覚悟(前編)


一年三組は通常よりも三十分遅れで授業が開始された。
教室から去ると思われた三浦は、午前中の授業全てに出席した。おそらくは高校に留学した半年間ではじめて。
おまけに席が離れているのに「千葉隆平!!消しゴム貸して!!」とちょっかいを出してくるため周囲からの視線が痛く、隆平はまるで動物園のパンダになったような心境だった。

そして昼休み。

「よっしゃ!屋上行こうぜ!千葉隆平!」

「うわあ、当然のように誘ってくださる…。」

そりゃそうよね、と泣く隆平を目の前に、康高の機嫌は地の底まで落ちていた。

「あいつ、いつまでお前に付きまとうつもりなんだ…。」

「全然わかんねえ…。でもやんわりと断って聞くようなタイプじゃなさそうだ…。まぁ警戒はしておくけど…。」

「当たり前だ。万が一何かあったらすぐに言え。」

康高の言葉に、なんだかんだ言って友達思いだよなぁ、と隆平が感動したのは束の間。

「どうもお前の警戒とやらは信用が置けんからな…。いいか、いくら三浦がお前と同じちっちゃいもの倶楽部の属性だとしても油断はするなよ。」

「ちっちゃいもの倶楽部ってなんだよ!」

「ちっちゃいものほど割と獰猛なもんだからな。お前も含めて。」

「ちっちゃいものって言うなぁああ!!」

「おおい、行くっすよ!!ちっちゃいもの!!」

「三浦君も同じくらいじゃねぇかぁあ!!」

もうすでに気を使うまでもなく康高と同じテンションで突っ込んでしまったのは、そうしても三浦が「当たり前」という顔をしていたからだ。
ただ嬉しそうに笑う三浦の顔を見て、隆平は益々気を許しそうになって、一人苦笑する。

「(康高がおれを信用できないの、分かるなぁ。)」

そうして三浦と他愛もない会話をしながら屋上へと続く階段へと向かう。
その際、三浦が隆平の腕を掴んで「早く行こうぜ」と促したのを見て隆平はハッと気が付いた。
階段を登りながら、隆平はその腕をやんわりと外す。
する、と抜けるようにして彼の手から離れた隆平に気が付いた三浦は、「ん?」と呟くと振り向いて「どったの?」と少し高い位置から隆平を覗き込むようにして問い掛けてきた。
そんな三浦に隆平は「いや、」と口籠る。

「ほら、もうすぐ屋上だから。おれと三浦君が一緒にいると変に思われないかなぁ、と思って。」

それを聞いた三浦は首を傾げると「何が?」と訊ねてくる。

「いや、だって虎組の人はおれのこと良く思ってないから、…三浦君もおれなんかに優しくしてると、その…都合が悪いんじゃないかなって。」

そう言うと三浦はきょとんとした顔をしてから、次いで弾かれたように大きな声で笑い出した。
それに驚き、隆平が顔を上げると優しく笑った三浦と目が合う。

「おまえ、やっぱいい奴だよな~。」

ひひ、と笑う三浦を見て、またしても言われた「いい奴」という言葉に隆平は怪訝な顔をする。
こうして三浦が隆平に優しくする理由が、自分が「いい奴」だからということに対して、隆平はやはりどこか腑に落ちない感覚がある。
だがそんな隆平に構わず、三浦は笑いながら階段を先に登ると、もう目の前にある屋上の扉に手をかけた。

「信用してくんなくても別にいいから。」

その一言に隆平はどきり、とした。
咄嗟に三浦の表情を見ると、少し苦笑い気味に隆平を見下ろしていた。
三浦はきちんと自分が隆平や康高にどう思われているか知っているようだ。

「急に態度変えて疑うのはしょーがねーよ。困らせちゃってごめん。でもオレはただ勝手にやりたいようにしてるだけだし、それで誰かに変な目されても、それはオレのせいだから。」

そう言って隆平の方を、その大きな瞳で見詰めた。

「お前側につくことで、仲間から変な目で見られるくらいどーってことねえよ。そんぐらいの覚悟ならしてっし。」

それにさ、と三浦は悪戯っぽく笑った。

「お前、すげえ一生懸命なのに、そういうの影で笑えねえよ。だったらお前と一緒に笑われた方が良いっつーのかな。あー…なんかうまく言えねぇんだけど…ま、そういうこと!」

だから、なっ!!と笑って手を差し伸べられて、隆平は思わずその手を取ってしまった。
それを確かめるようにして、三浦が屋上の扉を開ける。

いつもと同じ憂鬱な光景なのに、何だか全く新しいところへ行くみたいで、隆平は何だか少しだけドキドキとした。


扉の向こうは案の定いつもと同じ侮蔑と嘲笑と嫌悪の視線で溢れている。
そこに登場した三浦と隆平に一瞬、目を丸くした不良達がいやな笑みを零したのを見て、隆平はぎくりとした。

「よぉ~春樹。ど~したの、そんな奴と手なんか繋いじゃって~。」

「やべぇよ、それ九条さんのだぜ。殺されるんじゃねえか?」

「あ~ぁ。「俺のパシリに触るな」ってか。」

そう言ってゲラゲラと笑う不良達に、隆平がグッ、と唇を噛み締めると、繋がれた掌に僅かに力が込められた。
優しく、だが確かに三浦の熱が伝わって、隆平は思わず顔を上げた。
するとニコニコとしたままの顔を崩さず、三浦は隆平の手を引いて九条の特等席に行こうと一歩踏み出した。

それに無視をされたと思った不良達が一斉に立ち上がって三浦と隆平を取り囲む。

「シカトしてんじゃねぇよ。挨拶くらいしたらどうだよ、三浦ぁ。」

咄嗟に胸倉を掴まれた三浦が素早く隆平を後ろに庇うようにしたのを見て、不良達の目が細められる。

「お前、何してんの。」

胸倉を掴まれたままの三浦に、慌てた隆平がいつも助けてくれる和仁の姿を懸命に探すが、いつも絶妙のタイミングに間延びした声で助け舟を出してくれる赤い髪の姿はどこにも見当たらない。

隆平の背に嫌な汗が伝った。
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