禍を転じて福となす



大食堂を抜けて受付窓口の手前まで来ると、落ち着いた木のカウンターに、管理人室の中から洩れた光が優しい色合いで反射していた。
それがぼんやりと暗い玄関を照らしていて幻想的な雰囲気を作り出している。

見た覚えは無いはずなのに、ひどく懐かしいような、ホッとした気持ちになる光景だ。

その光景に一息つきながら、俊輔は誘われるようにそちらへ近付いてぼんやりとその灯りを眺めた。

そうしてボーっとそこに突っ立っていると、斜め前の狭い廊下にある扉がキィ、と音を立てて開いた。
それに口から心臓が飛び出さんばかりに驚いた俊輔は、右往左往する暇もなく、咄嗟に玄関の方へ滑り込むと管理人室の窓口の下にその身を潜めた。
勿論、その胸には持ってきたエロ本をしっかりと抱えたままで。

「(って、なんで隠れてんだ、おれ。)」

そう思いながらも、隠れたところをノコノコと出てゆくのも何だか気が引けて、俊輔はそのまま息を潜めて窓口の下に座っていた。
廊下からはなにやら楽しげに談笑する声が聞こえ、短い挨拶が交されると、パタパタという足音が大食堂の方へ向かってゆくようだった。
足音からどうやら一人らしいが、まさかこんな遅くに管理人室に来訪者が居るとは思わない俊輔は、ドキドキとなる心臓をエロ本で押さえつけながら、光の影に身を置いき、瞬きを繰り返した。

遠ざかってゆく足音に耳を澄まし、それが完全に聞こえなくなるのを待った俊輔は辺りが静寂に包まれると、安堵からついハァ、と大きな溜息を吐いてしまった。

「いけませんよ、ため息は。」

「!!!!」

唐突にかけられた声に、俊輔はそれはもう飛び上がるほど驚くと、素早く窓口の下から這い出て、バッと後ろを振り向いた。

そこには。

「やあ、こんばんは。」

「と、虎さん…」

薄暗い玄関で、明かりが漏れる管理人室から覗く虎次郎は逆光で顔が少し見え難かったが、その皺だらけの顔が確かに優しい表情をしているのが分かる。

「そんな大きなため息をついて。幸せが逃げてしまいますよ。」

笑った虎次郎に、俊輔はその言葉を頭の中で反芻すると、先ほどのため息を見られて居たのだと気が付き、瞬間的にボッと火がついたように顔を赤くした。

「い、いつから気が付いて…!!」

「幾分も経ちませんよ。君だってここにそんなに長くいたわけではないでしょう。」

虎次郎の言葉に、俊輔はぐうの音も出ない。同時に並外れた洞察力を持つ虎次郎を前にして、俊輔はこの玄関に監視カメラが要らない理由がようやくわかった気がした。

しかしこれは黙って外出しようとしたわけではなく、少し隠れていただけで、自分には何もやましい所はない、と俊輔は主張したかったが、妙な所から見付った気まずさから、彼は可哀想なほど動揺して目を泳がせて頭を掻きながら誤魔化すので精一杯だった。
それを見た虎次郎は笑いながら玄関の窓口からその身を引くと、俊輔をその場に置いたまま、奥の方に消えていった。
そんな虎次郎の行動に俊輔があれ?と首を傾げると、虎次郎は廊下の方のドアを開けて、そこからひょっこりと顔を出したのである。

「そこではなんですから、こちらからどうぞ。」

「え」

「何か、用事があったんでしょう。」

「いえ、あの、おれは、」

開かれたドアから漏れる明かりがひどく暖かい。
しかし、特に何も用事がなく、その光に誘われて来たのだ、などと口に出来るわけもなく、俊輔はしどろもどろで答えながら、俯いてしまった。

そんな俊輔を見た虎次郎は、きょとんとした顔をして、こてん、と首を傾げた。
だが、すぐに「それじゃあ」と変わらずに穏やかな声を出した。

「今、暇ですか?」

「は…」

俊輔が顔を上げると、虎次郎はくしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。

「今ここに遊びに来ていた子が、おいしいお菓子を持ってきてくれました。お茶でも飲んで行きませんか。」

「え、で、でも。」

「お菓子は好きですか。」

「え、あ、はい。」

「それじゃあどうぞ。」

そう言って、虎次郎は管理人室のドアを開けたまま、中へと入っていった。
それをぽかんと見ていた俊輔は、「い、いいのかな」と呟いたが、特に断る理由も見付らず、開け放たれた扉を少し黙って見詰めると、決心をした様に足を進めた。

「あ。」

しかし、直ぐに立ち止まり手の持っていたエロ本の存在を思い出すと、卑猥な表紙を見つめて辺りをキョロキョロと見回した。
しかし廊下には何処にも隠すところは無く、俊輔は挙動不審な動きを繰り返しながら「あー」とか「ぬー」とか妙な言葉を発したが、結局オロオロするのをやめて、自分の背中にエロ本を回すと、シャツとズボンの間に挟んで「よし!!」と頷いてオレンジ色の灯りの漏れる扉の中へと入っていった。
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