覚悟(前編)
家に帰った康高は足早に部屋に戻ると、そのままパソコンのスイッチを入れた。
間の抜けた顔をした隆平を一人残して帰って来てしまったのは、やはりいた堪れなくなったからだった。
それからベッドの上に鞄を置いて自分も座り込むとはぁ、と深いため息を付く。
きょとんとした顔を思い出して、康高は今言うべき事ではなかったか、と大きな掌で口元も覆いながら、人知れず眉を顰めた。
だが、遅かれ早かれ隆平はその事実を知らなければならない。
それならば早い段階から自覚をしていた方が彼のためになる。
何も知らせずに守り通してやれるのならばそうしてやりたいが、こればかりは隆平自身が決めて、自分の意思で行っている事だ。
それなら、それには一つ一つ責任が伴う。
それは隆平も重々理解しているはずだ。
「罰ゲームの被害者が他にもいる、か。」
それはもちろん名前も知らない誰かの事であるが、なぜか他人事に思えない。
先ほど梶原の情報を渡す代償として隆平の情報を和仁からの聞いた康高は、その内容に思わず顔を顰めてしまった。
もし和仁の情報がデマだとしても「そういった事態」はいずれ必ず隆平に訪れるはずだ。
遅かれ早かれ、必ず。
その事実に康高は表情を曇らせるてしまう。
隆平の願う事ならば何でも叶えてやりたい。
復讐がしたいというのなら、何も言わず背中を押してやる覚悟は康高にもある。
だが隆平が知らずに傷付けた人物の報復に関しては、何とも難しい。
隆平にいくらその気がなくても起こり得る厄介事はこれからも多々あることだろう。
このゲームは隆平と九条の二人だけのものではなくなってきている。
周りを少しずつ巻き込んで、良いか悪いかは分からないが、確実に変化してきている。
良い例が三浦や和田だ。
彼らだって隆平側に付く際に、それなりの覚悟はしたはずだ。
三日経っても依然揺るがない三浦の態度は、とても隆平を騙すためのものとは言い難いものだった。
よくは分からないが、この罰ゲームに対する隆平の何かが、三浦の心を動かしたのは間違いない。
当初とは形を変えた罰ゲームが周りを巻き込んでどんどん肥大化して行っている。
「(まるで生き物だ。)」
少し背筋が冷たくなった康高は自嘲の笑みを浮かべた。
既に自分のこの罰ゲームに関わってしまっている。
だが、それは自分で望んだ事だ。
誰かを傷付ける事も、傷付けられる事も覚悟しなくてはならない。
理不尽なものから大事な幼馴染を守りたい。
その自分勝手なエゴで、誰から責められても、どんな結果になっても、最後まで隆平の味方でありたい。
そう心の中で繰り返し、康高は暗くなる部屋にぼんやりと付いたパソコンの画面を、ただジッと眺めていた。
「たーいが。」
「…。」
聞こえた声に、安眠を貪っていた九条は未だ覚醒仕切れていない頭でうっすらと目蓋を開けた。
「オハヨー。」
ぼんやりと視界に入った顔を確認して、九条は「んだよ…」と呟くと寝返りを打った。
すると途端に毛布を剥ぎ取られて床に転がされる。
その衝撃でしたたかに顔面を床にぶつけた九条は勢いよく立ち上がると「あにすんだてめぇ!!」と怒り心頭で掴み掛かったが、その人物はひょい、と簡単に九条の腕をかわすと逆に九条の背中に回り、そのまま圧し掛かっていとも簡単に彼を床へ押し倒してしまった。
「甘い!甘すぎるぞ大雅!」
そう言って九条を尻に敷きながらわはは、と笑う青年に九条は額に青筋を浮かばせた。
ここは九条が只今世話になっている店内の従業員用の休憩室である。
狭いが中央を陣取るようにして置かれた大きいソファのお陰で寝泊りするには然程困らない。
大体、校外にある虎組のたまり場に行けば、ここよりもマシな寝床は沢山あった。女を呼び込める上に寝床も確保できたのだが、とにかく誰にも干渉されたくなかった。
結果、こんな薄暗いモグラの住処のような所に身を置いたのだが、それは正解だったようだ。
ここに泊まって三日。
九条の知り合いが尋ねてきた気配は一度もない。
ただ一つ我慢しなくてはいけなかったのが、この男の存在である。
青年は九条の背中に乗っかったまま、先ほど持ってきたらしい夕刊を広げ始めた。
「そんな甘い坊やで、この先日本の未来を担えるのだろうか。」
「担わねぇからどけよ。」
「嘆かわしい…。本当にこの程度の実力で世間様に通用しているのか甚だ疑問だ。とても君のお姉さんの耳に入れられない。」
はぁ。とため息を付いた青年は金に近い茶色の髪の毛をふわふわと遊ばせながら、その端整な顔を僅かに顰めた。
どこかライオンを彷彿とさせる髪の男を、九条は背中に圧し掛かれたまま、首を捻ってねめ付けてやったが、男は気が付かず、夕刊を熟読しながらぶつぶつと何やら呟いている。
この男は、九条の姉の恋人と自称している少々哀れな男であった。
姉と釣り合う位の美形であるし、頭も悪くはないのだが、少々妄想壁がある。決して悪い奴ではないのだが、姉に対する話題になると若干かわいそうな発言が目立つ残念な男だった。
そして九条の姉もまた、この男が自分に寄せる好意を悪くは思っていないらしいのだが、恋人というよりもペットとして見ている感が否めない。
九条が小学生だった頃から、当時高校生だった姉に付きまとっていたのでもうかれこれ七、八年の付き合いになる。
この店はそんな彼が趣味でやっている店だが、これが意外に儲かるらしい。
他に本業があるにも関わらず、男は暇さえあればこの店を訪れていた。
虎組の連中でここを知っているものは和仁以外はいないだろうが、この男が和仁を酷く毛嫌いしているため、店内に立ち入らせないのは知っていた。
だから迷わずこの店の戸を叩いたのである。
男は豪快に笑って九条を受け入れた。
その独特の雰囲気と、少し古風な口の利き方が特徴的だ。
男の名前は大庭真悟(おおばしんご)。
九条の兄の様な存在だった。