好死を望まんと欲す



「えーと、それで…二人は?」

通武が帰ってしまい、少々気落ちした俊輔だったが、意外にも小五郎と東風は俊輔の持ってきた手紙に嫌悪した様子は無い。
それどころか、小五郎は自分宛の手紙の封を切って、妖艶な笑みを浮かべながら目を通している。
これは脈有りか?と俊輔に再び希望の光が灯り始めたその時、小五郎が手紙からチラ、と視線を上げ、床に座った俊輔をその鋭い双眸に捕らえた。

「…それで?」

「はい?」

小五郎の言葉に、俊輔が首を傾げると、小五郎は相変わらず15歳にしては犯罪的なフェロモンを醸し出した笑みを保ったまま片手を上げて、俊輔においで、おいで、と手招きした。
小五郎の行動を不思議に思いながら、俊輔が四つん這いのまま小五郎の座るソファに近づくと、その瞬間。

「はぶっっ!!!!!」

小五郎の長い足がひょい、と上がり、四つん這いをしていた俊輔の脳天目掛けて真上から落ちてきた。

その衝撃でゴン、となんとも痛そうな音を立てて顔を地面にのめり込ませた俊輔は、途端に脳天と顔に走った激痛に「いでぇええええ」と喚きながら床をゴロゴロとのたうち回り、その奇怪な動きに、ちょうどピンクの封筒を開けていた東風がビクッと肩を揺らす。
そんな俊輔に構わず、小五郎は読んでいた手紙をソファの横にぽい、と投げると新しいタバコを口に銜え、フーッと白煙を天井に吐いた。

「お前よ、俺に何か聞く前に言う事があんだろーが。」

ん?とソファから身を起こして前屈みになった小五郎が、顔を抑えて床をゴロゴロとのたうち回っていた俊輔の頭をガシっと掴むと、自分と目線を合わせるため、無理矢理その上体を起こさせる。
そして俊輔の顔が上向きになったのを確認すると、今度は反対側の手で、その顎を頬ごとがっちりと掴んで、小五郎はさらに顔を近づけて来た。
タバコの火が顔のすぐ近くで赤々と燃えているのを目の当たりにした俊輔は声にならない悲鳴をあげ、真っ赤になったオデコに手を当てたまま、目に涙を浮かべ、ゴク、と息を呑む。
タバコの煙がダイレクトに目に入って無茶苦茶にしみたが、それよりも何よりも、間近に迫った凶悪な双眸となるべく目を合わせないようにしながら、俊輔はハッと気が付いたのである。
今回の騒動を、まだこのお方に謝罪していなかった事をようやく思い出したのであった。

「く、久坂くんと再び大騒ぎしてご迷惑をおかけして、しゅ、しゅみませんでした…。」

「イイ子だ」

俊輔の謝罪に、ニヤ、と笑って顎と頭から手を離した小五郎からすかさず離れた俊輔は「チョーこえー、チョーこえー」と呟いて、自分の身体に風穴が開いていないことを確認すると、胸を撫でおろして安堵の息を吐く。
結局自分だけが謝る結果となって不服ではあったものの、まだ半年ある命が惜しい。
偉いぞー、よしよし、よく頑張ったなおれ~、と俊輔が自分を慰めていると、また踏ん反り返る様にソファに座った小五郎が、自分宛の封筒の中から何枚適当に抜き取り、俊輔の方に投げて寄越した。

「おっと。」

それをキャッチした俊輔が投げられた5、6枚の封筒と小五郎を交互に見ると、小五郎は残った手紙をソファ横のゴミ箱に捨て、焼け落ちそうになったタバコの灰を、テーブルの上の小皿に落としながら首を回した。

「そいつらに明日、授業が終わったらこの部屋に来いって伝えとけ。」

「あ、はい。」

「そこで耐久性をテストする。」

「はい?」

「最後までイクのを我慢できた奴とはたまに遊んでやる、って言っとけ。」

「あの」

「以上。」

俊輔の呼びかけも空しく、小五郎はあくびをしながら頭をボリボリと掻くと、立ち上がり、早々と自分の部屋へと戻っていってしまった。
パタン、と閉められたドアを唖然としたまま見詰めた俊輔は、小五郎の言葉を脳内でリピートしながら、「それはセフレって言うんじゃないんですかね。」と一人呟いた。

「恋人じゃねーじゃん…」

がっくり、と頭を下げた俊輔が、あーあ、と呟くと大きな溜息をついた。
折角いい案だと思ったのにな、と落ち込んで目に入ったのは散らかった洗濯物。

こちらもせっかく洗ったのに散々だ。
また洗いなおさなければならない。

静かになったリビングで、俊輔は一気に脱力してしまった。
しかし、こうしても居られない。
また洗濯をしなければならいし、明日もまた早いのだ。

一つでも仕事を終わらせなければ、と俊輔はリビング中へ散らかった洗濯物を集めようと、のっそりと立ち上がった。

そして床に落ちていたタオルと一枚広い、洗濯籠に放ると、何か視界に黒いものが入り、俊輔はそちらに目線を移す。
そこには、

「あ。」

ちょこんとリビングの端に正座をして、こちらを眺めている東風が居た。

「あー!!いや、ごめん!!高杉君のこと忘れていたわけじゃないから!!うん!!決して!!」

余りの存在感の無さに俊輔は驚きを隠せないままバクバクと鳴る心臓を押さえつけ、賢明に弁解をするが、当の東風は全く気にした様子を見せず、俊輔を見詰めたまま、静かに手を挙げた。

「あの…。」

ぼそ、と呟いた東風に、俊輔は「はい、どうぞ!!なんでしょうか!!」とひどく低姿勢で対応に当たる。先の通武や小五郎の例から、この男からも何かとんでもない仕打ちを受けるのではないか、と危惧してのことだったが、東風は俊輔の思惑とは裏腹に、いつも通り聞き難い声で、ぼそぼそと呟いた。

「そこの…」

「はい!?そこの!!??」

聞き取り難いために東風の近くまで行って耳を傾けると、東風は、先ほど通武が置いていった手紙の山を指さしてボソボソと呟いた。

「手紙…貰って行っても、良いですか…。」

東風の言葉に、俊輔は、きょとん、とした顔をした後「た、高杉くん…」と目に涙を貯めた。通武も小五郎も駄目だったが、彼が残っていたのだ。

「どうぞどうぞ!!」

途端に俊輔は暗雲から光が差し込んだような心持になって、近くにあった通武への手紙を両手に抱えると、満面の笑みで東風に差し出した。
すると、いつも無表情の東風の顔がほんの少しだけ和らいで、ぱぁああと雰囲気が明るくなり、東風の後ろに花が咲いた様に見えた俊輔は確かな手ごたえを感じた。

だが

「これだけあったら…」

「うん?」

「らくがきが…たくさんできる…。」

「…」

笑顔のまま、再び冷たい風が俊輔の周りに吹き、そんな俊輔を置いて、東風はご機嫌な様子で両手一杯に色とりどりの手紙を抱えると幸せそうに自分の部屋に戻っていった。
残された俊輔は、閉められた東風のドアを眺めて、固まった笑顔のまま、どこか遠い目をして、うん、と一つ頷いた。

「失敗だ…。」

散らばった洗濯物と、やるせない思いに、俊輔は死んだ魚のような目をして、固まった笑みを携えたままリビングに立ちすくんだのであった。
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