覚悟(前編)

「どうした?腹痛い?顔色わりーぞ。」

殴られた頬が少し腫れている三浦が心配そうな顔をしたのを見て、隆平はハッとなって、青ざめたままの顔でブンブンと勢いよく首を振った。

「あ、もしかして、和田さんが怖い?」

無邪気に首を傾げた三浦に図星を指された隆平は可哀相なくらい過剰に反応して肩を跳ねさせると、このやろおおおお!!!!と三浦に恨みがましい視線を投げかけた。それからゆっくりと和田の方を伺う。
そんな隆平を見て、おにぎりを齧りながら目を細めた和田に、隆平はひぃいいいい!!!と心中で絶叫すると脂汗を流しながら、それこそ首が千切れんばかりに横に振る。
涙目で「ちがいばす!!!決して怖いわけじゃ無なくてですね!!!なんというか余りにも有名でらっしゃるからその、緊張してるだけで、決して怖いというわけではぁああ!!!」と怯えながら弁解を口にする隆平に、当の和田は特に怒った様子もなく、どこか納得したような顔をして頷いた。

「あぁ、俺か。」

わりぃわりぃ、と笑顔でガシガシと頭を撫でてくる和田にされるがままに、隆平は強張った顔で引き攣った笑みを浮かべた。

緊張しきった隆平を眺めながら無理ねぇわ、と和田は苦笑する。
自分が校内でどんな風に噂されているかは知っていたし、それが決していい噂ではないことも理解していた。
自分で言うのも何だが、悪名高い不良と仲良くランチなんて、そりゃ動揺するよなぁ、と和田は頭を掻く。

「あ~、あのな、千葉。」

「ぎゃお!!」

ビビりまくって妙な叫び声を出した隆平に、和田はため息をついた。
同時にそんな隆平を指差して笑い転げている三浦の頭を「うるせえ」と、言いながらはたくと、隆平が更にビビって身体を縮こませたのが分かり、和田はしまった、と顔を顰めた。
だが、これ以上隆平にビビられても仕方ないので、なるたけ優しい声を出してみようと努めるが、同時に三浦の顔が酷く歪んだのが目に入った。

「あんな、俺は別におめぇに危害を加えるつもりはねぇからよ。」

だからそうビビんなってと、笑ってやるが、隆平はまだどこか警戒するように「はぁ」と、曖昧な返事を寄越した上、胡乱な顔をされ、和田は何だか泣きたくなってしまった。
別に信用して貰いたいわけではないのだが、こう警戒されるのもなんだかな、と和田は深いため息をつく。
ふ、と三浦を見ると、こちらも少し複雑そうな顔をしていた。

「(こいつもまだ、千葉の信用を得たわけじゃねえようだな。)」

そう思うと心が少し軽くなって、和田はどこか安堵した。

「ま、裏切り者同士がんばろうや。」

和田が生温い視線を送りながら、三浦に耳打ちすると、彼は「ハイっす‼」とクソデカボイスで応答し、「でけえんだよな、声が。」と和田はぼやいた。

次いで和田が隆平を見ると隆平は弁当箱から手を離して、何か言いたげに口をもごもごさせている。
なんだろうと思うが、怖がられてもあれなので、和田は三浦の方をちら、と見ると、顎を使って隆平の方を指す。
それを見た三浦は僅かに頷くと、できるだけ優しく隆平に話かけた。

「千葉隆平、和田さんが、うんこなら早く行けって…」

「言ってねぇだろぉおおお!!」

スパーン、といい音を出して和田が突発的に三浦をスリッパで殴ると、彼は頭を抱えて悶え転げた。
それを見た隆平は「どこからスリッパが…!!」と呟いたが当の二人には聞こえていない。

「痛いっす!!何すか!!」

「頷いたから分かったかと思えばおめぇはよぉおお!!!」

「だってもじもじしてたら催してると思うじゃないっすか。」

「飯食ってる最中に下の話は止めなさいって何遍なんべん言ったら分かんだ、あぁ!!??」

「も~それなら何すか。和田さん絶対カルシウム足りてないっすよねー」

「余計な心配すんじゃねぇえ!!俺はな、千葉が何か言いたそうな顔してっから、俺が言って怖がらせるよりもおめぇが聞けって言いたかったんだ、それをおめぇが…」

そう言ってから、和田はハッとした。
つい勢いで言ってしまって、ソロソロと隆平の方に目を向けると、隆平が驚くように眼を見開いたまま和田を凝視しているのに気が付いて、ついばつが悪くなって、誤魔化す様にごほん、と咳を一つ零すとその場に座り直し、「まぁ…そのそういうわけだ」と頭をボリボリと掻いた。

「あー、つまりだな。その俺らはおめぇをどうこうしてぇワケじゃねぇんだ。だから、信用できないとか、こういう所が怖いとか、聞きたい事とかあったら、そういうのはできるだけ言ってくれ。」

隆平は俯き加減に顔を下に向けると、それから少し考えるようにして、何度か瞬きを繰り返していたが、そのままこくりと頷いた。

「はい…」

その答えに和田が笑う。
隆平は心が揺れそうになるのを必死で堪えた。
騙されるな、罰ゲームの一環かもしれない。
どんなに優しくされても裏があるかも知れない。

騙されるな、騙されるな…。

そう自分に言い聞かせながらも、隆平はちら、と和田を見た。
さきほどスリッパで叩いた三浦がぎゃーぎゃーと騒ぎ立てるのを和田は片手で押さえながらおにぎりを頬張っている。

「(おれと康高みたいだ。)」

思わず隆平が僅かに笑うと、三浦が隆平の顔を見て目を丸くした。
それから嬉しそうに満面の笑みを零すと、隆平の首に腕をかけてじゃれ付いてきたので、隆平は弁当を引っくり返してしまい、三浦は再び和田のスリッパの餌食となったのである。



「そういえば、今日九条先輩は居ないんすね。」

二度目に叩かれた頭を摩り、三浦が購買の焼きそばパンを齧っているのを見ながら和田が「あー…」と呟いてあらぬ方向を見た後、隆平へ視線を向けた。
その微妙な視線に隆平が三浦から貰ったパンを齧りながら不思議そうな顔をするを見て、和田は「んん…」と頬を掻きながらなんとも言い難そうに呟いた。

「…九条は現在、自分探しの旅に出ている、らしい…」

「逃げた」とか「逃走した」とは言わず、なるべくオブラートに包もうとしたが、それが失敗だと気がついた時にはもう遅かった。
隆平と三浦の間抜けな顔を見て、和田も思わずこの場所にいない九条に「わりぃ」と謝罪をしていた。




それから三日が過ぎても、九条が学校に現れる事はなかった。
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