余命半年
「おっと。」
俊輔がまだ見慣れない寮の門をくぐり、備え付けの時計に目をやると、21時50分。
それに気がついた俊輔は「やべえ」と呟いて小走りになると、慌てて玄関に入り、管理人の居る窓口へ駆け込んだ。
寮の門限は22時。
「1077の伊藤です!!帰りましたっ!!」
そう俊輔が早口に言うと、窓口に座った老人が人の良さそうな顔をくしゃ、と顔を綻ばせた。
「おかえりなさい。」
「時間だいじょうぶですよね⁉ギリギリセーフですよね⁉」
「ギリギリセーフです。」
言いながら、老人は窓口のすぐ横の壁に取り付けられている「外出」と書かれた棚から「1077 伊藤俊輔」と書かれたカードを俊輔に手渡した。
「なかなか見事な滑り込みでしたね。」
老人の言葉に、カードを手にした俊輔はへらへらと笑いながら、管理人室の横一面に取り付けられているおびただしい数のポストの中から、自分の部屋のポストを探し出すと、四つあるくぼみの一つに、自分の名前の書かれたカードを差し込んだ。
これが在室の証。
今時珍しいアナログな方法だ。
また、学科別に色分けがされているため、他の者が確認するのにも探しやすい。
この寮は昔ながらの古びた趣のある木造の建物で、オートロック等のハイテク機能はなく、寮の管理は全て管理人が統括している。そんな体制を「時代遅れ」とぼやく者もいるが、俊輔はこのアナログさが気に入っていた。
「どこぞをフラフラとして来られましたか。」
ポストを開けて郵便物を確認していると、管理人に声を掛けられた。
俊輔はポストの中に入っていた手紙を取り出し、苦笑しながら「いやあ」と零す。
「いえね、ちょっと健康診断にひっかかって、病院に呼ばれまして…。」
「おや。」
「そこでなんと…。」
そこまで言いかけた俊輔は、瞬間はっと気がつき、笑顔のまま、次に続くはずだった言葉をごっくんと飲み込んだ。
「…糖尿の気があるらしく…。」
「おや、お若いのに…。」
お大事に、と言う管理人の言葉に俊輔は笑顔のまま、アブねー!!!うっかり余命宣告カミングアウトするところだったよ!!と冷汗をかいた。
別に隠す必要も無いのだが、明るく「おれ、あと半年の命なんです~」と言えるわけもなく、俊輔は目を細めた。
この笑顔がいけない、と俊輔は管理人の眩しい笑顔をどこか遠い目でみつめる。
この寮の管理人、
眼鏡に口髭と一見どこかの教授のように見えるのだが、教師のように口やかましいという事は無く、いつも穏やかだ。
寮内の整備、庭の手入れ、事務をこなす優秀な人材なうえ、人格者な彼は多くの生徒から慕われ、そのにこやかな笑みからは、どこか人間離れした神秘さと、凄まじい和みパワーが有ることから寮の生き仏として崇められている。
実際俊輔も帰った早々この老人の笑顔に迎えられると、輝く後光に思わず手を合わせたくなる衝動に駆られるは言うまでもなかった。
「帰るまでに迷いましたでしょう。」
虎次郎の言葉に俊輔は素直に頷いた。
あれからなんとなく寮に帰りたくなくて、学園内の探索に踏み切った俊輔であったが、その好奇心が仇となった。
至る所に設置された学園案内図を無視したせいか、全く見覚えの無い場所で迷ってしまったのである。
それからまぁどうにかなるか、と前向きにアテも無く歩いていた所、運よく帰って来られたのだ。
「無駄に広いんすもんね、この学校。パンフに敷地内東京ドーム50個分とか書いてあったけどドーム単位とか地方出身者には優しくない表記じゃないですか。」
そう、東京ドームにすら行ったことのない俊輔には、その尺度が全く理解できなかった。
「ちなみに東京ドーム約三分の一個分のこの寮内でも既に迷子になってるんですよ、おれは。」
げんなりと俊輔が言うと、虎次郎の快活な笑い声が響いた。
「なるほど。まぁ慣れるまでは体を鍛えるつもりで観念して歩き回るのがいいでしょうね。」
にこやかに笑う虎次郎に「きついっすわ~。」と俊輔が疲れた様に答えるのと同時、外からガヤガヤと声が聞こえて、俊輔と虎次郎は玄関の方に目をやった。
すると暗がりの中から荷物を持った集団の男達がゾロゾロと玄関に入ってくるのが見えて、俊輔は目を瞬かせると、虎次郎が眼鏡を押し上げながら呟いた。
「おっと、剣道部のお帰りですね。」
剣道部、と聞いた俊輔は一瞬ポカンとしたが、その集団の中に見覚えのある顔を見つけ、途端にげんなりとした顔をしてしまう。
剣道部の面々の中でもその丹精な顔立ちは目立つ。やや短めの茶色い髪に眼鏡というアイテムを付け、涼しげな印象の少年は、俊輔の同室者。
まぎれもなく「あの連中」の一人、剣道馬鹿の鬼眼鏡、一年体育科の
同室者を無視するのは気が引けて、俊輔は仕方なく剣道部の面々が大食堂に入っていく際、自分の横を通り過ぎようとした通武に向かって「よ、お疲れさん」と引きつった笑みで声をかけた。
しかし通武は俊輔の顔を一瞥すると、すぐ目線を戻し、彼の労いに何も答えず、そのまま剣道部の仲間と大食堂へと入っていってしまった。
「…」
通武の完全なシカトに、俊輔は言葉も無い。
はぁ、と溜息をついた俊輔は、気まずげに虎次郎に「そんじゃあ」と声をかけると、自分も剣道部に続いて大食堂へと入っていった。
その背中を見送った管理人は、優しく笑って俊輔に手を振った。