好死を望まんと欲す
「・・・何か用か。」
「九日十日。」
「・・・」
不機嫌そうな顔で口を開いた通武に、俊輔が真顔でそう返すと、瞬間、通武の目が怪しく光り、彼が稽古具から黙って木刀を取り出したのを見て、俊輔は素早く「冗談です、すみません」と地面に頭を擦り付けた。
「ち、話の分からんやつだな。」
「貴様、聞こえているぞ。」
通武が木刀を仕舞うと、ブツブツと俊輔が小言を漏らしながら身体を起こし、通武は胡乱な目で彼を見た。こんな下らないやり取りをするために追ってきたのか、と目で訴えると、それに気がついたらしい俊輔が少しおどけながら通武に首を傾げて見せる。
「何か用か、ってのはおれの台詞なんだけど。」
「・・・」
「あんなところまで来て、何か大事な用事でもあったんじゃねーの?」
大事な用事、という俊輔の言葉を無意識に繰り返した通武は少しの間、ボンヤリと俊輔の顔を眺めた。
改めて近くで見ると俊輔の目の下には黒いクマ。顔色もどことなく悪いように見える。
それを見て、通武はやはりこの男は寝ていないのだと悟り、自然と険しい顔になるのが自分でも分かった。
「・・・なんだよ。」
自分の顔をジロジロと見られて気を悪くしたのか、俊輔の顔が少々歪められ、通武はハッとする。
そんな俊輔に何か言いたくて厨房に入ったことを漸く思い出したのだが、口を開こうとして、先ほど俊輔の言った「大事な用事」という言葉を思い出し、中途半端に口を開けたまま固まってしまう。
「(大事?)」
この男に何か言葉をかけるのは大事なことなのだろうか、と考えが通武の頭の中をぐるりと巡り、瞬間、言い知れない恥ずかしさが湧き上がって、通武は人知れず顔に血が巡るのを感じ、ブンブンと頭を振った。
その通武の行動に「うおっ」とやや驚いた俊輔が一歩引いたのも気が付かず、通武は目を吊り上げて怒鳴った。
「大事などではない!!!断じて!!」
「ぬおっ」
いきなり怒鳴り出した通武にさらに驚いた俊輔はもう一歩後ずさった。
予測の付かない通武に俊輔は完全にビビッってしまった。
と、いうのも俊輔はまさか、この男が自分に労いの言葉を掛けに来たなどとは全く考えが及ばず、また何かいちゃもんの一つでも付けに来たか、洗濯物に不備が有り、そのお小言を言いに来たか、このどちらかだと思っていたのだ。
勿論彼のいちゃもんをわざわざ追っかけて聞くような酔狂な真似はしない。
だが俊輔は、自分と通武とは相性が良くない上に彼から決して好かれていない、というのは重々承知していた。
その男がわざわざ厨房まで足を伸ばしてくるのだから余程の用事と思ったのである。
しかし通武の口から出たのは「大事などではない」発言。
何をそんなに怒っているのか知らないが、とにかく大事ではないらしいので、俊輔は目を吊り上げてこちらを睨んでいる通武に向かって小さく溜息を吐いた。
「…わーったよ。別に用事が無いならそれにこしたことはないわな。」
やれやれ、と俊輔は三角巾で包んだ頭を掻いてくるりと踵を返した。
それを黙って見ていた通武は顔を顰めてはいたが、少々気まずげに俯くと自分も朝連のため部屋の郵便受けから自分のカードを抜き、管理人室に提出をしようとした。
よく分からないが、何故か少し落ち込んだ気分になった通武は管理人の虎次郎の挨拶にも小さく挨拶を返すと、塞ぎこんだまま玄関を出ようとしたのである。
と、その時。
今しがた同室者が去った大食堂の方からパタパタと足音が聞こえ、無意識にそちらを見ると、大食堂への曲がり角から俊輔がひょっこりと顔を出したのが見えた。
それに少し驚いて通武が俊輔を見据えると、俊輔は通武の顔を見て、「久坂くん」と口を開いた。
「いってらっしゃい。」
そう言って俊輔はニッと笑った。
途端、大食堂の方から「俊輔!!」と鋭い怒声が聞こえ、そちらを向いて「うひゃー」と言いながら笑った俊輔は戸惑いも無く玄関を背にすると今度こそ戻って来なかった。
それをポカンとして眺めた通武はしばらく大食堂の方を眺めていたが、また小さく俯いて稽古道具を肩に担ぎなおすと黙って玄関を出た。
「・・・」
その一連のやり取りを管理人室から黙って見ていた虎次郎は、誰もいなくなった玄関を眺めてから静かに通武のカードを外出者用の棚に入れる。
そしてそれをジッと眺めると、皺だらけの顔をにっこりと綻ばせた。
「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり。」
そう小さく呟いて、虎次郎の脳裏に思い浮かんだのは、今から1週間前の通武の姿。
入学した当初、通武が俊輔を無視して大食堂にいってしまったことを思い出す。
あの時は全く俊輔に関心が無かったように見えた通武だったが、今日は少し変化があったようだ。
俊輔の言葉を聞いて、通武が玄関を出る直前、彼の顔が少しだけ柔らかくなったのを、虎次郎は確かに見たのだった。
「九日十日。」
「・・・」
不機嫌そうな顔で口を開いた通武に、俊輔が真顔でそう返すと、瞬間、通武の目が怪しく光り、彼が稽古具から黙って木刀を取り出したのを見て、俊輔は素早く「冗談です、すみません」と地面に頭を擦り付けた。
「ち、話の分からんやつだな。」
「貴様、聞こえているぞ。」
通武が木刀を仕舞うと、ブツブツと俊輔が小言を漏らしながら身体を起こし、通武は胡乱な目で彼を見た。こんな下らないやり取りをするために追ってきたのか、と目で訴えると、それに気がついたらしい俊輔が少しおどけながら通武に首を傾げて見せる。
「何か用か、ってのはおれの台詞なんだけど。」
「・・・」
「あんなところまで来て、何か大事な用事でもあったんじゃねーの?」
大事な用事、という俊輔の言葉を無意識に繰り返した通武は少しの間、ボンヤリと俊輔の顔を眺めた。
改めて近くで見ると俊輔の目の下には黒いクマ。顔色もどことなく悪いように見える。
それを見て、通武はやはりこの男は寝ていないのだと悟り、自然と険しい顔になるのが自分でも分かった。
「・・・なんだよ。」
自分の顔をジロジロと見られて気を悪くしたのか、俊輔の顔が少々歪められ、通武はハッとする。
そんな俊輔に何か言いたくて厨房に入ったことを漸く思い出したのだが、口を開こうとして、先ほど俊輔の言った「大事な用事」という言葉を思い出し、中途半端に口を開けたまま固まってしまう。
「(大事?)」
この男に何か言葉をかけるのは大事なことなのだろうか、と考えが通武の頭の中をぐるりと巡り、瞬間、言い知れない恥ずかしさが湧き上がって、通武は人知れず顔に血が巡るのを感じ、ブンブンと頭を振った。
その通武の行動に「うおっ」とやや驚いた俊輔が一歩引いたのも気が付かず、通武は目を吊り上げて怒鳴った。
「大事などではない!!!断じて!!」
「ぬおっ」
いきなり怒鳴り出した通武にさらに驚いた俊輔はもう一歩後ずさった。
予測の付かない通武に俊輔は完全にビビッってしまった。
と、いうのも俊輔はまさか、この男が自分に労いの言葉を掛けに来たなどとは全く考えが及ばず、また何かいちゃもんの一つでも付けに来たか、洗濯物に不備が有り、そのお小言を言いに来たか、このどちらかだと思っていたのだ。
勿論彼のいちゃもんをわざわざ追っかけて聞くような酔狂な真似はしない。
だが俊輔は、自分と通武とは相性が良くない上に彼から決して好かれていない、というのは重々承知していた。
その男がわざわざ厨房まで足を伸ばしてくるのだから余程の用事と思ったのである。
しかし通武の口から出たのは「大事などではない」発言。
何をそんなに怒っているのか知らないが、とにかく大事ではないらしいので、俊輔は目を吊り上げてこちらを睨んでいる通武に向かって小さく溜息を吐いた。
「…わーったよ。別に用事が無いならそれにこしたことはないわな。」
やれやれ、と俊輔は三角巾で包んだ頭を掻いてくるりと踵を返した。
それを黙って見ていた通武は顔を顰めてはいたが、少々気まずげに俯くと自分も朝連のため部屋の郵便受けから自分のカードを抜き、管理人室に提出をしようとした。
よく分からないが、何故か少し落ち込んだ気分になった通武は管理人の虎次郎の挨拶にも小さく挨拶を返すと、塞ぎこんだまま玄関を出ようとしたのである。
と、その時。
今しがた同室者が去った大食堂の方からパタパタと足音が聞こえ、無意識にそちらを見ると、大食堂への曲がり角から俊輔がひょっこりと顔を出したのが見えた。
それに少し驚いて通武が俊輔を見据えると、俊輔は通武の顔を見て、「久坂くん」と口を開いた。
「いってらっしゃい。」
そう言って俊輔はニッと笑った。
途端、大食堂の方から「俊輔!!」と鋭い怒声が聞こえ、そちらを向いて「うひゃー」と言いながら笑った俊輔は戸惑いも無く玄関を背にすると今度こそ戻って来なかった。
それをポカンとして眺めた通武はしばらく大食堂の方を眺めていたが、また小さく俯いて稽古道具を肩に担ぎなおすと黙って玄関を出た。
「・・・」
その一連のやり取りを管理人室から黙って見ていた虎次郎は、誰もいなくなった玄関を眺めてから静かに通武のカードを外出者用の棚に入れる。
そしてそれをジッと眺めると、皺だらけの顔をにっこりと綻ばせた。
「至誠にして動かざるものは未だこれ有らざるなり。」
そう小さく呟いて、虎次郎の脳裏に思い浮かんだのは、今から1週間前の通武の姿。
入学した当初、通武が俊輔を無視して大食堂にいってしまったことを思い出す。
あの時は全く俊輔に関心が無かったように見えた通武だったが、今日は少し変化があったようだ。
俊輔の言葉を聞いて、通武が玄関を出る直前、彼の顔が少しだけ柔らかくなったのを、虎次郎は確かに見たのだった。