朋友に処するに、勤めて相下れば
家に帰ればいつも食事の用意が出来ていた。
それをありがたく思ったことも、感動したこともなかった。
さも、当たり前のことだと思っていた。
朋友に処するに、勤めて相下れば
「…。」
ふと目を覚ますと、視界に入ったのは薄暗い室内ではなく、見慣れない天井だった。
それを不思議に思いながら、俊輔はまだ覚醒しきれない頭を上げ、きょろきょろと辺りを見回した。そこは自分の部屋ではなく、どうやらリビングのようである。
記憶では未だ夜明け前だった筈だが、どうやら仕事をしたまま寝こけてしまったらしい。
目の前のテーブルに洗濯物をたたんだ後、力尽きたようだ。
いつの間にか日はすっかりと昇り、ベランダから煌煌とした朝日が差し込み、おまけに外からチュンチュンというスズメのさえずりまで聞こえる。
なんとも爽やかな朝である。
「…」
ボリボリと頭を掻きながら、また髪の毛がとんでもない方向にはねているのを己の手で確認をした俊輔は、ボーっとする頭をふらふらとさせて、しばらくベランダ越しの外を眺めていたが、ふと手元に固い物を感じて、そちらの方へ目をやった。
そこには俊輔のケータイ電話。
それを空ろな顔で拾うと、覚束無い手つきで二つ折のケータイをぱかりと開く。
そして、デジタル表示の時計を目に途端、全身の毛が逆立ちするほど驚いた。
AM:9:34
「な、なななななななな」
ガタガタとケータイを持つ手が震え、俊輔は動揺の余り、開いたケータイを一旦閉じて、神妙な手付きで恐る恐る閉じたケータイを開いた。
同時に目付きが糸の様に細められたが、直視してもしなくても、表示された時間は先ほどと全く変わらず、9:34分であり、俊輔が「あちゃー」という顔をした瞬間、9:35分となった。
「寝坊だーーーー!!!!」
有り得ねー!!!!と頭を抱えた瞬間、その身を沈めていたソファから転げ落ちる。
しかし落ちたと同時に、俊輔は床を転げるようにして立ち上がると、物凄い形相で玄関へと向かった。
半畳ほどしかない狭い玄関へ走り寄り、靴の数を確認する。
「…三足…」
玄関には自分のものを合わせた三足の靴。
誰か一人居ない。
それを見た俊輔はハァ、と溜息を吐いた。だが、次の瞬間には首を振って、「いや!!まだ二人いる!!」と気を取り直すと慌てて台所へと向かった。
下茹でしておいた肉が入った鍋に慌てて火をかけながら、浮いた油をすくう。
それに、夜の間に切っておいた野菜を放り込んだ。
「あと、あとなんだっけ!?味噌汁!!?あー!!おひたし!!?」
やばいやばいと言いながらぐるぐると回る俊輔が凄まじい音を立てながら台所で立ち回りをしていると、奥の方からガチャ、と戸を開ける音が聞こえた。
反射的にキッチンからひょこ、と顔を出して確認すると、其処には不機嫌そうに顔を顰めながら頭を掻いている小五郎がいた。
「げ」
勿論反射で苦い顔をしてしまったのは流石にまずいと思ったが、何分正直なこの顔は、愛想笑いという高度な技を咄嗟に出来るような技術は持ち合わせていなかった。
しかし当の小五郎は、俊輔の表情の変化を見る前から明らかに不穏であり、隠そうともしい不機嫌オーラが全開だった。
だが、上下黒のスウェットに、額に降りた髪の毛をかき上げる仕草が恐ろしいほど決まっていて、そのひどく艶のある様子に、俊輔は一瞬自分が女子なら危うく「抱いてー!!!」と黄色い声を上げながら服を脱ぎ捨てていたかもしれないと思った。
しかしそんな下らない思考でトリップをしかけていた俊輔に、当の小五郎が優しい言葉をかけるはずが無い。
小五郎は朝からギラギラとした目付きで俊輔を見据えると、低い声で呟いた。
「朝っぱらからドッタンバッタンうるせぇんだよ、ボケコラ。」
あ、やばい。今の掠れた声で耳元で名前呼ばれたら服が破け去っていたかもしれない、と咄嗟に思った俊輔は、瞬間ぶるぶると頭を振って、空ろな目のまま、クセになりつつある謝罪を小さく呟いた。
「すみません…朝食の準備に手間取っておりまして…。」
瞬間、「朝食の準備ぃ?」と小五郎が目を吊り上げる様子を見ながら俊輔は反射的に「ひぃっ」と喉の奥から情けない声を出した。
「なら手伝ってやろうか、ああ?テメェのそのブサイクな顔グチャグチャに煮詰めて味噌汁の中ぶち込めば魚の撒き餌くらいにはなるぜ、なぁ。」
どうだよ、と歪んだ笑みを携えた小五郎が俊輔を射る様に睨みつけると、すっかり気圧された俊輔は殆ど涙目でぶんぶんと頭を振った。
「いえーーーーーーーーー!!!すみません!!!ごめんなさい!!!反省します!!!静かに、厳かに、ひっそりと粗餐の準備を致します!!!!どうぞ後自室でお休み下さいませ!!!」
俊輔の必死の謝罪に「わかりゃいんだよ。」と眉間にしわを寄せた小五郎は、舌打ちを残して踵を返すと、自室に戻ると、ドアを乱暴に閉めた。
俊輔は、こわごわとキッチンのカウンターから顔を半分だけちょこんと出して、小五郎の部屋の方を眺め、彼の部屋から音がしなくなると、静かに溜息を吐いた。
それから背伸びをするようにしてカウンターから身を乗り出すと、たちまち苦虫を噛み潰したような顔をして、小五郎の部屋に向かって「このうんこ野郎、ホモ、ヤクザ、ヤリチン!!腐れ!!」と呪いの言葉を恨めしげに放った。
途端、小五郎の部屋から「カタン」という音がしたのと同時に、俊輔は反射のように、カウンターにサッとその身を隠した。
しかし、彼が出てくる気配がないことを確認して、またそろそろとカウンターから顔半分だけ覗かせると「やろう~驚かしやがって…!!」とボヤキながら、ようやく流し台に戻ったのである。
先ほどまで時間が遅くなってしまったと焦った末、様々な道具や野菜が散乱した台所を見てため息をついた俊輔は、先ほどよりも冷静さを取り戻しながら、小さな溜息を吐いた。
こんな時間だ。
もう、ちょっとぐらい遅れたって構わねぇよな、と自分に言い聞かせながら、鍋を取り出した。
湯を張った鍋に粉末の出汁を入れながら、俊輔は、和田小五郎のみそ汁にだけ雑巾のだし汁でも入れたろか、と半ば本気で思ったが、その後自分の身に降りかかる災難を想像して、ものの二秒で諦めた。