったため、振り分けられた席が偶然そこだったからに他ならないが、教室が一望でき、風とおりの良いこの席を小五郎自身はかなり気に入っていた。

そのため、朝から自分の席の前に群がっている集団が目障りで仕方がない。しかも揃いもそろって上背があり、ガタイの良い連中だ。
ガタン、とわざと音を立てて椅子を引くと、自分の席の前に群がっていた連中がビクッと肩を揺らし、恐る恐る後ろを向いた。
その表情は一瞬で強張り、連中は一瞬間を空けてから「お、おはよう」と機嫌を取るような声で挨拶をすると、振り返り焦ったような声で小五郎の前の席の少年に「じゃあ、またあとでね」と言い残し、そそくさと教室の外へと散っていった。
それを見ながら舌打ちを零す小五郎に、男達から解放された少年が振り返る。

「毎朝毎朝、大事な取り巻きを怯えさせるのやめてくれないかなあ、小五郎。」

迷惑なんだけど、と少年はその小さな体を横にして、小五郎の机に肩肘を付き、華奢で細い指の上に白い頬を預けた。
長い睫毛の間から覗く茶色い瞳だけが、流れるように小五郎に向けられ、視線がぶつかる。

「お前の毒牙に掛りそうな憐れな奴を救ってやってんだよ、栄太。」

椅子の背もたれに寄り掛かりながら小五郎が少年の顔を見てニヤリと笑った。
和田小五郎の前の席に座っていたのは、吉田栄太である。
栄太は色素の薄い髪の毛を、わずかに空いた窓から入る風にさらさらと靡かせて唇を持ち上げた。

「人聞きの悪い。別に強制してるわけじゃないじゃん。あっちが勝手に色々やってくれてるだけなんだから。使えるものは使わないと。」

「その考えには概ね賛成だが、お前の取り巻きは特別暑苦しいんだよ。朝から俺の視界を遮るのも気に入らねぇ。躾がなってねぇぞ。」

小五郎の言い分に、肩を竦めながら栄太は目を細めて溜息を吐いた。

「お前に言われたくないね。昨日のお前の取り巻きときたら、隣を歩いただけの僕をおっかない目で睨んでさ。どういう教育をしてるわけ。」

「うるせぇな。だから昨日は余興も兼ねて少しばかり調教してやったんじゃねぇか。」

大きな欠伸を零しながら鞄から教材を取り出す小五郎を見ていた茶色の瞳が細くなり、「どうだか」と呆れたような声が返ってきた。

「見ろよ。」

栄太が顎で教室の前の扉を指し、小五郎が眠たげに視線をそちらに向けると、こちらを、いや、正確に云えば恐らく栄太を、厳しい顔で見ている連中が目に入る。
栄太には及ばないが、悪くない容姿を醜悪に歪めてこちらを食い入るように見ていた。
その面々には覚えがあった。昨日リビングで散々遊んでやった連中だ。
その顔にはありありと嫉妬の色が見て取れた。

「調教不足。」

「どうやらそうみてぇだなぁ。」

でもあいつら、ドMで抵抗しねぇから面白くねぇんだよなぁ、と小五郎が呟くと、栄太が冷めた顔でまた小五郎に視線を投げかけた。

「どうせSMに毛の生えたような生温い調教だったんだろ。」

そう吐き捨てた栄太に、小五郎は首をこきこきと鳴らしながら「仕方ねぇだろ」と呟いた。

「途中で邪魔が入った。あれで一気に萎えたからな。」

代わる代わる部屋の中へ入ってきたルームメイトの顔を思い出して、小五郎は溜息を吐いた。一人は顔面蒼白で部屋から逃げ出し、一人はパニックに陥って木刀を振り回そうとした。あの連中を組み敷いた方がよっぽど面白かったに違いない。

「出来るなら今すぐ、調教しなおして欲しいもんだね。」

「お前と噂になるなんて不愉快なことこの上無い。」と栄太が零したが、小五郎は「んなもん無理に決まってんだろ。」と悪態をついた。

「朝からクソまずい味噌汁を飲まされて、気分がわりぃんだよ。」













「えー、であるからして、おれの味噌汁には何が足りなかったか検証したいと思うわけだが。そもそも、美味いと不味いの境界線はどこなのか、同じ材料を使っても全く異なる味になってしまう不思議がこの世の中にはあるわけで…」

ソファの上で正座している東風の前を行ったり来たりしながら、俊輔は固く拳を握り、熱弁を繰り広げていた。
俊輔の料理を不味いと言った東風だったが、彼はどうやら胃に入れば特に味には頓着をしないタイプらしく、もくもくと料理をたいらげてしまった。
勿論自分も一緒にその料理を突いていたので、何も東風一人が食べきったわけではないのだが、空になった皿を見たその感動は言い知れないものがあった。

その感動に震えながら、俊輔はその興奮冷めやらぬうちに、東風を無理やりソファに座らせると、体にまだ味噌汁の匂いをぷんぷんとさせたまま、「どうやったら和田小五郎をおれの料理の虜にできるか考える会」という総会(二人)を催したのである。
参加者である東風は、満腹感からか俊輔の演説を子守唄に、すでにこっくり、こっくりと船を漕いでいる。
勿論そんな東風の居眠りに気がつくこともなく、俊輔は自分のレシピを片手にブツブツと怨念の言葉を繰り返していた。

「畜生、おれの味噌汁を無下にしたこと、必ず後悔させてやるからなぁぁぁああ。首洗って待ってろよおおおお、和田小五郎おお…」

不気味な声が部屋に響いたが、東風はもはや本格的に寝入り初め、俊輔はギラギラとした目付きでレシピを書き直している。

ピチョン、と流しのたらいにためた水に、水道から滴が落ちる。
それは実に天気の良い、麗らかな土曜の昼下がりであった。
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