禍を転じて福となす



「ちくしょう…ありゃボケてるか完璧にナメてんな…。」

ブツブツと呟きながら俊輔は、適当に野菜類をカゴの中に放り込む。
ほとんどの野菜は煮ればなんとかなる、というは一週間厨房に通った結果だった。
あとは肉か、と俊輔はノロノロと精肉コーナーへと足を進めながら、ふとすれ違った女性を無意識に目で追った。
そしてその艶やかで長い髪からふわ、とシャンプーの香りがして、俊輔は思わず顔を緩ませた。

まさに至福のときであった。


病院帰り、俊輔はそのまま病院に備えつけのスーパーに立ち寄った。

「良かった…、こっちに来てほんとに良かった…。」

シャンプーの弾ける様な香りを鼻一杯に吸い込んで幸せを噛み締めた俊輔は、ふにゃふにゃになった顔を撫でながらすれ違った女性の背中を眺めた。

夕暮れ時で、スーパーの中は混雑している。
殆どが明日からの休日に備えて買出しに来た教員や学校関係者、はたまた病院の患者さんだったが、それに混じって20代後半と思しきお姉さんがちらほらと見受けられ、俊輔は思わずガッツポーズをとった。
寮や高校の校舎からは遠いこのスーパーに学校の生徒が来ることは少ない。
だが此処はこの広い松下の敷地で唯一若い女性に会える、というので学校生活で同性愛に辟易としたノンケが癒しを求めて来る、言わばオアシスのようなものであった。

と、いうのも学校関係者のほとんどは敷地内の寮住まいであるが、病院関係者やその他の施設関係者などは外部から通う人も多い。だが今年から交通の不便さからか病院内に関係者専用の女子寮ができたと聞いたのである。
学校の生徒数に比べればごく僅かな人数ではあったが、それでも松下の敷地に女性が住む、と大騒ぎになったらしい。
男同士の淫行に耽った輩は全く興味を示さなかったが、男子だけでは耐えられないノンケ達は大喜びであった。

寮近くのスーパーに比べれば少なくはあるが、授業が終わった後、わざわざ遠征してくるノンケ仲間がカゴを片手にニコニコしながら買い物をする姿を見ると、俊輔は思わず「同士よ…」と呟くほかない。

「やっぱ良い…。最高、女子最高…。シャンプー最高…」

サスーンクオリティハンパねぇな、と意味不明な言葉を発しながら、緩んだ顔のまま精肉コーナーに向かうと、唐突に「しゅんすけー」と間延びした声で呼ばれ、当の俊輔は間抜けな顔をして後ろを振り向いた。

「おっと。ダニエルじゃんか。」

よぉ、と俊輔が軽く手を振ると、向こうからカゴを持ったダニエルが驚いたような顔をして近付いてきたのが見えた。

「お前、何学校休んでんだよー。」

俊輔の近くまで来たダニエルは俊輔の頭を小さく小突いた。
ダニエルに言われた思い出した俊輔は「そうだったぜ。」と呟き「風邪風邪」とニヤと笑ってみせた。それを見たダニエルは少々怪訝な顔をしてみせたが、すぐ悪戯っぽく顔を緩めてみせた。

「じゃあこんなとこウロついてねーで帰って寝とけよ。」

「病院帰りだよ。おめーこそなんでこっちに居るんだよ。」

「な、なんでって…お前それを聞くのか…。」

ニヤニヤと笑みを堪えきれないようにして笑うダニエルに、彼が自分と一緒の目的と知った俊輔は、同じく緩む口元を隠してツツツとダニエルに寄った。
完璧にエロ目である。

「おぬしも好きよのう。」

「あたりめーだろ!!何が悲しくてホモだらけのむさ苦しい寮のスーパーに行なきゃなんないんだよ。」

「いい女居た?」

「いや、みんな平均値だけどさ…。」

ダニエルはニヤ、と笑ってあたりをキョロキョロと見回すと、緩みまくった顔でコソコソと俊輔に囁いた。

「雑貨コーナーで新しいピンクの歯ブラシを買っていったお姉さんは…ヤバかった…。」

「ピンク!!あーやべーな!!ピンクとか聞くだけでキュンとくる!!」

ピンクの歯ブラシ、という単語に底知れないトキメキを感じた俊輔はうきうきとダニエルとお姉さん妄想に花を咲かせた。

と、盛り上がっていると「カオル!!!」と大きな声が聞こえ、ダニエルが「ん?」と顔を上げた。
すると先ほどダニエルが来た方向に、茶髪の少年が一人、両手にお菓子を持ちながら顔に驚愕の表情を貼り付けて仁王立ちしているのが見て取れた。
その少年に怪訝な顔をした俊輔は目を細めて首を傾げた。

「かおるって誰だよ」

「俺だよ…。」

お前な、と呟いたダニエルの本名は「井上カオル」である。
すっかりダニエルで定着していた俊輔は全くもって彼の本名を忘れていた。

そうこうしているうちに、件の少年は何故か妙に動揺しながらこちらに大股で近付いて来ると、ダニエルの持っていたカゴに大量のお菓子を入れると、ダニエルを睨みつけた。
当のダニエルはそれを見るなりさらに胡乱な目をして、俊輔は先ほどから何やらショックを受けたような顔をしていた。
そんな三者の中で声を上げたのはダニエルよりも上背のある、件の茶髪少年であった。
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