覚悟(前編)

言い放った和田に和仁は微かにほほ笑んで「おっけー。」と答えた。
それが和仁と和田の間で交わされた約束事だった。
和仁は、和田が罰ゲームから抜ける代わりに、梶原の調査を行うことを交換条件とした。
そうすれば、ジャンケンに負けた件に関してはチャラにする、と。

土曜日、急に隆平への態度を改めた和田が罰ゲームから手を引く、と言った時、和仁は「あぁやっぱりな。」と苦笑した。

和田という男は非常に「空気の読める男」だ。
仲間内で盛り上がっていることに関しては、仲間のテンションを下げないように、ある程度は自分の気持ちに融通が利く。
そして常に一歩引いて、俯瞰で物事を見ている。

「(だから視野が広くて、いつでも冷静だ。客観的な意見は助かる。暴走しがちな奴が多いウチには非常に有益な人材。)」

和仁にとっても和田の評価は高く、信頼は厚い。
しかし、和田の冷静さは常に「第三者の視点」であるがゆえに、それがいつも虎組に有利な判断になるとは限らない。

「悪い癖だよね、和田チャンのそれは。」

「わあってるよ。」

「ほんとはさ、虎組の幹部が簡単に情に絆されるのはどうかと思うんだけどね…。」

メモを口元に当てて和仁が少し意地悪な事を言ってやると、和田は居心地が悪そうに「わりぃと思ってる。」とつぶやいた。

和田にしてみれば仲間を裏切ったという罪悪感が少なからずあるようで、その律儀な姿に和仁は思わず口の端を緩めてしまう。
冷静なくせに、世渡りが下手なのだ。だいたい自ら貧乏くじを引いて苦労をしている。
和仁にはない、このクソ真面目な実直さが和田の良いところであり、悪いところでもある。

「まあ仕事はきちんとしてもらったし、良しとしましょう。」

「おお、せいせいしたわ。」

「今後は千葉君をどうぞよろしく。」

「…。」

和仁の言葉に和田は何かを言いかけようと口を開いた。
しかしそれと同時に予鈴が鳴り響き、和田は僅かに考えるような素振りを見せたが、やがて「じゃあな」とだけ言い残して屋上を後にした。

それを見送りながら、和仁は一人になったフェンスの前で和田から貰ったメモを眺める。
それから青く晴れ渡る空を見上げながら、ふ、と口元から笑みを零した。

「(梶原大和ねえ。)」

何を企んでいるかは知らないが、こちらも随分と興味深い、と和仁は和田が綴ったであろう几帳面な字面を眺める。
全面戦争になるのならばこちらも少し備えておかなければいけない。

そして罰ゲームはやっと2週目。
またちょうど良い頃合にちょうど良く事が運んだものだ、と和仁は目を細める。

「(敵だらけの虎組に味方現る、か。)」

面白くなって来たじゃないか。
ニヤニヤと笑いながら、手に持った紙切れを細かく破ると、和仁はフェンスの上から雪の様に散らした。
するとタイミング良くケータイの着信音が鳴って、「九条かな?」とディスプレイを眺めた。
その思いがけない人物からの電話に和仁は「へぇ」と笑みを浮かべた。

こりゃあ、本当に面白くなってきたぞ、と呟きながら、和仁はケータイの通話ボタンを押した。







早足で廊下を歩きながら、和田は教室へ向かっていた。
途中、自分を避けるようにして廊下の端へ寄る連中を眺めながら思わず舌打ちを零す。

『今後は千葉君をどうぞよろしく。』

その言葉を頭の中で反芻しながら、和田は眉間に皺を寄せる。
和田の記憶が正しければ、自分は和仁に千葉側に付くことは明言していないはずだ。ただ「罰ゲームから手を引く。」と言っただけ。

それなのになぜ、千葉隆平を託されるような事を言われたのか、と和田は考えた。

確かに同情はしていた。
こんなとんでもねぇゲームに巻き込まれて遊ばれてかわいそーにと思っていた。
だがそれはあくまで「自分に置き換えたら。」と思うだけで、実際本人がどういう風に感じて、どう思っているかなど、全くの考えに及ばなかった。
第一、虎組とは全く関係のない普通の少年だ。
組の連中が千葉隆平を騙しながらゲームを楽しんでいるのならば、自分はそれをただ傍観していればそれで良かったはずだ。

だが、と和田は土曜の夜を思い出す。

『わかってます。わかった上であそこに居たんで。』

その言葉を聞いた瞬間、和田は一瞬で理解した。
こいつは全部知っている。
組の連中に遊ばれて、罰ゲームだと知っていて、九条が来ない事も分かった上であの場所に座り続けていたのだ、と。
自分が蔑まれている事も、馬鹿にされている事も、全部知っていて、このゲームに参加している。
理由は分からない。
ただ、理不尽に巻き込まれ、敵だらけの陣地に放り込まれた勝ち目のないゲームに、千葉隆平が小さな体ひとつで挑んでいることだけは和田にもわかった。

「逃げちまえば楽になれるのにな。」

そう呟きながら、土曜日の去り際、隆平が見せた複雑そうな顔を和田は思い出した。何時間も待ちぼうけて、どんな気持ちであの場所に座っていたのだろう。色々と思うところはあったに違いない。
それなのに、最終的には九条の女のために怒った少年はどこまでも卑屈で、世渡り下手で、不器用で、必死だった。

「(そんな奴、指さして笑えねぇよ。)」

別に、守りたいというわけではない、と和田は思った。

「(認めてやりたい。ただそれだけだ。)」

鳴り響いた本鈴に急かされるようにして、和田は教室へといそいだ。
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