禍を転じて福となす
「和田君。」
俊輔があくびをした後の気だるい声で呟くと、小五郎もどこか気だるげな顔をして俊輔を一瞥したが、僅かに片眉を上げただけで特に何も言わなかった。
機嫌が悪いのか眠いのか。ひどく目つきが悪く、俊輔は身の危険を感じ、作り笑顔のまま素早く目を逸らした。
と、同時に俊輔の行動につられ、ダニエルと山縣が何事かと振り返る。それから後の人物を目にとめ、同時に「あ」と声を上げた。
だが2人が反応を示したのは小五郎にではなく、もう一人の美少年にであった。
同じく先ほど声を上げた美少年も、ダニエルと山縣を見て反応をしたらしく、もはや俊輔の方には見向きもしなかった。
「よう栄太。奇遇だな。」
ダニエルが声をかけると、「栄太」と呼ばれた美少年は目を細くして呆れたような顔した。
「何してんの。入口でたむろされると邪魔なんだけど。」
「ちげーよ。窓口が混んでんだ。お前も今帰りか?」
「それ以外なんだっつーの。」
「俺らは今買い物して帰ってきたとこなんだ。明日自炊の日だろ。」
「あ、そう。」
ダニエルが美少年に気軽に話しかけるのを見て(その割に冷たい返答しか返ってこないが)俊輔が山縣の肘を小突きながら小声で「知り合いか?」と聞くと、山縣が蕩ける様な顔でにっこりと笑った。
眩しいオーラに毒されないよう、俊輔が咄嗟に目を細めたのは言うまでもない。
「オレらの同室者の
いらない情報もつけてくれた山縣の言葉に、そいつはまた偶然だなぁと思うのと同時に、栄太と目があい、俊輔は反射でへら、と笑ったが栄太はニコリともしなかった。
俊輔をまるっきり無視して、栄太は無言のまま三人の横を通り過ぎる。
それを目で追うように三人が振り返ると、いつの間にか前に出来た人だかりが居なくなって、最後の寮生を見送った虎次郎がこちらに向かって手を振っているのが見えた。
一行は栄太に続いて管理人室の前へ進む。
「おかえりなさい。」
そう言って在室カードを渡す虎次郎に栄太はニコ、と天使のように微笑み、「ただいま帰りました」と答えると、虎次郎の差し出したカードを両手で受け取った。
それを見た俊輔がその変わり身の早さに思わず「おお…」と感嘆の声を漏らすと、山縣が耳元で「おまけに天性の詐欺師。」と囁いた。
確かにあの違いは詐欺だな、と俊輔が頷きながら栄太に続き虎次郎からカードを受け取った。
「おや、山縣くん。伊藤くんと仲良くなれたんですか。良かったねぇ。」
俊輔の隣にべったりな山縣を見た虎次郎が皺だらけの顔でニコニコと笑うと、山縣は茹でダコのように顔を赤くして「ちょ!!トラさん!!それは言わない約束だろ!!」と慌てふためいたのを見て、俊輔もダニエルも思わず生暖かい目で山縣を見てしまった。
この男は、同室者だけでは飽き足らず、どうやら虎次郎にまで己の恋の相談をしていたようである。
「お前…ご多忙の御仁の手をわずらわせるなよな…。」
「だってトラさんに相談すると、なんかご利益がありそうじゃないか…。オレ実は、トラさんに願掛けて百日参りしようと思ってたんだ…。」
もじもじとしだした山縣に俊輔が遠い目をする。
「なあ俊輔…こいつの微笑ましさには、どこか心打たれるものがあるだろ。」
「…。」
ダニエルが取り繕うように弁解を口にしたが、俊輔は明後日の方向を見ていた。
正統な微笑ましい純情少年の手は慎ましく、好きな人の手を握るか握らないかのところでそわそわと彷徨うべきであって、間違っても初対面から想い人の尻に添えられるべきではないだろう。
そう俊輔が胡乱な目をしていると、後から低い声が聞こえた。
「邪魔。」
そう聞こえた瞬間、山縣と俊輔の間に割り込むようにして、小五郎が後ろから管理人室を覗きこんできた。遠慮なく2人の間に立った小五郎により、山縣は俊輔から引き離され、俊輔は割り入って来た小五郎に思いっきり頭を押され、管理人室の横の壁に顔をめり込ませた。
「ぬぉおおおおおおお!!!!」
「伊藤っ!!…てめ、何すんだよ!」
思わず声を荒げたのは山縣だ。
小五郎に向ってこんな口のきき方をする男を俊輔は見たことがなかったが、生憎今はそれどころではなく、強打した顔の痛みに悶え転げる他ない。それを見兼ねたダニエルが「よしよし」と俊輔の頭を撫でやった。
「るせぇな…。」
カードを受け取った小五郎は、相変わらず気だるげにしながら、絡んで来た山縣を見もせずポストへと向かう。
そこで待っていた栄太と一言二言交しながらカードをポストに差し込むと、連れ立って大食堂に向かった。
その背中に、山縣が思わず声を荒げる。
「栄太ぁ!!そんな奴とつるんでんじゃねぇぞ!!」
それを一応聞いたらしい栄太が振り返ることもなく片手を上げてヒラヒラとさせたのを見送って、山縣はすぐに俊輔に手を貸した。
「伊藤、立てるか?」
「いや、わりぃわりぃ…。」
そう言って顔面が赤くなった俊輔を立ち上がらせながら山縣が悪態をつく。
「なんだあの野郎。大丈夫か、すげぇ音したけど。」
「いやいやいやいや。大丈夫大丈夫。これぐらいなら慣れてるし。」
そう言うと山縣が怪訝な顔をした。
「慣れてる?」
どこか不思議そうな顔をした山縣に、俊輔はダニエルと顔を見合わせると首を傾げた。
「あの赤い髪、おれんとこの同室者なんだ。」
それを聞いた山縣の顔がみるみると曇った。知らなかったらしい。
和田小五郎と言えば学年で知らない奴は居ないだろうと思っていたが、ここに貴重な奴がいたな、と俊輔は珍しいものを見るような目で山縣をみた。美形に興味がないというのはあながちウソでは無いらしい。
そして件の暴力男と自分の想い人が同室と言うことに、山縣はかなりの衝撃を受けたらしかった。
「じゃ、じゃあ伊藤は、もしかして今みたいなことは毎日…?」
「まぁ顔を合わせばほぼ毎度。」
こっくりと頷いた俊輔に、山縣はふるふると拳を震わせると、堪らず俊輔に抱きついた。
勿論抱きついた拍子に俊輔の尻を撫でるのを忘れない。
「こ…、こんな可愛い奴に乱暴するなんて…!!」
「ちょ、語弊が。」
「伊藤!!オレの部屋に来いよ!!不自由させねぇって約束する!!なあ、良いだろカオル!!」
「異議なし。」
ダニエルがもはや我関せずと言った調子でポストを開けながら郵便物を確認すると、山縣は「よし!!」と力強く頷いた。
まるで拾って来た子犬を飼えるように親に説得をする子供である。
「そ、それで、一緒に飯食ったり、一緒に遊んだり、い、い、一緒に風呂入ったり、お、オレの、オレの布団で一緒に…ハァハァ!!」
「ちょ、生温い吐息が首筋にかかってますけど。」
抱きしめられて、丁度俊輔の片口に顔を埋めた山縣の吐息がダイレクトに首筋にかかって全身にさぶイボが立つ。さらに密着した下半身に心なしか何か固いものが当たっているようで俊輔は思わず白目を剥いてしまった。