余命半年

俊輔が大食堂に入ると、整然と並べられた沢山の木のテーブルと椅子の前の広い空間で、剣道部がミーティングをしていた。

みな一様に背筋を伸ばして主将の話に聞き入っている。その様はまるで軍隊だ。
まだ入学して間も無いのにこんな遅くまで練習か、と俊輔は感心した。

体育科の生徒はほとんどがスポーツ特待で入ってきた連中なので、部活に命を懸けている者が大半だ。
こういう事はざらだろうが、入学式から二日目で部活とは恐れ入る。
そんな剣道部を横目で見た俊輔は、黙ってその横を通り過ぎ、各々の部屋へ繋がる廊下へ抜けようとした。
そして一年生の部屋が配置されている一階の奥の扉を開けようとすると、後ろから「解散!!」という主将の野太い声が聞こえ、同時に「お疲れ様でした!!」といういかにも体育会系らしい、むさくるしい挨拶が聞こえ、先ほどまでシンとしていた大食堂が途端に活気に包まれる。

それを背中で聞きながら俊輔がドアを開けると、ふわりと風が入ってきて、その風に乗ってヒラヒラと桜の花びらが入ってきた。

ドアを開けると、そこはまた外で、桜の木が配置されていた。
中庭だ。

寮は三階建てで、コの字型に寮室が連なり、天井は吹き抜けとなっている。その中央に中庭があるのだ。
中庭と言っても非常に広く、小さな体育館ほどの広さがあった。
俊輔はその中庭の見事な桜をボンヤリと眺める。

寮の中でも桜が見られると言うのは中々粋だ。

「おい」

「ひょ!!」

急に後ろから声を掛けられて、ビクッとした俊輔は妙な声を上げて、そこから飛び退いた。
それから慌てて後ろを振り返ると、怪訝な顔をして何人かの一年生剣道部員が俊輔の後ろに立っていた。
なるほど、俊輔がドアの前にボンヤリと突っ立ていたお陰で、行く手を塞がれた剣道部員達が自分の部屋に戻れずドアの前に立ち往生していたようだ。

「わりぃ。」

そう言って俊輔がドアの横に避けると、彼に声を掛けた少年が「ボンヤリしてんなよ」と笑いながら通り過ぎ、俊輔は苦笑いしながら頷く。
それからしばらく目の前を通り抜ける剣道部を俊輔が見ていると、部員と話している通武を見つけて、俊輔は「あ」と声を上げたが、通武は彼に気が付きもしないようだ。

仕方なく俊輔は通武とその友人の後ろを一人トボトボと付いて行き、友人連中が「じゃあな」とか「また明日」など軽く手を振って各々の部屋に入っていくのを見ながら、一人になった通武の後ろを追いかけたが、先頭を切って歩く通武は俊輔に一言も話しかけてくることはない。

そして寮の中ほどまで来た通武が、「1077」と書かれた扉のドアノブに鍵を差し込んでいるのを俊輔が待っていると、ようくその存在に気が付いたと言う様に、横に突っ立っていた俊輔を切れ長の瞳でみすえて怪訝な顔をした。

「何だ、お前は。」

通武の言葉に俊輔は首を傾げる。

「何って、鍵開けてくれんのを待ってるんだけど…。」

「何故待っている。」

「え?何でってアンタ。そりゃ。ここがおれの部屋だからですけど。」

すると通武は、俊輔の言い分にますます怪訝な顔をした。
まるで俊輔を頭のおかしい人間だと言いたげな顔だった。

「ここは俺の部屋だが。」

通武の返答に俊輔はこっくりと頷く。

「そう。君の部屋でもあり、おれの部屋でもある。」

俊輔が自分と通武を交互に指差して、「よろしく」と彼に手を差し伸べて握手を求めたが、その手はまるっきり無視され、通武はまだ納得がいかない顔でドアノブの鍵を回さずに俊輔を見ていた。

「…同室者?」

「そうそう、残念ですけど。」

「お前の顔は初めて見るような気がするが。」

「よく言われる。」

数日前、確かに顔合わせをしたのだが、残念ながら彼の記憶には俊輔は残っていなかったらしい。

しかしこれで謎がひとつ解けた。
先ほど声をかけた際に俊輔がまるっと無視されたのは、彼が俊輔を「知らない人間」だと思っていたから、ということが知れた。
俊輔は自分の特徴の無い顔を、つるりと撫でる。
昔から友人に「影が薄い」とか「存在感が無い」と言われる事が多く、友達の間でも「一人足りなかったら俊輔だと思え」と言う決まりごとができたほどだったが、特に気にした事も無かった。
通武は眼鏡の奥の切れ長の目を更に細め俊輔を凝視して顎を撫でると、「そういえば」と呟いた。

「何か同じ部屋の一人にボンヤリとした顔の奴が居たような…。」

「そう!それ!それだ!!そのボンヤリがおれ!」

ようやく存在を思い出してもらえた、と俊輔はパァ、と顔を明るくしたが、通武は自分の記憶と向き合っている様で、先程から胡乱な目付きで俊輔を見ている。
きっと彼の頭の中の自分は顔に霞掛かっている状態なのだろう。
だがこのまま部屋の前に立ち往生している場合ではない。

俊輔の部屋の中には、まだ開けていないダンボールが転がっていたし、親に手紙を書かなければならないし、入寮の際に決めた部屋の「役割分担」の仕事を手に付けてなかったのである。

「そんなわけで、開けて下さい。」

「待て。」

俊輔がドアノブに手を伸ばすと、素早く通武に制止された。
まだ冷たい春の風が頬を撫でて、ぶる、と身を震わせた俊輔は、ようやく暖かな空気に触れられるという期待が破れ、情けない顔をしてしまった。

「お前の身元が確かでなければこの鍵は開けられん。そのボンヤリ顔がお前とは限らないだろう。俺の話に合わせ、ボンヤリ顔になりすます作戦かも知れん。」

おれおれ詐欺と同じ手口か、と言って真面目な顔でこちらを見てきた通武に、今まで辛抱強く彼の問答に付き合っていた俊輔は、そろそろ我慢の限界で、作り笑顔に青筋が浮き出たのを感じた。
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